犯罪者予備軍共


 02

 日暮の気を引くための演出とし自分の手で体に適当な擦り傷切り傷内出血を作り、サービスとし制服も所々ダメージ加工を施して置く。
 因みに、設定は俺に対して嫉妬を覚えた日暮の取り巻きたちにリンチされそうになって逃げてきたというあれだ。
 我ながら完璧である。
 なんてことを思いながら、屋上を降りたダメージ加工済み俺はそのまま保健室へと向かった。

 側を通りすぎていく生徒たちは相変わらず俺の存在に気付いていない。
 こういうとき、ターゲット以外から声を掛けられないのはなかなか便利だな。
 なんて思いながら、俺は保健室の前までやってくる。
 静かに扉を開こうとしたとき、不意に背後から「出?」と声を掛けられた。
 ここで俺の名前を呼ぶやつなんて一人しかいない。

「せ……先輩?」

 怯えたように目を丸くした俺は、慌てて背後を振り返りそこに立っていた青年もとい日暮一色に目を向けた。
 先程の女子生徒の体を背負っていた日暮は、俺の格好を見て驚いたような顔をさせる。

「……お前、それ……」

 さっそく食い付いてきた。
 切った口の端に滲む血と鬱血の痕に目を向ける日暮はじっとこちらを見据えてくる。
 心配する表情の裏、欲情した日暮の本性が垣間見えた。

「あ、すみません。入るんですよね。どうぞ」

 日暮の背にいる女子生徒に目を向けた俺は、そうわざとらしい笑みを浮かべながら扉の前から慌てて退く。

「出」
「……日暮君、どうしたの?」

 なにか言いたそうな顔をして名前を呼んでくる日暮に対し、おぶられていた女子生徒は不安そうに声をかけた。
 女子生徒には俺の姿は見えない。
 一人でごちゃごちゃ言っている日暮に呆れたような顔をする女子生徒。
 俺は彼女を一瞥し「早く手当てしてもらった方がいいんじゃないんですか」と日暮に声をかけた。

「……ああ、そうだな。わかってるよ」

 俺に促され、慌てて顔を逸らした日暮はそう言って保健室へ足を踏み入れる。
 このとき保健室には人気はなく、本来はいるはずである養護教諭は偶然席を外していた。
 日暮一色は二人きりの隙を狙って犯行に及んだ。
 ということは、第三者の俺が介入した今日暮は女子生徒に手を出すことは出来ない。
 もっと言うならば、今現在日暮の意識は俺で占められているはずだ。
 問題は、ここからだ。
 女子生徒か俺、どちらかがいなくなり二人きりになった瞬間日暮は動き出す。
 この場合女子生徒に出ていってもらうことになるわけだが、それがまた面倒な問題だった。

「先生いないね」

 日暮から降りた女子生徒は言いながら薬品棚に近付く。
 そこには予め俺が用意していた傷薬と大きめのガーゼが置かれていて、それを見付けた女子生徒は「あっ」と声をあげた。

「薬、勝手に使ってもいいのかな」
「……さあ、どうだろう」
「んじゃ、使っちゃお」
「一人で大丈夫?」
「うん、なんとか」

 静まり返った保健室内、会話を交わす二人を横目に俺も保健室に移動する。
 ちゃんと初心者でもわかるように用意してやったんだからどんどん使えよ、なんて思いながら俺は「先輩」と日暮に声を掛けた。

