07
部屋には入ると、ベッドに寝転がって雑誌を読んでいた阿佐美が迎えてくれた。
「おかえりなさい、ゆうき君」
「……うん、ただいま」
とにかく、あまり首元が開いていない服に着替えるために、そそくさと俺は洗面室へと移動する。
どうしたら阿賀松に会えるだろうか。やっぱり四階に行って阿賀松の部屋を探した方がいいのだろうか。
一人悶々と考え込んで阿佐美を凝視していると、ふとあることを思い出した。
確か、阿佐美と阿賀松は知り合いのようだった。
仲良さそうには見えなかったが、それでも顔見知り程度の仲には見えなかった。
服を着替えた俺は、そっと阿佐美に歩み寄る。
「あの、詩織……聞きたいことがあるんだけど」
「……どうしたの?」
名前を呼ぶと、阿佐美は読んでいた雑誌を閉じ不思議そうに俺の方を見た。
「阿賀松……先輩って、この時間帯いつもどこにいるの?」
呼び捨てにしかけ、慌てて俺は言い足した。
阿佐美は驚いたように微かに反応し、不満げに「どうして?」と聞き返してくる。
「どうしてって……用があるんだけど」
阿佐美に質問を質問で返されるとは思ってもよらず、俺は少し動揺しながらもそう言った。
「……あっちゃんなら、一階のゲームセンターにいるかも」
阿佐美は少し考え、そう言った。
確か、阿賀松と初めて会った場所もゲームセンターからすぐでたところだったような気がする。
「わかった。ありがとう」俺はそう言ってベッドから腰を持ち上げた。
「……」
「詩織」
そのまま部屋を後にしようとしたとき、阿佐美に腕を掴まれる。
俺は、驚きのあまり阿佐美の顔を見つめた。
相変わらず長い前髪で顔半分が覆われている。
「……もう寝る時間」
阿佐美はそう呟いた。
遠回しに阿佐美は、『行くな』と言っているのに気がついた俺は気まずくなって顔を俯ける。ぎゅっと掴まれた腕が少し痛かった。
「……トイレに行くだけだよ。すぐ戻ってくるから」
俺はおどけたように笑いながら、腕を掴む阿佐美の手を退かす。
あまり嘘はつきたくないが、このままじゃ阿佐美が離してくれないような気がしたから嘘をついて無理矢理阿佐美を納得させた。
「……」
阿佐美はなにも言わなかったし、再び腕を掴んで引き止めることもしなかった。
なんだかそれが酷く寂しくて、俺は苦笑しながら阿佐美から離れ部屋を後にする。
向かう先は、阿賀松がいるらしい一階ショッピングモールの一角にあるゲームセンター。
俺はモヤモヤとした気持ちのまま、廊下を歩きエレベーターを目指した。
エレベーターを降り、ほぼ無人に近い一階をさ迷うこと十数分。
目的地であるゲームセンターを見つけ、硝子張りの扉を開くと騒がしいくらいの声が盛れてくる。
もう深夜に近いというのに、ゲームセンターには結構な数の生徒がいた。
しかも、柄の悪そうな生徒ばかり。
俺は思わず扉を閉めそうになるが、ここまで来て引き返すなんて本末転倒だ。
俺は唇を噛み、ぐっと堪えながらゲームセンターの中へと入る。
薄暗い店内に、まともに役目を果たしていない小さな電球の照明。
天井のどこかに取り付けられたスピーカーから聞こえてくる、脳を揺さぶるような大音量の音楽。
よくこんな施設を寮につくれたもんだ。
俺は挙動不審に辺りを見回しながら、阿賀松の姿を捜す。
「齋籐佑樹?」
ふと、背後から声をかけられ振り向くと、そこには一人の生徒が立っていた。
視界全体が薄暗いせいでよくわからないが、白に近い桃色のその目立つ頭には見覚えがある。
こいつは、阿賀松と一緒にいた──確か安久とか言ってたな。
「へえ、アンタこういうところに来るんだ。僕的に、部屋に引き込もってそうなイメージがあるんだけど」
「……」
「虐められっ子だからかな」安久はニヤニヤと笑いながら、そんなことを言い出した。
あんまりな言葉に、俺は耳を疑う。
