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八月下旬、クーラーが効いた生徒会室に生徒会長・芳川知憲の唸り声が響く。


「……どうしたものだろうか」

「どうしたんですか?」

「いや、長期休暇が明ける前に校舎に清掃業者を入れることになってるんだがな……ある部屋だけ扉が開かないんだ」


困ったように校内パンフレットを眺める芳川の言葉に、副会長・五味武蔵は首を横に捻る。


「開かない?それって鍵が壊れてるってことか?」

「いや、鍵が回らないんだ。……まるで内側から突っ掛けをしてるかのように開かなくて教師にも相談したのだが、業者が入るのは明日だ。なんとしてでも間に合わせたいところだが……」

「えー別にいいんじゃないんですか?そこだけ開きませんでしたってことで!」


苦虫を噛み潰したような顔をする芳川とは対照的に、爛漫な笑顔を浮かべるのは書記の十勝直秀だ。
他人事のように笑ってのける十勝に、席についてパソコンを叩いていた副会長・栫井平佑は呆れたように眉根を寄せた。


「……どちらにせよ開閉が出来ない時点で学園側の不備だろ。気付いていて見てみぬふりして後からとやかく言われたら面倒臭い」

「ああ、と言うわけでお前らに確認してきて欲しい」

「ええー!俺も?!」

「そうだな。……おい、灘」


背後を振り返る芳川。
その呼び掛けに音もなく現れた生徒会会計・灘和真は「はい」と応える。


「お前にも頼んでいいか?」

「構いません」

「和真も?!っていうか、会長と栫井は来ないんすか?!」

「扉一つでそんなに人手は要らないだろ。それに、俺達はどっかの馬鹿がサボった分の書類が山積みになっててそれを崩さなければならなくて忙しいんだ」


芳川に睨まれ、どっかの馬鹿もとい十勝は「うぅ……ッ!」と言葉を詰まらせる。
そんな十勝を宥めるように、五味はその肩を叩き、声を掛けた。


「こうなったら仕方ねえ。さっさと行って済ませるぜ」

「うー……この後デートの予定あったのにぃー」

「デートの一つや二つ我慢しろ!ほら、俺達とデートだと思えばいいだろ!」

「ぜんっぜんときめかねえっすよー!」

「本当に十勝はデートデートと……。おい灘、何か進展があれば連絡しろ」

「了解です」


五味、十勝、灘の三名は生徒会室を後にする。
そんな三人の後ろ姿を、芳川は無言で見送り、そして扉が閉まると同時に息を吐いた。


「……何もなければいいがな……」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆


学園。特別教室棟一階、今は使われていない空き部屋が並ぶそこの中にその扉は存在していた。


「ここだな、例の開かずの間は」

「なんか、思ったよりも普通じゃん」

「ここは元々教材等を置いていたようですが場所が教室から離れているため、中を今ある倉庫に移したため現在は空き部屋となっているようです」

「ふーん、なら尚更無視していいんじゃね?これ。会長も本当細けえっつーかさぁ」

「文句言ってねーで手を動かせ、手を。ほら、一応鍵貰ってきてっから」


五味から鍵を受け取った十勝は「しかも鍵役俺かよ」と不満を漏らしながらもその扉に触れる。
そして、その鍵穴に渡された鍵を差し込んだ。


「……っと、あれ……?」

「やっぱり回らないか?」

「なんか、奥に突っかかってるみたいなんすけど、これ……」

「あんまガチャガチャやって鍵壊すなよー」


そんなこと言われても、と十勝は手を動かした。
……やはり、開かない。
段々イライラし始める十勝に気付いた灘は、そっとその肩を掴む。


「自分が変わります」

「おう、後は任せた」


十勝から鍵を受け取った灘は、場所を代わり、扉の前で膝をつく。
鍵の先で内部を探るように動かしてみるが、十勝の言うとおり何がが詰まっており、鍵自体奥まで届かないようになっていた。


