常盤に輝く




※異種恋愛


 船に並走して野生のママンボウの群れが飛び跳ねる。目に染みそうな青藍の合間で、飛沫で飾られた珊瑚色が燦然と輝いた。
 涼やかな海風に髪を靡かせて、名前は行く手に意識を傾けていた。かちりと目を射る光の矢に、瞬きを数度。白い闇すら価値あるものだと錯覚するのは、恋い焦がれた地への期待と、何より隣に立つ彼の息遣いによるものだと名前は思う。
 彼女に寄り添っているのは、両腕と尾に艶めいた草葉を茂らせ、堂々とした風格を備えたポケモン。名前よりも頭ひとつ背の高いジュカインは、爬虫類らしい縦長の瞳に興味深げに景色を映していた。日当たりの良い甲板は光合成に適しているようで、触れ合ったジュカインの身体はほんのりと温かい。何処か懐かしい潮の薫りと、慣れ親しんだ森の薫りが溶け合って名前の肌を撫ぜた。

「見えたよ、ジュカイン!」

 前方に目当ての風景を見つけ、名前は歓声を上げた。ジュカインは短く鳴いて応えると、はしゃぐ名前を柔らかな眼差しで眺めた。表層では落ち着き払ってはいても、高揚はしっかりとジュカインの中でも渦巻いていた。名前の喜びは、そのままジュカインの幸せに繋がるから。
 キャモメが群れて鳴き交わす、その中を、波間を白く砕きながら船は進む。船首の向く先、碧瑠璃の只中に描き出されたかのようにその都市は在った。
 まるで絵本に命を与えたかのようだった。もしかすると街が絵本の中で生きているのかもしれない。
 段々と大きく鮮明になる街並みが、名前の網膜と心を埋めていく。

「楽しみだね。水の都、アルトマーレ!」
「ジュカ!」

 海上に建つ、歴史と運河の街アルトマーレは、その美しさから歌や絵画や戯曲の題材としてよく取り上げられている。また観光名所としても名高く、ジムがないにも関わらず立ち寄るトレーナーは多い。名前もそうしてアルトマーレにやって来たトレーナーの一人だった。ただし、完成された芸術品のような街だからこそ、観光の際には気をつけなければならない点も幾つかある。例えばカビゴンやクレベースといった重量級ポケモン、ハガネールなどの超大型ポケモン、砂起こしの特性を持つカバルドンや毒で水を汚染する可能性のあるダストダス。等々、アルトマーレ独自の規制に引っかかる一部ポケモンの携帯は原則禁止となっている。所持している場合はポケモンセンターに預けるか、専用の装置でボールが開かないようロックしなければならない。幸いジュカインは規制対象のポケモンではなかったので、気兼ねなく下船の時を待つ事ができた。
 やがて船は汽笛を連れて波止場に行き着いた。乗っていた人々やポケモンが流れるように降りていく。名前とジュカインもその流れに混ざり、タラップを踏み鳴らした。

「船旅、疲れた?」

 揺れない地面が懐かしかったのか、ジュカインは何度か足踏みをする。名前はそんなジュカインを見上げて問う。平気だと首を振れば、名前は安堵の吐息を漏らした。ぐるりと周囲を見回し、アルトマーレの空気を胸いっぱいに吸い込む。

「とうとう来ちゃったねぇ、ジュカイン。ずっと行きたいって思ってた街に、ジュカインと一緒に来れるなんて! どうしよう、私今すっごく嬉しいかも」
「クルルル……」

 「ジュカインと一緒に」。自分の存在を強調してくれた名前に、ジュカインは身の内にまろい熱が広がっていくのを感じた。最愛の相手から特別を向けられるのは、何にも代えがたい心地であった。知らず喉を鳴らして目を細めると、名前の方が擽ったそうにはにかんだ。


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 整然と敷き詰められた石畳に、靴や爪が触れ合って微かな快音を生み出す。音の持ち主である人々のざわめき、ポケモンたちの鳴く声、それらが作るアルトマーレの音色が潮騒に包まれ耳に届く。
 立ち並ぶ煉瓦造りの家は、パステルカラーに塗られ見る者を飽きさせない。窓辺には花々が飾られ、人工の島に緑の息吹を添えて。往来に面した運河では、ラプラスが耳に心地良いソプラノで歌いながらゴンドラを引く。
 各々が持つ音を色を造形を、躊躇いなく主張する様は眩しく見えた。しかしそれに歓楽街のネオンのような毒々しさは微塵もなく、むしろ自然に目に馴染む風合い。磨き上げられた調和がそこには確かに息づいていた。
 アルトマーレの街並みに嘆息しながら、名前とジュカインは往来を歩いた。二人の手には並んで購入したクレープが握られている。名前が持っているのはモモンとマゴと生クリームの、すっきりした甘さのクレープ。ジュカインはあまり甘い味は好まないため、ブリーやウイの実をたっぷりと使った、恐らく人間の口には合わないだろう渋いクレープをさも美味しそうに頬張っていた。
 それぞれが違う味を堪能しても、噛み締める充足感は同じものだった。隣を歩く存在が、食べて、歩いて、景色を見て、そんな何気ない動作全てに新たな意味を持たせてしまうのだ。まるで魔法のようだと、ジュカインは改めて思った。クレープの最後の一口をふやけた顔で味わう名前を見て、釣られて頬を緩ませる。
 ジュカインがまだキモリだった頃も、ジュプトルだった頃も、彼の定位置は決まって名前のすぐ隣。変わった事と言えば、互いに向ける感情が親愛から恋慕に移ろいだ事ぐらいか。種族の違いを気にして苦しんだ過去もあったが、文字通り過ぎ去った事。通じ合った想いは、後ろめたいものを容易く吹き飛ばしてしまった。少なくとも今は、これが最良の形である。
 ふと、周囲に巡らされていた名前の目線が、ある一点で留まった。