ほぼ初対面だというのに、なんて失礼なやつだ。俺は目の前の男を呆れたように見つめる。
「てか、ここ、アンタみたいなタイプが来るような場所じゃないんだけどなあ。迷子になっちゃった?」
「別に、そういうわけじゃ……」
「じゃあなんの用?まさか、伊織さんに用があるとか言わないよね」
「……」
勘が鋭いのか、それともただ性格が悪いだけなのか。
ペラペラと喋る安久に図星を突かれ、俺は思わず黙り込んだ。
すると、安久はなにか閃いたようにタレ目がちな目を輝かせる。
「わかった、『気持ち良かったから、もう一回してください』ってやつだろ?癖になっちゃう〜みたいな、ねえ」
「……なに言って」
なにを言い出すんだこいつは。あまりにも下品なことを言い出す安久に、俺はカッと顔を熱くした。
無神経にも程がある。それともわざとなのだろうか。
どちらにせよ、俺は安久のことを好きになれないだろう。
「そんな恥ずかしがるなよ。ケツ穴掘られてあんなに喘いでたくせに。トイレの外まで丸聞こえだったよ、アンタの声」
「違うって言ってるだろ」
人前でなんてことを言い出すんだ。
嘲笑混じりの安久の言葉に頭に来た俺は、声を張り上げた。
思ったよりも自分の声は大きくて、店内にいた生徒たちがこちらに好奇の目を向け始める。
しまった。言ってから、俺は青ざめる。
安久は可笑しそうに声をあげて笑った。
すると、どこからか現れた一人の生徒が空気を読まずに安久に声をかける。
眩しいくらいの金髪に、褐色肌のいかにもチャラそうな生徒だった。
「安久、なにしてんだよ。阿賀松さんが呼んでるって……あれ、こいつって確か」
金髪の生徒はチラリと俺の方を見て、ぼそぼそと安久に耳打ちをする。少し嫌な感じだ。
「そうだよ。伊織さんに会いに来たんだって。ハメて下さいって」
金髪の生徒に、そう返す安久は俺の反応を横目で伺う。
「だから……」言いかけて、俺は口を閉じた。
ここで反応したら、こいつの思う壺になってしまう。
「え?マジで?」
無反応だったのが裏目に出てしまい、完全に誤解した金髪の生徒は呆れたように俺の方をちらちらと見た。
嵌められた。俺は安久を睨む。当の本人は涼しい顔をしていた。
「じゃあ、一応連れて行った方がいいんじゃねえの?」
「は?仁科、お前バカだろ。なんでそうなんだよ」
「バカってなんだよ……」
仁科と呼ばれた金髪の生徒は、安久の一言に酷く傷ついたような顔をする。
派手な見た目の割に、傷つきやすいらしい。俺は目の前で揉める二人を横目に、そっと人混みに紛れその場を立ち去った。
今度から安久と遭遇したら逃げることにしよう。
あまりにも厄介な男から逃げながら、俺は一人頷いた。
ゲームセンター内を徘徊すること数分、ようやく俺は阿賀松らしき人物を見つけることができた。
「は?意味わかんないよ、お前。誰に命令してんだって、おい」
ベンチに腰を降ろした阿賀松は、電話に向かって怒鳴っていた。
うわ、なんか怒ってるって。絶対いまタイミング悪いって。
俺は慌てて引き返そうとするが、それよりも先に阿賀松と目が合う。
俺がいることに驚いたような顔をして、阿賀松はにやりと笑った。
「どうしたの、ユウキ君。わざわざ俺に会いにきてくれるなんて」
阿賀松は携帯の電源を落としながら、ベンチから立ち上がる。
さっきまで何度もシミュレーションしてはずなのに、いざ本人を目の前にすると思わず立ちすくんでしまう。
「用があるならハッキリ言ってくれないとさあ、ねえ」
うまく言葉が出ず、口ごもる俺にイラついたような阿賀松。
風呂に入ってきたばっかりだというのに、嫌な汗が背中からにじみ出る。
「写真、消してください」
俺は阿賀松から目を逸らしながら、そうハッキリと言い切った。
背負っていた錘が取れたような爽快感と、処刑されるのを待つ受刑者のような緊張感。
俺は固唾を飲んだ。
「いいよ」
え?