「……ダメです」

「やっぱ、中に詰まってんのかなぁ……おい、一旦鍵外してくれ」


選手交代。五味に鍵を渡し、灘は扉の前から離れた。
そして、入れ替わるように扉の前で大きな体を傅かせた五味は鍵穴に触れる。
そして、そのまま鍵穴を覗き込んだ。


「っと……」

「何か見えますか?」

「いや、別に何も詰まってなんか……」


ない、と五味が続けようとしたときだった。
扉の奥を覗き込んでいた五味は慌てて扉から顔を離した。

そして、目を擦る。


「え、なに、どうしたんすか五味さん」

「……っ」

「五味先輩」

「……っ悪い、多分見間違えだわ……」


そう答える五味はどことなく歯切れが悪い。
後輩二人も、流石に先輩の様子がおかしいことにすぐに気付いた。


「……何か見えたんですか?」

「いや……」

「なんすかよもー、どうしたんすか?」

「……」


灘と十勝の声を無視して、再度五味は鍵穴を覗き込む。
そして、その目が大きく見開かれた。


「……ッ」


弾かれるように扉から離れた五味は、先程同様自分の目を触って確認していた。


「五味さん?……なんか変すよー?」


流石に笑えなくなって、五味を覗き込む十勝の隣。
五味の代わりに扉の前に立った灘は躊躇いもなくその鍵穴を覗き込んだ。
そして、


「……何も詰まってはないみたいですね」

「なに?」


その灘の言葉に一番に反応したのは五味だった。
続いて、十勝が不可解そうに首を捻る。


「ならなんで鍵がちゃんと入らなかったんだろうな」

「ちょっと……待て、灘、お前……何も見えなかったのか?」

「はい」

「……」

「なんすかもー、その言い方じゃなんか見えたみたいな言い方じゃないっすかー!俺達をビビらせようとしてるっしょ、五味さーん!」

「……ああ、そうだな」

「ちょっ、反応薄……っ」

「……」


五味は最後の最後まで様子がおかしかった。
まるで、自分の目を疑うような、首を捻っては考え込む五味に話し掛けない方がいいだろうと察した十勝は制服に忍び込ませていた携帯端末を取り出した。


「じゃあ、一応会長に伝えときますかねぇ。開きそうにありませんでしたって」

「……いや、その必要はない」


そんな十勝を制したのは、険しい顔をした五味だった。


「芳川には直接俺から伝えておく。……だから、お前らは先に戻っておけ」


いつもならお前がしろと口煩く言ってくる五味の態度が十勝は不思議で堪らなかったが、仕事が減ったということには変わりない。
これをラッキーと受け取り、言われるがまま五味を残して校舎を後にすることになった。