「先生いないんですか?」
「……みたいだけど、どうした?」
「薬塗ってもらおうと思ったんですが、なら仕方ないですね」

 小さく笑いながら、俺はそのまま保健室を後にしようとする。
 そして、日暮に腕を掴まれた。

「そのままじゃ悪化するだろ。薬ならあるから、傷、見せろよ」

 そう言いながらこちらに目を向けてくる日暮は俺の傷を凝視したまま続ける。
 よしきた、死亡フラグ立った。

 まるで傷口に話し掛けられているような気分になりながら、俺は「じゃあ、お願いします」と微笑んだ。


 日暮一色は怪我をした女子生徒を無人の保健室に運び、二人きりなのをいいことに「怪我の手当てをする」と女子生徒に迫る。
 その際少なからず日暮に好意を寄せていた女子生徒がほだされ、見事ベッドまで引き摺り込まれ何されるかとドキドキ淡い期待を寄せているところを日暮に踊り食いの食材にされるわけだ。
 第一発見者は養護教諭。
 悲鳴を上げ、暴れる女子生徒を押さえ込んでもぐもぐと体を貪っていたところをたまたま戻ってきた養護教諭が悲鳴に気付き、そこで発見される。
 そのときもう既に至るところを食い千切られていた女子生徒は虫の息で、真っ赤に染まった保健室のベッドの上で引き取った。

 これが、実際起きた事件だ。
 取り敢えずただ一言。いい人面してるくせに即ベッドってどうなんだよ。

 被害者となるはずだった女子生徒は俺が用意した傷薬で手当てを済ませ、保健室にまだ残るという日暮を置いて一足先に校庭へ戻った。そして、本来なら女子生徒がいるはずのそこには俺がいる。


 ――校舎内、保健室。

「……酷い傷だな」

 そう呟く日暮は、言いながら俺の顔に触れた。
 日暮の手に顎を軽く掴まれ、そのまま斜め上を向かされる。
 正面には日暮の顔があり、相変わらず日暮の目には俺の顔の傷が写り込んでいた。
 相変わらず、人の目を見て話さないやつだな。

「喧嘩でもしたのか」
「はい。まあ、人数が多くて流石にやばかったんで逃げてきました」

「あ、でも一対一なら絶対余裕で勝ててましたよ!」そう俺的無邪気な顔で続ければ、日暮は「バカ」と呆れたような顔をした。

「あんまり無茶なことすんなよ。……親御さんが心配するだろ」

 そう不安そうな顔をして続ける日暮は、確かに俺のことを心配してくれているようだ。
 慌てて目を伏せ、そう俺を宥める日暮に俺は少しだけ驚いた。
 本来ならば二人きりになった今即手を出してくるはずなのに。どうやら、記憶操作班の余計なキャラ設定が災いしたようだ。変に感情移入した日暮は、悲しそうな顔をする。おいおいさっさと襲えよ。躊躇ってんのか、こいつ。

「ごめんなさい、気をつけます」
「俺に謝るなよ。でも、本当無事でよかった」

「って、そう無事でもないか」そう苦笑を浮かべ自答する日暮は、再び俺の顔に目を向けた。
 目と目が合い、日暮は視線を逸らす。先ほどからちらちらこちらを見てくるので恐らく興味がないというわけではないのだろう。寧ろ、傷のことで頭がいっぱいなはずだ。
 しかし、それ以上に日暮は俺自身のことを思ってくれているのも事実のようだ。
 近付きすぎたか。楽しんでいたこの余計な設定が今はただ邪魔で仕方ない。
 殺されるためにわざわざやってきたのに殺すのを躊躇われるというとはどういうことだ。今度から記憶操作班にはキツく注意しておくようにするか。
 思いながら俺は日暮の目を見つめ頬を緩ませた。
 まあ、日暮が我慢しようと俺が煽るだけなのだけれど。日暮ぐらい我慢し続けた人間の理性なんてすぐ壊れる。今まで何百人も見てきた俺がそう断言するんだ、間違いない。

「ああ、これですか?多分、殴られたときに出来ちゃったのかも」

 言いながら俺は唾液で濡らした舌で血が滲んだ唇を舐める。
 ピリッと微かに小さな痛みが走り、口内に血液独特の錆びたような味が広がった。目の前の日暮の顔が僅かに硬直するのがわかる。
 本当、分かりやすい性癖だな。なんて思いながら、俺は舌を引っ込め「舐めとけば治りますよね」と日暮に笑いかけた。
 日暮に無理矢理唇を重ねられるのとそれを言い終わるのはほぼ同時だった。