阿賀松から返ってきた言葉はあまりにも、予想外のものだった。
俺は驚きのあまりに、阿賀松の顔を見上げる。
阿賀松は優しく微笑みながら、俺に携帯電話を押し付けてきた。
「ほら、勝手に消したら?」
「え……でも」
「消して欲しくて来たんでしょ?消しなよ」
阿賀松は笑いながらそう言った。
嘘だ。こんな簡単にいくなんて。偶然、機種が同じだったせいか操作の仕方に困ることはなかった。
データフォルダを開き、画像一覧を目にすると一番上に俺の写メが表示される。
俺はちらちらと阿賀松の顔を見上げながら、俺はその写メを削除しようとボタンを押した。
「その代わりに、俺と付き合ってよ」
画面に『削除しました』と文字が表示されるのと同時に、阿賀松はそんなことを言い出した。
なんでそうなるんだ。俺は阿賀松の顔を見上げる。
阿賀松は俺の手の中から携帯を奪えば、下品な笑みを浮かべた。
「はい、決定ね」
俺は、あまりにも突拍子のない阿賀松の言動に呆れて言葉も出かない。
阿賀松は携帯をポケットに戻しながらそう言った。
「な、なんで俺が……っ」
「人の話を最後まで聞かなかったのはお前だろ?」
「……でも、だからって、なんでっ」
「うるせえな、お前は黙って頷いとけばいいんだよ」
阿賀松は舌打ちしながら、口ごもる俺の腕を強く掴んだ。
一瞬殴られるかと思った俺は、とっさに自分の頭を腕で覆う。
「ああ、ユウキ君、いじめられてたんだっけ。悪いね、忘れてたよ」
優しげに囁く阿賀松は、にやにやと笑いながら腕を引き、俺を抱き寄せる。
次の瞬間、目の前にきた阿賀松の顔。唇に当たった柔らかいものに、俺は目を見開く。
不意打ちを喰らった俺は、あまりにもいきなりでなにが起こったか理解できなかった。
「な、なにし……」
「キスくらいいいだろ?付き合ってるんだから」
俺は付き合うなんて一言も言っていない。
腰に腕を回してくる阿賀松の肩を押し、俺は阿賀松から逃げる。
意味わかんないし、気持ち悪い。てか怖い。俺はゴシゴシと口許を拭い、阿賀松から顔を逸らした。
「お、俺は、付き合うなんて……」
「伊織さん、なにいってるんすか!」
俺の言葉を塞ぎ、どこからか現れた安久が声を荒げ阿賀松に近付く。
その後ろには仁科と呼ばれたあのチャラ男もいた。
なんだかここに来たせいで、更にややこしいことになっているような気がする。
「こんなつまんない奴と付き合うなんて、伊織さんらしくないっすよ!」
「……」
俺を睨みながら、安久は阿賀松の腕にすがり付く。
つくづく、嫌なやつだと思った。
だが、いまの安久は俺にとって助け船でもある。
安久の一言を聞いて阿賀松が、「ああそうだな。やっぱり付き合うなんてやめよう。お前つまんないし」と改心してくれるのならありがたい。
というより、そうしてくれないと困る。
「なに言ってんの、お前」
しかし、そんな簡単に上手くいくはずもなく、阿賀松は鬱陶しそうに安久を睨んだ。
「つまらないかどうかは、俺が決める。でしゃばんなよ」
「……ご、ごめんなさい」
阿賀松は安久の腕を払いながら、低く囁く。
阿賀松に言われ、安久はしゅんと小さくなった。
ざまあみろ。落ち込む安久を横目にそう思ったが、この場合は俺の方が不利になる。
「ってことでユウキ君……」