夕暮れ時の学園敷地内。長期休暇中ということで大半の生徒は帰省しており、酷く静まり返った学園はなんだか別の場所みたいだと、十勝は思った。


「しっかし、五味さんどうしたんだろうな、あんなにビビってる五味さん始めてみたわー」

「……」

「……和真?どうした?」

「いえ」

「そうかぁ?なんかさっきからぼーっとしてるけど」

「少し……右目が痛くて」

「右目?ゴミでも入ったか?見せてみろよ」


灘が痛みを訴えてくることが珍しくて、少し心配になって右側に回り込んだ十勝。
そして、赤く夕日に照らされた灘の顔を見て、静止する。


「え……ッ」

「……どうかされましたか?十勝君」


痛いと訴えかけてくる灘の右目、本来ならばその白目であるはずの部分には無数の血管が膜を覆い隠すように這っていた。


◆ ◆ ◆ ◆


十勝、灘と別れた五味は生徒会室へと戻ってきていた。
扉を開けば、目的の人物が一人、会長席に腰を掛けたまま出迎えてくれる。


「……芳川」

「もう戻ってきたのか。……二人はどうした?」

「先に帰した。……俺がわざわざここに戻ってきたのはお前に聞きたいことがあるからだ」

「なんだ」


あくまでも、芳川の態度はここを出る前と変わらない。
堂々とした姿勢を崩さない芳川が余計、五味の中で違和感でしかたなかった。


「……お前……あの空き部屋について何か隠してることがあるんじゃないのか?」

「何故そう思う」

「最初はただの鍵が詰まってるだけだと思っていた、けれど、そうじゃない。……見えたんだよ、鍵穴から、奥が」

「……ほう、何が見えたんだ?」

「……っ、目が……真っ赤に充血した目が……こっちを覗き込んでいたんだ……」

「……そうか、充血した目か」

「芳川、お前何か知ってるんじゃないのか?……あそこがなんで開かないのか」


そう、会長机を叩けば、芳川は手にしていたコーヒーカップを机に戻した。
そして、静かに目を伏せる。



「確かに、お前らを使うような真似をして申し訳なかったと思う。正直、これに関しては俺も半信半疑でな」

「何だと……?」


やっぱり、嵌めたのか。
今すぐ掴み掛かりたい衝動に駆られたが、芳川が顔を歪めるのを見て、ぐっと拳を握り締め、耐える。


「何か……訳があるのか……?」

「……そうだな、何から話せばいいだろうか。少し話が長くなるが……構わないか?」

「……構わない。文句は後でたっぷり言わせてもらう」


そうか、と芳川は小さく笑う。
それも束の間、レンズ越し、その表情から笑みが消えた。
同時に、周囲の空気にひやりとしたものが流れ始める。


「昔、あの空き部屋が倉庫だった頃、ある一人の教師が立て籠もりっていたことがあるらしい。……一人の生徒を人質にしてな」

「……立て籠もり?」

「生徒がいうことを聞かないこと、そのことで保護者たちからも責められ、社会的にも追い詰められた一人の教師の鬱憤が爆発したんだ。……よくある話しだろう」

「よくは、ないと思うけどな……」


確かに、昔誰かからそんな話を聞いたような気がする。
歴史のあるこの学園だ、裏口入学だとか賄賂だとか、どこかの資産家の生徒の不始末を教師が全て負わされるだとか……そんなことが当たり前のように横行していて時期があったということも。


「結果だけを言うならば、その教師はあの倉庫で自殺未遂を起こした。当時は問題になったが、所詮未遂だ。強行突破した警察により生徒は無傷で助け出され、その場で取り押さえられた教師は辞めさせられた。そして、数年も経てば当時の生徒はいなくなり噂は風化した。しかし、つい最近その元教師だった男がまた警察に調べられているようでな」


どうして、と尋ねるより先に、そんな五味の疑問を汲み取った芳川は目を細めた。


「……その教師だった男が殺されたようだ」

「なんだと……ッ?!」

「現場の様子からして他殺だという。五味、お前は新聞は読むか?ニュースは?……四十二歳独身の男が無残な死体となって近隣の林の中から発見されたという記事は見ていないか?」

「確かに、そんなことニュースで見た気がするが……それとこれとなんの関係があるんだって言うんだ……?まさか、男の霊の仕業で開かないとか言わないだろうな」


鍵穴の奥、真っ赤に染まった眼球がこちらを睨み付けていたのを思い出し、寒気が走る。
サブイボを紛らわすよう腕を擦る五味に、芳川は鼻で笑った。


「安心しろ。俺もそんなことでわざわざ動いたりしない。……そうだな、これだけでは関連性がないな」


「それでは、立て籠もり事件の際人質となって生徒の話をしようか」と、芳川は足を組み直した。


「その男子生徒は教師から解放され、無事保護されていたが全く嬉しそうではなかった。寧ろ『なぜ先生を苦しめるのか』『あの人を助けてくれ』と警察に掴みかかったと聞く」

「……ストックホルム症候群か」

「ああ、周りの大人たちはそう判断した。信じていた教師に裏切られたことにより混乱していると。……だから、生徒は教師との思い出がある学園から引き離し、カウンセリングという名目のため精神病院に通わされたようだ」

「……」

「しかし、生徒の心理状態は悪化するばかり。ついには教師を責める周りの大人に殴り掛かり、結局、傷害罪で捕まったよ。そして、その生徒がこの頃仮釈放された」


「……ッまさか」


関係ないと思っていた芳川の話が、ようやく繋がってくる。
血の気が引いていくのを感じながらも、五味は芳川の言葉待った。そして、それに応えるように芳川は小さく頷く。


「話を戻すか、五味。当時生徒だった男は姿を消し、その代わりに当時教師だった男は無残な死体となって現れた。元生徒は未だに見つかっていない。……そして、元生徒を容疑者として追う警察が目を付けたのはこの学園だ」

「ここにいるってのか、その犯人が……」

「ああ、思い出のあの場所にな。……勿論これは推測に過ぎない。しかし、いきなり警察が突撃するわけにも行けず、あくまでも生徒会の一行動として動くことしか出来なかった。……事情を知ってる俺が行って怪しまれるわけにはいかなかった、だから、お前らに任せたんだ」


