馬鹿ばっか


 03

 神楽が男子生徒に連れていかれてから暫くも経たないうちに、扉を閉めた副会長はそのまま躊躇いもなく部屋に上がってくる。慌てて俺は布団に潜る。

 さっさとどっか行け。念じつつ、息を抑える。
 近付いてくる足音。
 やばい、気付かれたか。……いや普通気付かれるな、こんなに布団が膨れてたら。
 どうか、なにもなかったようにそのまま立ち去ってください。
 思いながら体を縮み込ませたとき、すぐ傍まで近付いた足音が止まる。
 近くから感じる副会長の気配に、脈が加速する。あ、やばい。そう思ったのと、頭まで被っていた布団を剥ぎ取られたのはほぼ同時だった。

「おはようございます」

 目の前には、華のような笑顔。いざ、至近距離でこの笑顔を向けられたらわかるが、この男、妙な圧がある。
 平常心を装いつつ、俺は「……どーも」とだけ返した。

「初対面の男の部屋に上がり込んだ末、ベッドに入るというのだからどんなふしだらな方かと思えば、意外ですね。貴方のような方がホイホイ会計についていくのは」
「そうだな、俺も驚いてるよ」

 実際否定できないところもある。自嘲気味に返せば、副会長は愉しげに喉を鳴らす。紅い唇が怪しく歪んだ。

「しかし、なかなか悪くありませんね。……名乗るのが遅れました、私は能義有人と申します。どうぞよろしくお願いします、尾張さん」

 差し出される右手。こいつ、なんで俺の名前知ってるんだと驚いたが、ターゲットにしてるとなれば名前くらいは調べてるはずだ。この状況下で仲良くしようなんて気にもなれないが、避けてまた先程のゴツい生徒たち呼び出されても困る。俺は、少しだけ迷って「よろしく」とその手を取った。ひんやりとした手の感触に驚いた。
 生徒会の副会長ということは、こいつも神楽がいっていた妙なゲームに関係してるということか?
 先程のやり取りからして黒だろうが、やはり、俺はこの男が副会長……二番手だということがにわか信じれなかった。

「……私の顔に何かついてますか?」

「そんなに熱心に見詰められると、誤解されてしまいますよ」と副会長――能義は俺の手を離す。そんなに見ていたのだろうか。無意識だったが、やはり、魅入ってしまうのかもしれない。面食いというわけではないが、この男からは不思議と目が逸らせないのだ。

「いや、あんた、副会長ってことは……生徒会なんだろ。意外だな、と思って」
「ああ、そのことですか……会計から何か聞きましたか?うちの生徒会役員が他の学校とは少々異なる選出方法ということも」
「詳しく聞いたわけじゃないけど、そうなのか?」
「おや、ヤブヘビでしたか。まあ、転校生の方に話すような内容でもありません。お気になさらず」

 そんな風に言われると余計気になるが、能義は話す気はないらしい。
「それよりも」と、能義は俺に目を向けた。

「こんなところにいては危険です。今ならこの部屋の主もいない。今の内に部屋へと戻ったらどうですか」
「……え?」
「……おや、なんですかその呆けた顔は。貴方があの男の毒牙に掛かる前に助けに来たつもりだったのですが、余計なお世話でしたか?」
「い、いや……そうだな、ちょっと驚いた」

「驚く?」と怪訝そうな顔をする能義。だってそうだ、さっきの印象があるからだろうか。まさか助けるためにわざわざ来てくれたとは思わなかった。……いや、でもよく考えればこいつらがゲームしてるとすれば、それ目的ということか?
 疑心暗鬼になってしまうのは忍びないが、疑わずにはいられない状況下だ。仕方ない。
 が、確かに能義が神楽を連れ出してくれたお陰で俺は帰ることができるということか。
 本音を言えばあと一歩遅かったが、まあいい。

「いや、なんでもない。……じゃあ、俺戻るわ。ありがとな、能義」

 そう、ベッドから降りた俺は能義の好意に甘えてそのまま神楽の部屋から出ようとして……「待ってください」と引き止められた。

「せっかくですし部屋まで送りますよ」
「え、別にいいですよ」
「部屋の場所わかるんですか?」
「…………」

 分からない。辛うじて部屋の番号はわかったが、何も考えずに出てきた俺は道順も何も覚えていなかった。まあ、最悪フロアマップを確認すれば時間は掛かるがなんとかなるだろう。