阿賀松がそう言いかけたとき、阿賀松の方から着信音が流れ出す。
阿賀松は携帯を取り出し、小さくため息をついた。
「悪いけど、俺そろそろ行くから。……ユウキ君、おやすみ」
阿賀松はわしわしと俺の頭を撫で、そのまま俺の前を通り過ぎていく。
「待ってくださいって!」安久はパタパタと阿賀松の後ろを小走りで追いかけていった。
「……」
ふと視線が気になり、仁科の方を見ると目があった。
仁科は慌てて俺から目を逸らし、なにを言うわけでもなく俺から逃げるように阿賀松の元へ走っていく。
騒がしい喧騒の中一人残された俺は、呆れたように三人の背中を眺めた。
無事目的を達成した俺は、阿賀松たちがゲームセンターを出ていくのを確かめた後、急いでゲームセンターを後にした。
あの空気の悪さには当分慣れることはないだろう。
エレベーターに乗り込み、俺は三階のボタンを押した。
阿賀松の携帯から画像を消すことが出来たのはいいが、更に面倒なことになったような気がする。
付き合うってなんだよ。動き出すエレベーターの中、俺は一人溜め息をつく。
もし阿賀松が「俺たち付き合ってる」なんて言い出したときには、「勝手にああいっているだけだから」と周りを説得させれば阿賀松の被害妄想だったで済まされる問題だ。
だからだろうか、俺には阿賀松が何を考えてるかわからない。
芳川会長の反応を見るために撮ったあの写真でさえ簡単に消すなんて、自分で言うのもあれだが頭がおかしいと思った。
まあ、俺からしたら有り難いのだけれど。
エレベーターが小さく揺れ、停まった。
もしかしたらその場の悪乗りだったのかもしれない。
俺はエレベーターを降り、未だ慣れない廊下を渡って333号室に向かった。
考えても答えがわかるはずがないのに、どうしても阿賀松のことを考えてしまう。
今日はもう、早く寝よう。きっと疲れてるんだ。
そう自分を納得させ、俺は一人頷いた。
ドアノブに手をかけると、すんなりと扉は開いた。しかし、部屋に阿佐美の姿は見当たらない。
無用心だな。部屋に上がり、阿佐美が戻ったときのため扉を開けたまま俺は電気を消し、ベッドに飛び込んだ。
寝よう。沢山眠って、記憶力が薄れ嫌なことを忘れてしまえばいい。
昨日よりもやけに疲れた気がするのは、やはり阿賀松のことがあるからだろうか。
枕の上に頭を乗せ、俺は何度か寝返りを打つがなかなか眠れない。
結構眠いはずなのに、やけに目が冴えている。
阿賀松のことを考え余計なことまで思い出したせいだろう。
そんな自分が物凄く嫌で、あまりの恥ずかしさに俺は顔が熱くなるのを感じた。
「……クソッ」
脳裏から阿賀松が離れない。俺は必死に違うことを考え思考を変えようとするが、それでも無理だった。
このまま寝たら、阿賀松が夢に出てしまいそうだ。
俺は気分転換をするためにベッドから降り、部屋の明かりをつける。
部屋全体が明るくなったのを確かめた俺は、部屋の中央に置いてあるソファに腰をかけテレビをつける。
相変わらず大して面白いものは放送していなかったが、それでも気を紛らすのには充分だ。
リモコンを片手に、俺はテレビを眺めていた。
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