「済まなかった」と、一言。
芳川は頭を下げる。それは一年の頃からの友人である芳川ではなく、生徒会長としての芳川知憲がそこにいた。


「す……済まなかったで済むと思ってんのか……っ!こっちはなぁ、まじでビビったんだからな!」

「しかし、お前のお陰であの中に何者かがいるということは分かった。すぐに『業者』に連絡しよう。……感謝するぞ、五味」

「……たくよぉ、お前はいつもいつも勝手にしやがって……」


いくら感謝されようが謝られようが酷い目に合わされようが、五味にとっては何も話してくれなかった芳川の態度の方が気に入らなかった。
そんなに大事になっているなんて露も知らず、アホ面して騒いでたと思うと情けなくて仕方ない。
けれど一人背負い込んで学園のことを考えていた芳川のことを思うと強く出ることが出来なかった。
遣る瀬無い思いに深く項垂れる五味、芳川は笑いながらその丸まった背中を叩く。


「お詫びに何か奢ってやる。好きなものを言え」

「……ラーメン」

「あぁ、あの屋台のだな。お前は本当脂っこいものが好きだな」

「うるせぇ、俺は怒ってんだからな」

「ああ、分かった。ならば黙っておこう」

「ックソ……」


また、なんだかんだ上手く丸め込まれているような気がしてならない。
けれど、芳川の話を聞いたあとでも五味は釈然としなかった。
そして街へ繰り出し、待望の屋台ラーメンを食べている最中にまで殺人容疑が掛けられている男と目が合ったことを思い出し、その度に麺が喉に詰まりそうになり、そのたびに芳川に背中を叩かれることになったのはまた別の話だ。


◆ ◆ おまけ ◆ ◆


長い夏季休暇が終わり、通常通りの授業か始まった頃。
休みのときはあれほど静まり返っていた学園は今は別の意味で盛り上がっていた。
なんと、校舎から今ニュースで騒がれている殺人事件の容疑者が見つかったという。
それも、首吊り死体として、だ。


「あぁ、思い出しただけで寒気が立つ……!死体だぜ、死体?!佑樹死体見たいことある?!」

「た、大半の人は見たことないと思うけど……」

「だろ?そんな死体と壁一枚隔てて並んでたんだぜ、俺、チョー怖くね?!」

「別にお前はついて行って騒いで何もせずに帰ってきただけだろうが」

「うっ、うるせーよ!お前だってゴロゴロしてたんだろ!どうせ!」

「一緒にすんじゃねえよ」


どうやら十勝たちがその異変に気が付いたのだというが……だとしたらぞっとしない話だと思う。
よくもいつもと変わらないテンションでいることが出来るな。
噂ではその死体の目は真っ赤になっていただとか、部屋は血の海だったとか、色々な噂が飛び交っていたが今となっては真偽を確かめることはできないし、第一、俺としてはあまり関わりたくない話だった。
ギャーギャーと騒ぐ十勝と栫井を横目に、俺は少し離れた位置からついてくる灘に目を向けた。
いつも物静かで存在感がないやつだと思っていてが、今日は特にだ。それだけならまだしも、俺には灘が気になる理由があった。


「……灘君、そういえばその目……どうかしたの?」

「ただのものもらいです」


右目を覆う白いガーゼは酷く浮いていて、それでいて、以前怪我をしていた志摩のことを思い出してしまうのでなんとなく気になってしまうのだ。
灘に限ってそういうことはないと思うのだが……。


「……」

「……灘君?」

「……齋藤君」

「すごい汗だけど……大丈夫?」


灘は、顔には出さない。けれどそれは別の形となって現れていた。例えば汗。例えば、表情筋の痙攣。灘の気持ちや表情とは裏腹の、身体的な部分で負荷が掛かっている場合は流石の灘のポーカーフェイスは崩れてしまうようだ。
ハンカチを手渡せば、灘は少しだけ迷い、それを受け取ってくれる。


「すみません、心配をお掛けして」

「そんなことないよ。でも、俺、ものもらいってなったことないんだけど……そんなに痛いの?」

「大丈夫です。その内すぐに慣れますので」

「……慣れる?」

「ご心配なさらずに」


そう一言、灘が口にした時、強い風が吹く。まだ夏の暑さを孕んだ、生暖かい風だった。


『……俺は、先生を救えたのかな』


青々と茂った葉がザァッと音を立て揺れる。その合間を縫うように、微かな声が聞こえたような気がした。


けれど、それもすぐに消えた。



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