馬鹿ばっか


 26

 相変わらず病院を嫌がる政岡を保健室へと引っ張って行き、そして俺達は一度俺の部屋へと戻ることになったのだが……本当に、なんでこんなことになってるのか。
 借りてきた猫のようにちょこんと部屋の隅っこで正座する政岡を一瞥し、溜息が漏れる。俺も俺だ、……何を考えてるんだ。

「俺は外で寝るから好きにしろよ」
「っ、だ、駄目だ……!」
「いや、だって……おかしいだろ、こんなの」

 ただの男友達が部屋に来るのとは訳が違う。
 おまけに前科もある。普通に考えて自分を犯した野郎と同じ屋根の下、呑気に安眠できるわけがないだろう。そしてそれは政岡も頭でわかってはいるようだ、俺が嫌がる意味を。益々そのでかい図体は縮み込むのだ。

「今日のことは……その、悪かった。……お前のことになると頭に血が昇って、その……」
「…………」
「あの、まじでお前が嫌なら、俺は外でいるから。一応その、変なやつ来ねえか見張るし……」

 しどろもどろと、言葉を探すように続ける政岡。
 ……それなら大人しく五十嵐と寝ろ、と言いたいところだが……ちらちらとこちらを伺ってくる政岡を見てるとまるで俺が悪いみたいな気分になるのだ。
 五十嵐からも散々言われたはずだ、こいつを付け上がらせるなと。それでも、それなのにこいつを放っとけないのだ。こいつの行動の全てが俺のためだと分かってしまったから。憎めない、わけではない。今でもこの顔が憎たらしく思える、それなのに……自分でも自分がよくわからない。自分を重ねてしまうのだ。

「……別に、いいよ」

 そう言葉を吐けば、「え」と政岡は顔を上げた。二つの目がこちらを見る。だから、なんだその叱られた犬みたいな目は。つられて俺は政岡から顔を逸した。

「だから、別に見張りとかしなくていいって。その代わり、今夜だけだからな。明日は五十嵐と寝ろよ」
「お、尾張……」

 そう、ぷるぷると声までも震える政岡。今にも飛びついて来そうで身構えたが、流石に堪えてるらしい。

「五十嵐は、お前が無茶苦茶なやつだからつるむなっつったよ。本当、その通りだよな。普通窓叩き割ってくるかよ」
「わ……悪かった……」
「いや、その………………俺も、悪かった」

 絞り出した言葉に、政岡が固まった。なんで、といいたげなその目。その視線が痛くてまともに向き合うことはできなかったけど、それでもこれだけは言わないといけない気がした。

「……俺も、お前に酷いこと言ったし、してきたと思ってる」
「尾張……」

 存在ごと否定されて、全部嘘だったと言われて、そんなの……俺が政岡の立場だったらと思うとゾッとしない。誰だって傷つく。こいつのしてきたことを許せるかといえばまた別だが、善意も好意も蔑ろにし、煽るような真似を言った俺にも非がある。政岡のやつがどんな顔をしてるかなんてわからない、確認する勇気もなかった。

「とにかく、今日だけだからな」
「分かった……悪いな、尾張」
「……」

 どんな顔をすればいいのかわからない。けれど、数日前よりかは胸は苦しくなかった。すっきり、とまではいかないが、肩の荷がいくらか降りた……そんな気分だ。

「飯にでもするか?」
「お……おう、お前が食いてえのなんでも用意してやるからな……!」
「取り敢えず……食堂行くか」

 今度は岩片と鉢合わせないことを祈るばかりだ。
 二人きりで部屋に籠もってる気にもなれなくて、一度俺たちは荷物を片付け食堂へと向かうことになる。


「それにしても……」

 学生寮、廊下。
 俺は微妙に間を空けて歩く政岡に目を向けた。

「なあ、それ……歩きにくくないか?」
「あ?!」
「いや……つか通路幅取ってて向かい側からくるやつら全員端に追いやられてるし」

 俺に気を遣ってるつもりなのか、広くない廊下の中で場所取るせいで余計他の生徒ビビらせてる政岡に見兼ねて声を掛ければ、政岡は「そ、そうか?」と動揺見せるのだ。
 露骨にビビられてる……というよりも、なんだ。まあ、変にベタベタされるよりかはかなりましだろうが。