「……送りますよ。一人でウロウロするよりもずっと効率的でしょう?」

 能義の提案は有り難いものだった。……そこに下心がなければだが。……けれど、意固地になるのも変な話だ。俺は素直に能義の好意に甘えることにした。

「んじゃ、頼むわ。能義」
「ええ、悪いようにはしませんよ」

 能義有人は笑う。こうして並ぶと、中性的だと思っていたが骨格はがっしりしていて、華奢ではあるが角ばっており、骨っぽさがある。正面から見ると整って端正な顔立ちだが、横顔は男のそれだ。そして、意外なことに俺よりも背が高いのだ。至近距離で微笑まれると、なんか落ち着かない気持ちになる。俺はなるべく半径1メートル以内に近付かないようにした。

 神楽の部屋を出た俺は、副会長・能義の好意に甘えて自室まで戻ることにきた。

 途中、いかにも柄悪そうな生徒たちと擦れ違う。じろじろと目を向けられたが、隣に並ぶ能義を見るなり全員顔色を変えて通路を開け、頭を下げるのだ。明らかに能義よりも体格の良さそうな連中も例外ではない。「お疲れ様です副会長!」とピアスだらけの男や刺青剥き出しの男も野太い声あげるのだ。能義はそれに応えるわけでもなく、ただインテリアかなにかの一部かのように素通りしていく。やつは俺の方しか見ていない。
 異様な空間だった。けれど、神楽の言っていたこともあながち間違いでないということがわかった。


 学生寮、自室前廊下。

「確かここですよね」
「悪かったな、道案内させて。助かったよ」
「いえ、お構い無く」

 会話を交わしながら、俺は持ち歩いていた鍵を取り出し、扉を解錠しようとして……既に扉が開いていることに気付いた。
 あれ、俺出ていくときに鍵閉めた記憶あんだけどな。岩片が起きたのだろうか、と思いながらドアノブを捻ったときだった。

「っこんの、離れやがれ!この変態オタク野郎がッッ!!!」

 扉を開けた瞬間、聞き覚えのない男の怒声と、オタク野郎もとい岩片が吹っ飛んでくる。間一髪、扉から手を離し、俺は岩片を受け止めた。
 何事だ。顔をあげれば、部屋の中を見れば見知らぬ男が一人。怒鳴り散らし、岩片を突飛ばした犯人らしきその男は、怒りで顔を真っ赤にしていた。
 赤茶髪の髪に、釣り上がった眉。両耳には大量のピアスがぶら下がっている。それも相まってか、強面が際立っていた。着崩した制服の上からでもわかる、長身の、体格のいい男だった。

「一体何ごとですか……って、おや、会長」

 騒ぎに驚いた能義は、部屋を覗くなりそこにいた赤茶髪の強面男を見て目を丸くする。
 ……会長?この如何にもヤンチャ代表ですみたいなやつが?
 再度、目の前の男に目を向ける。怒りのあまりに戦慄く赤茶髪の男、もとい会長様は俺の腕の中の黒マリモを睨みつけた。

「……はぁ、んだよ、手厳しいなあ。ちょっとチューしようとしただけだろ?」

 あっけらかんと言い放つ岩片。「ありがとハジメ」と小さく呟き、俺から離れる。どうやら殴られたわけではないようだ。ほっとするが、まだ安心はできない。

「ちょっとだと……?ふざけんな、キスはなぁ……そんなに安請け合いでやっていいもんじゃねぇんだよ!それも、テメエみたいなよくわかんねえ野郎として堪るか!」
「そんな面倒くせー処女みたいなこといいやがって……会長だってヤりまくりの掘りまくりなんだろ?今さら恥ずかしがんなって」
「それとこれとは別だ!肩組むんじゃねえ!!」