「ごめんジュカイン、ちょっと待っててくれる?」

 ジュカインが頷くのを見届けると、名前は踵を返して店に入っていった。看板に書かれた文字をジュカインは読む事ができなかったが、自分が外で待たされた理由はすぐに理解できた。ショーウィンドウに飾られているのは、色鮮やかな透明。ゴブレットやアクセサリーを主としたガラス細工には、かさのある尾を持つジュカインは近づかない方が賢明だろう。
 アルトマーレで造られるガラス細工は有名で、それらはアルトマリン・グラスと呼ばれる。複雑な装飾と深みのある色合いが特徴で、街の護り神になぞらえて、無限の色彩と夢幻の美しさを持つと称される最高級ガラスである。土産物として買えるものから、豪邸の広間に華を添えるものまで幅広い。高価なものは名前の全財産に桁を幾つ追加すれば良いのか、考えるのも億劫だ。
 しばし名前と切り離された世界で、佇むジュカインは暇潰しに光合成を始めた。別段急かすつもりもない。名前もジュカインの性格を誰よりもよく知っているので、適当なところで妥協せずじっくりと商品を選ぶ事ができた。こじんまりとした店内で、並んだガラス細工たちはどれもこれも魅惑的であった。

「お待たせー」
「ジュカ」

 近代化された都会と違い緩やかに時間の流れるこの街では、誰かを待つ空白さえ生きている。ゴンドラを何艘も見送ったが、ジュカインは砂粒ほどの不満も抱いてはいなかった。それを声の調子から察した名前は「ありがと」と感謝を伝えて、今しがた購入したばかりの包みを開いた。

「はい。ジュカイン、これ貴方の分だよ。つけてあげるね」

 名前の手にはアルトマリン・グラスの首飾りが乗せられていた。優美なガラス玉の海色を誇るように、翼を広げた雄の守護龍、ラティオスの意匠が施されている。
 ジュカインはかけられた首飾りを不思議そうに見つめ、日の光に透かす。ガラス玉は本物の海の如く、見る角度によって青の色味を変えた。鼓膜を揺らす潮騒が街を囲む海からか、それともガラス玉から聞こえてくるのか曖昧になるほどに。
 首飾りに触れるジュカインの手つきは必要以上に慎重だった。ガラスが割れやすいのを理解しているのか、それとも。どちらによ、普段何でも卒なくこなす彼の珍しい姿に、名前は砂浜で綺麗な貝殻でも見つけたような、純粋な愛おしさを覚えた。

「これは私の分。お揃いだよ」

 名前の声にジュカインが視線を降ろせば、首元で優しい赤が煌めいていた。こちらは夕焼け色のガラス玉を、慈しむように翼で包む雌の守護龍、ラティアスを象った造りが愛らしい。
 この雌雄の龍は、数は少ないものの実際にこの街に生息するポケモンらしい。絶えず何体かが羽を休めに来ている、或いは交代で守護神の務めを果たしに来るのだとも。戯曲の影響で兄と妹というイメージが強いが、実際はその時々によってラティ達の関係は異なる。ある時は姉弟であり、ある時は仲の良い群れであり、またある時は番(つが)いである。現在この街に滞在しているのは父親と母親、まだ幼いラティオスの子供の家族だという。
 兎に角、守護の力と絆の強さを表すラティはアルトマーレの象徴で、彼らをモチーフにしたアルトマリン・グラスは数え切れないほど存在する。このペアの首飾りも人気の土産物の一つ。カップル向けに作られ、二人の縁と互いの幸福を願うのである。

「もちろんバトルの時は外してね、割れちゃうから。だけどお店の人が言ってたんだけど、もし割れたら、それはペアの持ち主の身代わりになったからなんだって。ほら、あの有名なお話でも、ラティオスは自分を犠牲にして街を救ったでしょう? 実話を元にしたお話だって噂もあるけど、どうなんだろうね。……わ、ジュカイン?」

 名前の全身を新緑が包んでいた。一瞬の後、名前はジュカインから抱擁を受けている事に気づく。身長差があるために、名前はジュカインの腕の中に収まる形となっていた。
 鼓動が早まる。鼓動が聞こえる。

「グルルル……」

 優しくジュカインは喉を鳴らした。どんな言葉よりも鮮明に、ジュカインは全身で名前に気持ちを伝えていた。
 店主から聞いた話が、使い古された謳い文句でも構わない。名前が自分のために選んでくれたのは、愛する相手を守りたいという願いの結晶。ジュカインはその事実が何よりも嬉しかったのだ。自分も名前を大切にしたい、守ってやるという想いは背中に回した腕に込めた。

「ジュカイン……これからも私の傍にいてね」

 そんな透き通った愛情を向けられては、名前も照れ臭さを抑えて自然と口にする事ができた。
 肩越しに見えた運河の上を、見えない何かが横切った。


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じゅ、ジュカァ……
あけおめリクエストでいただきました!





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