「……まあ、いいか」

 その調子で俺達は食堂へと向かうことになったのだが……やはり政岡といると目立つ。五十嵐や能義と揉めたことがもう既に学園中の噂になってるようだ。
 流石に隣に俺がいるときは話しかけてくるやつはいなかったが、それでもどいつもこいつもこちらを注目してるのがわかりすぎて正直ゆっくり飯どころではなかった。……迂闊だった。特に会話で盛り上がることもない、微妙な居心地悪さだけが残る。

「なあ、怪我……本当に大丈夫なのか?」

 焼き肉プレートを食いながら、向かい側でハムスターのように頬膨らませてもっしゃもっしゃ肉を食う政岡に声をかければ、まさか話しかけられるとは思ってなかったらしい。はっとしたやつは慌てて口の中のものを飲み込み、そしてコーラで押し流す。

「だ……大丈夫だ、これくらいへっちゃらだ」
「お前それ前も言ってたけど、流石に頭だぞ。今は大丈夫でも追々異常でてきたらどうすんだ?」
「問題ねえよ、今まで何度殴られても寝たらたんこぶ治ったし」
「お前の治癒力もすげえな……」

 もしかしてそのせいで極端に単細胞化してしまったのではないかという恐ろしい可能性に気付いてしまったが、俺は敢えて気付かなかったことにする。
 それにしても……俺とこいつは傍からみれば仲睦まじい恋人にでも見えるのだろうか。否、友達同士にすら見えてるかどうか怪しいだろうな。飲みかけの水を飲み干し、グラスを置く。

「あ……彩乃とは、大丈夫だったのか?」

 そんなときだ。不意に、恐る恐る聞いてくる政岡に思考停止する。騒がしい食堂内。他の生徒が怖がってか不自然に周りの席は空いていたが、それでもいつどこで聞き耳を立てられているかわからない状況の中。小声で聞いてくる政岡に、俺はそのまま一瞬停止した。

「……お前な」
「わ、悪い!……でもその、気になって……」
「あいつは、お前を諦めさせるために演技しただけだよ。俺のことなんて露ほども見てねえから安心しろ」
「ほ、本当かっ?!」
「……つーか、お前くらいだろ。そんなの」

 金や勝ち負けのために振る舞うやつらと、政岡から向けられるそれは明らかに違うのは俺でも理解できる。
 もし、これで全部政岡の演技で、こいつは本当は俺のことなんてまじでどうでもよかったってのなら立ち上がって手を叩いていただろう。……それと同時に二度と人を信じれなくなるのも確かだろうが。

「……そう、だな」

 そう政岡は視線を落とす。その耳が赤くなっていることに気づき、俺は「あ」と思った。……勘違いさせるようなことも期待させるようなことも言ったつもりではなかったのに、何だその反応は。珍しくしおらしい政岡に俺まで調子が狂いそうだ。やけに乾く喉に水を流し込もうとグラスに口をつけるが、中が入っていないことに気付いた。……ボロボロである。

 政岡がいるお陰か、変なのから絡まれることはないのは正直助かった。けど、やはり目立つ。
 口の中も怪我してるのか時折食事しながらも「いてて」と顔を歪める政岡を観察しながらも飯を平らげた。
 目の前の満身創痍の男の傷がどれも俺のせいだと思うと正直、喉に通るものも通らない。それでも、本人はそんなこと露知らずもりもりと食べてるのだから変な感じだ。
 それから、変なのに絡まれることなく食事を終えることになる。それじゃあ戻るか、なんて視線で合図したとき。

「あ、かいちょー!いたいた!よーやく見つけた!」

 聞こえてきたのは変声期を迎えていないような舌足らずな甘い声。声のする方に目を向ければ、同じ顔の少年が二人。見間違えるはずがない、こいつらは確か……。

「結愛、乃愛。お前らどうして……」
「どうしてもこうしてもないよ、会長!ずーっと連絡してるのにつかないし、書記に聞いても『知らん』の一点張りですしー!本当に僕たち探したんですからね!」
「あ……やべ、まじだ。電源切れてる」
「ほらみろ結愛、言った通りだったでしょ。会長は大丈夫だって」
「むう、でももしあれが本当ならいくら喧嘩馬鹿の脳味噌すっからかん会長だって危ないかもしれないじゃーん!」
「お……おいおい、話が見えねえし誰が脳味噌すっからかんだ?!」
「あ、やば」

 なんだ、なんだ。会長補佐の双子の登場によりいきなり騒がしくなる食卓に俺はついていけずに取り敢えず他人のフリしようとしたのだが聞き捨てならない言葉が結愛だか乃愛だか片割れの口から出てくる。……政岡の身が危ない?