「んっ、ふぅ……ッ」

 まさかキスされると思っていなかった俺は、貪るように口端に吸い付いてくる日暮に目を丸くした。
 別に男からキスされることに嫌悪を感じるわけではないが、俺が今まで監視してきたとき日暮は同性愛者らしい素振りを見せなかったから尚更日暮の行動に驚く。
 が、唾液でたっぷりと濡れた舌で嬲るように口端の傷を味わう日暮に、俺はこれがキスではないことに気付いた。
 ちぅ、と音を立て擦れた肌に滲んだ血を軽く吸う日暮の目的は間違いなく俺の傷のようだ。そのまま頬の薄い肉を唇で挟み、口の中に含めた日暮はそこに軽く歯を立てる。傷口に当たる日暮の歯が、そのままゆっくりと沈んでいく。
 皮膚にめり込むその感触に僅かに体を強張らせれば、そこで日暮はハッと目を見開いた。

「ぅ、うわ、ご……ごめん……っ」

 あと少しのところで踏み止まったのか、なけなしの理性を取り戻した日暮は慌てて俺の肩を掴み離した。
 いいとこだったのに止めるか普通。血で濡れた口許を手の甲で拭う日暮は、顔を青くしてそのまま保健室を後にしようとする。
 まずい。ここで逃げられてはまた最初からやり直しだ。
 タイムワープするのは楽だが、こんな簡単な仕事で何度もやり直しをするなんて俺の名が廃る。

「先輩」

 慌てて立ち上がった俺は、言いながら日暮の制服の裾を引っ張った。

「ごめ……離して」
「そんなに慌てなくても良いですよ。お腹減ってるんですよね」
「……っ」
「俺のこと食べたいなら好きなだけ食べていいですよ」
「なに言って……別に、俺はそういうつもりじゃ……」
「知ってますよ、俺。気付かないと思ってたんですか?いつも日暮先輩ったらじぃっと俺の体見てるので嫌でも気付きますよ」

 饒舌に話す俺に、狼狽える日暮はじわじわと顔を青くした。すると、制服の中に入れていた監視班専用携帯通信機が僅かに震え出す。普通異常が発生したときのみこうやって震動し出すのだが、どうやらなにか異常が発生したようだ。
 異常事態である現在異常の知らせがなるのは可笑しい。どういうことだ。
 日暮の隙を盗んで制服の中の通信機を取り出した俺はそれをこっそり見る。そして、顔をしかめた。

 通信機に表示された日暮一色のデータベース。そこに表示された日暮の犯罪欲求を示すメーターが点滅している。先程まで満タンだったはずのメーターは、徐々に減っていく。
 有り得ない。今まで犯罪欲求を解消するには実行させて発散するしかないと思っていただけに、いきなり起きたその異変に俺は冷や汗を滲ませる。
 そして、慌てて日暮に目を向けた。

「……ごめん」

 そうなんだかやりきれないような顔をして謝罪してくる日暮に、俺はなんだか鈍器で殴られたような衝撃に襲われる。
 なんだ、なんでそんな申し訳なさそうな顔をするんだ。
 対して、通信機の犯罪欲求メーターは平均以下まで減少する。
 もしかしてこいつ、萎えたのか。俺に。

「……なんか俺、疲れてたみたい。ちょっとそこで顔洗ってくるよ」

 そうどこか吹っ切れたように笑う日暮は、言いながら保健室に取り付けられた洗面台まで歩いていく。
 背中を向け、バシャバシャと顔を洗い出す日暮になにがなんだかわからなくなった俺は慌てて通信機を取り出し日暮のデータベースを調べ直す。

 犯罪欲求が萎えるなんて有り得ない。そうムキになってデータベースに目を走らせた俺は、とある項目で目を止めた。

 好きなタイプ。明るくて元気な人。守ってあげたくなる人。一途な人。
 苦手なタイプ――積極的すぎる人。

 この草食系犯罪者が。
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