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数日後――
シリウス号の大きな帆が、朝の空に、見事な弧を描いている。
帆はよく風をはらみ、ゆったりスピードを上げている。
「シンさん‥‥もう起きたのかしら?‥」
そんな事を思う●●●は船長室のデッキに立ち、満足そうに潮風に吹かれた。
気持ちのいい朝である。
そんなシンとは逆に、リュウガと云えば‥‥
未だに胸に枕を抱いて、深い眠りの真っ最中だ。
ゆうべも随分遅くまで、ベッドヘッドに背中を凭れて、本を読んでいたのだがーー
それほどまでに航海は、なにもかもが順調だった。
「さて♪ごはんの支度に行かなくちゃ!」
●●●は「んー」と伸びをして、軽く頬をパチンと叩く。
それから足音を立てないよう、急いで階段を下りて行った。
†
「おはようございます」
いつものようにドアを開けて、すぐに違和感を感じた。
それこそいつもなら、ほんの少しドアを開けただけでイイ匂いがふわりと鼻をくすぐると云うのに‥‥
今日は何の匂いもしない。
それどころか静まり返る厨房に‥ナギの背中が見当たらない。
「寝坊?……まさか?」
ナギさんに限って‥‥
首を横に傾げながらも、奥に向かって歩みを進める。
厨房の奥を覗いたそこに、ナギの背中をようやく見つけた。
「ん?」
しかしナギは床の上に胡坐を掻いて、何やらゴソゴソとやっている。
再び●●●は首を傾げた。
「(ナギさん‥‥わたしの気配に気づいてない‥)」
食料庫の前。
こちらに背を向け座るナギの周囲には、大量の麻袋が散乱するよう置かれている。
袋の口を素早く解いては、ナギはチッと舌を鳴らし、乱暴にそれを投げ捨てる。
「おはようございます、ナギさん‥‥」
しばらくそれを眺めた●●●は足元に転がる袋を手に取り、ナギの背中に声を掛けた。
「−−−ッ?」
ナギの肩がギクリと揺れる。
そして、サッと振り向いた。
「バ‥‥っ!」
「え?」
「それに、触るなッッ!」
「‥‥っ?」
怒鳴るような声。
素早くナギは立ち上がり、手にある袋を奪い取る。
しかし‥‥
ほんの一瞬、遅かった。
「ぎゃ!く…くさい」
●●●はパッと顔を背け、くしゃりと顔を歪ませる。
素早くナギは袋を閉じて、床にドサッと投げ捨てた。
「黙って開けるからだ、アホ」
「だってナギさん‥‥わたしに全然気づかないから‥」
眉間に深いシワを寄せ、●●●は顔を見合せる。
鼻の奥には嫌な臭いが、未だにツーーンと漂っている。
ナギは「そうか、わるい」と、すまなさそうに頭を掻いて、掴んだバンダナを差し出した。
「とりあえずこれで手ェ拭けよ」
「え‥‥?い‥‥いいですよ、だったら洗ってきますから」
鼻に手を近づけると、おえっと変な臭いがする。
慌ててシンクで洗う●●●は、ナギの方に振り向いた。
「で‥。なんですか、コレ‥」
床に置かれた麻袋。
変な臭いが、そこからプンプン漂っている。
ナギは頭をガリガリ掻いて、同じようにそれを眺める。
そして彼は溜め息混じりに低い声で呟いた。
「これは食い物だ」
「は?」
「コイツら全部、腐ってやがる」
水の流れるジャーと云う音が
静寂中に数秒続いた。
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