 ……なんというか、見た目によらず純情な人のようだ。
 ぎゃんぎゃん吠える会長に、「かっわいー」と煽る岩片の口許には厭な笑みを浮かんでる。完全に楽しんでいる。
 また人を怒らせるような真似をしやがって……誰が後始末してると思ってんだ。
「おい、岩片」流石にこのままではまずい。ビキビキと会長さんの額に青筋が浮かぶのを見て、俺は咄嗟に岩片の口を塞いだ。けれど、遅かった。

「てめぇ、さっきから人を馬鹿にしやがって……」

 一気に岩片に詰め寄った会長は、岩片の胸ぐらを掴み上げる。止める暇もなかった。素早い動き。躊躇なく、岩片の顔面目掛けて固めた拳を振り上げたとき、俺は、咄嗟に岩片を会長さんから引き離す。瞬間。広げた掌に衝撃が走る。会長さんの拳を掌一枚で受け止めようとしたのが甘かったようだ。骨を震わせるようなその重い一発に、思わず「ぅお」と声が漏れる。
 これ、まともに顔面に受けてたら骨にヒビ入ってるぞ。じんと痺れる掌に、息を飲んだ。それは、会長さんも同じだった。目を見開く会長さんと、それを見ていた能義が「お見事」と手を叩く。岩片はただ、何事もなかったかのよう笑っていた。
 正直、岩片は一発くらいぶん殴られた方がいい気もするが、仕方ない。

「だめだ、会長さん。こんなの殴ったら会長さんの手が汚れるだろ」

 手を軽く振り、痺れを振り払う。じんじんとした痛みはあとからやってきた。

「……っく、ククク」

 逆上するだろうか、もっとキレるかもしれない。そう思っていたが、会長さんの反応は予想外のものだった。肩を揺らし、喉を鳴らして笑うその男の口元には凶悪な笑みが浮かぶ。

「……へえ顔だけかと思っていたが、なかなかやるじゃねえか」
「いやー、すごいですね尾張さん。このバ会長のを受け止めるとは。ノウタリンで唯一の自慢が校内一のパンチ力だけでしたのに。私、不覚にもキュンとしてしまいました」
「あ?!誰がバ会長だ!!」

 慇懃無礼な能義の言葉にすかさず食いつく会長さん。こいつが、生徒会長か。俺の中の生徒会長となると、全生徒の模範になるような人間だというイメージが深く根付いてるお陰か、到底会長には見えない。

「そう言えば、貴方も転校生の方でしたね。この度はこの会長、いえ政岡零児(まさおかれいじ)がご迷惑お掛けしました。政岡には私どもからキツくお灸をすえさせていただきますので、どうぞ気を悪くしないでください」

 私ども、というのが妙に気になるが、深く考えないようにしよう。「なんで俺だよ!」と会長、もとい政岡は露骨に不満そうな顔をする。正直、今回は岩片の悪い癖が出たようなので同情を禁じ得ない。

「何故って、どうせ貴方から吹っ掛けたんでしょう」
「能義、違うんだよ、悪いのは大方こっちだ。……会長さん、悪いな。ほら、こいつこーいうやつだからあんま触れないようしてやってくれよ」

 そう、政岡に取り敢えずフォローを入れる。
 初日から生徒会長を敵に回したくないというのが本音だった。睨んでくる岩片に『後で謝るから』とアイコンタクトを送る。

「いえ、こちらこそお騒がせしましたね。……それでは、私どもはこれで失礼させていただきます」
「おい有人っ、お前なに仕切って……」
「では会長、行きましょうか」

 そう、能義は、大量のピアスがぶら下がる零児の耳を引っ張りそのまま部屋から引き摺り出す。途中、擦れ違うときに能義はぺこりと頭を下げた。その横で痛い痛いと声をあげる政岡。これではどちらが上かわからねーな。 
 能義、敵に回したくねえな。見てるこちらまで耳が痛くなってくるようだった。
 俺は、やつらが立ち去るのを見送って、それから部屋に入る。

「あーあ、せっかくいいとこだったのに」

 岩片がなんかほざきながらソファーに飛び込んだ。あれがいいところだったら、世の中の八割はいいとこ尽くしだ。内心突っ込みつつ、俺は部屋の扉を閉める。
 部屋の中はまだ片付いていない。とはいえ、積まれたダンボールもそのまま転がされてるキャリーバッグも全部岩片の荷物だ、俺の荷物自体はそれほどない。さっさと片付けろよな、とは思ったが言ったところで岩片が動かないというのは知ってるので俺も放置する。