「おい、何があったんだよ」
「うー……じ、実はですね、ゴニョゴニョ……」
「あ゛?!なに?!さっき生徒会室に俺を狙いに不貞な連中が殴り込みにやってきただと?!」

 政岡、双子たちはあまり周囲に知らせないために耳打ちしてるのではないのか。思ったがもう知らない。

「それで、そいつらは……?」
「まあ僕と結愛がいたのでえいえーいってなんとか九部殺しまで持っていけたんですけどー」
「駆け付けた風紀のやつらに過剰防衛だって怒られちゃいました」
「あいつら無能のくせに文句だけは人一倍煩いの本当ナイよね

 半殺し通り越してほぼ瀕死に追いやられた襲撃者には同情せざる得ない。自業自得ではあるが。

「それで、誰の差金かは聞いたんだろうな?」
「……」
「……」
「おい、まさか……ただ嬲り殺ししてたのか?!」
「だって結愛が……」
「乃愛がはしゃぐから……」
「お、お前らは……」

 流石政岡直属の後輩である。悦楽のために甚振る双子が目に浮かぶようだ。流石に何も言葉が出てこないらしい政岡が呆れるのを見て、双子は怯えたように抱き合う仕草をした。

「あっ!でもでも!僕あいつらの顔どこかで見たことある気がしますよ!ね、乃愛!」
「まあ……確かにどこかで見たような気がするかも……どこか覚えてないですけど……あ、写真なら撮ってるんで見ますか?」
「な、なんの写真だよ……」
「僕と乃愛のラブラブツーショットですよ!あいつらには椅子になってもらったんで確か顔もバッチリ写ってるはず……」
「……」
「……」
「なあ、この目隠しと猿轡のせいで全く顔もわかんねえし殴りすぎて顔の形も残ってないんだが……?」

 ……どんな写真か見なくても政岡の表情で察することができるのだからすごい。沈黙の果て、「結愛が」「乃愛が」とお互いに口を開いた双子たち。あ、これはまたいつもの喧嘩が始まるな、と思いきや政岡は喧嘩になる前に二人を引き離す。そして。

「……まあ、経緯はわかった。お前らはとにかく今日は戸締まりちゃんとしたところにいろ。生徒会室は暫く開けとけ。また俺を探しに来たやついたら俺の部屋まで来いって言っとけ」
「え、お前の部屋は確か……」

 五十嵐が、と思ったが「はぁーい!」という双子の声に掻き消される。ま、政岡……こいつ五十嵐に片付けさせようとしてやがる。

「わかりました!さっすが会長頼りになるー!」
「食事デート中失礼しました会長、それではお邪魔虫の俺たちは失礼しますね」
「なっ……おい!声がでけーぞ!」

「会長バイバーイ!」と手を振ってくる結愛。そしてぺこりと頭を下げた乃愛はそんな結愛を引きずっていく。
 ……相変わらず嵐のような双子だった。
 食事デート、という認識はなかったが……というか食事デートってなんだよ。なんだか不完全燃焼だったが、二人が立ち去ったことでようやく政岡もほっとしたらしい。どかりと改めてソファーに腰を下ろす。

「つか、大丈夫なのかよ。襲撃って穏やかじゃねえな……」
「別に、珍しくもねえ話だ。あいつらと揉めたときはよく夜道覆面集団に殴られそうになったしな。主に能義に」
「の、能義……」