「さっきの会長……政岡、なんでここ来てたんだ?」
「知らねえ。なんか向こうから迫ってきたから、お返しに壁ドンしてキスしながらケツ揉もうとしたらいきなりキレだしたからな。わかんねえな、本当」

 俺はお前のその謎の順応性の高さがわかんねえがな。

「あーあ、まじで不完全燃焼だわ。第一号にしようと思ったのに」
「あいつが生徒会長だってのは知ってたのか?」
「いんや?知らねえ、つかまじでいきなりだったしな。……まあ、お前が丁度いいタイミングでクッションになってくれたお陰で助かったけど」

 ソファーに座れば、岩片は「ナイスタイミングだったな」と笑う。確かに、俺があのとき戻ってこなかったらどうなってることやら、ああいうタイプが逆上したら手が付けられない。その点、能義もいたお陰で冷静さを失わせることはなかったのかもしれない。
 岩片が喧嘩してる姿を俺は見たことない。というか、大抵誰かに絡まれてもこいつはニヤニヤ笑ってるだけで抵抗しないのだ。
 何故抵抗しないのかと聞いたら、「そっちのが楽じゃん」とこいつは言った。その理論はよく分からない。けど、性癖が拗れてるこいつのことだ。俺が理解できるわけない。

「あー不完全燃焼でムラムラしてきた、ハジメお前ケツ貸せよ」
「オナホならそこの段ボールに入ってたぞ」
「あ?まじ?ハジメがやってくれんの?俺的にハジメの天然オナホがいいんだけど」
「馬鹿、なんのための道具だよ。一人でやれよ」
「へえ、俺に公開オナれと。いい趣味してんじゃねえの、ハジメ君」

 本当にこいつのセクハラはそこらのオッサンよりたち悪いな。
 口だけだとは分かっていたが、つい先程神楽に触られたことを思い出してあまりいい気分ではない。

「……どうかしたのか?」

 不意に、俺のリアクションに違和感を覚えたのだろうか、岩片に声を掛けられ、ハッとする。
「なんもねえよ、別に」本当はなんもないどころか色々ありすぎるのだが、どこから説明したらいいのか分からない。俺も俺で、思ったよりも今日一日次々と起きるあれこれに混乱してるようだ。

「それより部屋の掃除しようぜ、さっきから落ち着かねーんだけど」
「頼んだ」
「おい、殆ど荷物はお前のだろ。俺が勝手に触ったら怒るくせに」

 とにかく、落ち着きたかった。
 面倒臭いやりたくな
いと駄々捏ねる岩片とともに段ボールの中から生活必需品を取り出し、部屋を片付けていく。
 数時間後。早速飽きた岩片が持ってきていたゲームを始めることにより、後半俺だけの単独作業になったが、なんとか段ボールの山を片付け終わることができた。

「あ、やっと終わった?んじゃ飯行こーぜ飯、腹減ってまじ死にそうだわ」

 こいつ、終わった途端元気になりやがって。
 なんで俺が岩片の服を畳んで棚に仕舞わなきゃなんないのか。色々言いたいことはあるが、確かに腹が減ってきた。
 壁にかかった時計に目を向け現在時刻を確認する。もう夜に差し掛かってる。カーテンの外、日は落ち、空は既に黒くなっていた。

「そうだな、確か食堂は一階だったか」
「ああ、この時間帯なら開いてるだろ。……混んでないといいんだがな」


 前の学園では生徒会メンバーをも誑かしていたことにより、本来ならば生徒会しか使えないVIPルームを我が物顔で使っていた岩片だったが、ここではわけが違う。多分、混んでんだろうな。殆どの生徒が夜から動き出すというのは聞いていただけに、岩片が耐えられるか、そこが心配だった。まあ、こいつなら玩具候補がたくさんいて大興奮なんてこともありそうだが。
 俺達は早速食堂へと向かうことにした。

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