 本当にあいつは綺麗なのは顔だけか。

「じゃあ、今回も能義か?」
「いや、能義派のやつはあの後一掃させたからすぐには動けねえはずだ」

 さらっととんでもないこと言ってる気がしたがいちいち追求するときりがない。

「……やな予感するな」

 そう吐き捨てる政岡。
 俺も同感だ。

 ◆ ◆ ◆

 それから、政岡とともに自室へ戻ってくることになる。
 例の政岡狙った刺客について色々思うところはあるが、とにかく携帯の充電をした方がいいのではないかという結論に辿り着いたのだ。わざわざ部屋に戻ってまた五十嵐と揉めるのも面倒なので俺の充電器を貸すことになる。
 念の為五十嵐にも襲撃の可能性伝えておいた方がいいんじゃないかと提案したが、政岡は「んなこと言ったらあいつ面倒臭がってこっちに来るだろ」なんて言い出してまあ確かにそりゃ普通に考えて正しい反応だが、また政岡と五十嵐が喧嘩するのも厄介だ。
 何もないならそれでいい。つかあいつも俺が心配せずとも丈夫なやつだしな。

 というわけで俺の部屋。すっかり日は暮れている。
 問題はいくつかあった。
 まずその一、こいつがいると風呂に入りづらい。
 その二、こいつもこいつでなにか意識してるらしく気まずい。
 その三、諸々。

「おい、政岡……風呂一応準備したけど」
「あ?!え、あー……俺は、後からでいい」
「そっか、傷もあるしな。着替えは?あるか?」
「……しまった、持ってきてねえ」
「流石に、その血で汚れた服じゃ寝れねえだろ」
「いや別にこれくらいなら……」

 平気だ、と政岡が言うのはわかっていた。こいつはそういうやつなのだ。自分のこととなると変なところで無頓着というか、大雑把というか。寝間着になりそうな政岡でも着れそうな大きめのスウェットを取り出し、そのまま政岡に「はい」と渡す。すると、見事に政岡が固まった。

「お、尾張、これ……」
「一回着ただけでその、サイズデカかったから着なくなったやつだから……それでいいなら、使えよ」
「ぃ……っ、い、いいのか……?」
「……一応あんたは客人だしな」

 押しかけてきたとはいえど、自分の部屋に来た相手を適当にあしらうような真似自分でもしたくない。そうだ、これは俺の矜持のためなのだ。と、言い聞かせつつ「ん」ともう一回差し出すが、政岡はそのまま固まって静止してる。
 確かに、政岡からしてみれば何を企んでるだろうと思っても仕方ない。けど、けれどだ。

「……嫌なら、いいけど」
「い、嫌じゃねえ!嫌なわけあるか!!っつか、むしろ……お前の服汚すのは……っ」
「風呂上がってから着る用なんだから汚れねえだろ……つか、別にそこまで気にしなくてもいいって」
「……っ、…………お、尾張…………」
「……いらねーの?」
「い、いります……っ、いる、めっちゃ欲しい、すげえ着る……ッ!!」

 政岡があまりにも必死に首を横に振るもんで、思わず「なんだそれ」と笑ってしまう。本当、わかりやすいようで……変なやつだ。俺から着替えを受け取った政岡は、照れたように視線を泳がせる。

「ぁ……ありがとな……お前は、こんなことする必要なんかねえのに」
「……言っとくけど、勘違いするなよ。……それじゃ寝にくいだろうし、気持ち悪いだろうからって思って渡すだけで……」
「……やっぱ、お前は優しいな」

 心臓が痛い。罪悪感か、はたまた別のなにかか。
 心の底から嬉しそうに笑う政岡のその顔を見た瞬間、ぎりぎりと締め付けられるように心臓が苦しくなる。

「これは……有り難く借りる。つか、ちゃんとクリーニングして返すから。……でも、風呂はお前が先に入れよ。俺が入ったら余計汚すだろ」

「ちょっと俺外出てくるからその間に入ってろ」なんて、充電が溜まった携帯を仕舞った政岡は続ける。
 汚いとかいうならそもそも怪我人のお前が綺麗な湯船に浸かった方がいいんじゃないか、と思ったが、そんな言葉をかけるよりも早く政岡は部屋から出ようとするのだ。
 咄嗟に「どこ行くんだよ」とその背中に声をかければ、スウェットをソファーにそっと置いた政岡はこちらに目を向ける。

「悪い、野暮用が出来た」

「ちゃんと戸締まりしとけよ」なんて、余計なお世話な一言を残して政岡は部屋から出ていく。携帯になにか連絡が入ったのか、気になって追いかけようとして、やめた。
 俺がそこまであいつに付き纏うのは変な気がしたし、あと、風呂も冷めてしまう。……もう知らね。と思いながら、戸締まりを確認した俺はそのまま風呂に入ることにした。

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