▼ Add


※イチャラブ/薬物/死亡描写



「齋藤は、後悔してない?」

「え?」

「俺を選んだこと」


それは、卒業したから数ヶ月後のことだった。
引っ越してきたばかりの真新しい部屋の中、ソファーに座ったまま、志摩はそんなことを尋ねてきた。

確かに、俺は全てを切り捨てて志摩と一緒になることを選んだ。
それは志摩と一緒になりたいという自分の意志からだ。
だから、後悔なんて考えたこともなかった俺にとってその質問は愚問以外の何者でもなくて。
それは、志摩も同じと思っていた。
だからこそ余計、不安になってくる。


「……何かあったのか?」

「別に何もないよ。ただ、なんとなく気になってさ。もしかしたらこうなってなかったら、違う道があったんじゃないのかなって」


違う道。
志摩と一緒になる以外の道。

前は何度も考えていた。
どうしたら最善になるのか。
けれど、今ここにいるのは俺の最善だ。
寧ろ、その言い方ではまるで。


「志摩は後悔してるの?」


思い切って聞き返せば、少し困ったように志摩は笑った。


「ごめんね、そんなつもりじゃないんだ。言ったでしょ、ただの好奇心だって」


「俺は、齋藤と一緒にいられて嬉しいよ」余程顔に出ていたのかもしれない。
俺の顔に触れた志摩は、ぐにぐにと俺の頬を抓んだ。
そんな人の顔を弄ぶ志摩の手を掴み、俺はそっと握り返した。
微かに、志摩の目が揺れる。


「俺も……志摩と同じだよ」


「ずっと、ずっと、こうなることを望んでいたんだから」どのくらい前からだろうか、もしかしたら志摩と出会う何年も前からもそうなることを願っていたかのようなそんな錯覚を覚える程、その気持ちは強かった。
瞬間、頭の奥にぴりっとした痛みが走る。
けれど、それは些細なもので、志摩に指を絡められれば、それもすぐに気にならなくなった。


「……齋藤、本当、変わったよね」

「……そうかな、だとしたら志摩のせいかもしれないね」

「そういう煽り方するところ。本当、俺の性格分かってるよね」


目が合えば、当たり前のように唇を重ねる。
その感触は優しくて、触れるようなもどかしさすら孕んでいて。


「……っ、志摩」


唇が離れたかと思えば、すぐに唇を重ねられる。
触れ合うだけのキスに、余計恥ずかしくなってきた俺は耐え切れずに志摩の胸を小さく叩いた。
そんな俺を見て、志摩は笑った。


「ごめんね、不安にさせちゃったかな。でも本当、変な意味はないから安心して」

「うん……分かってる」


分かってる。
分かってるのに、何故だろうか、『後悔』という志摩の言葉が胸の奥深くに突き刺さり、なかなか抜けなくて。



記憶の奥底に眠っていた何かが小さな音を立てて軋み始める。

目を閉じれば、瞼裏に蘇る映像。
それは、志摩に殺されそうになる映像と、志摩を殺す映像だった。
ただの、夢ならよかった。
けれど、全身に吹き掛かる生暖かい血の感触、濃厚な鉄の匂い、志摩の怒声、何れも夢だと片付けるには些か生々しすぎた。

寝ようとしてもそんなものばかりが頭に浮かんで、耐え切れずに体を起こした俺は隣で眠っていた志摩の背中に声を掛ける。


「……志摩」

「どうしたの?……寝れないの?」

「……うん」


どうやら志摩も起きていたようだ。
頷き返せば、こちらを向いた志摩は俺に向かって手を伸ばす。


「ならこっちにおいでよ、抱き締めてあげるから」


笑う志摩。
本当、志摩は躊躇いもなく俺を甘やかそうとしてくる。
恥ずかしくなる反面、その優しさが今は恋しかった。
おずおずと志摩の腕の中に身を埋めれば、志摩の体が強張るのが分かった。
どうしたのだろうかと顔を上げれば、微かに顔を顰めた志摩がいて。


「……正直、驚いたな。まさか齋藤がここまで甘えてくれるなんて」

「……ごめん、鬱陶しかったかな」

「そうじゃないよ、嬉しくてビックリしてるの。……ほら、もっとくっついて。……こうすれば寝れるでしょ、多分」


言いながら、俺の体を抱きしめる志摩。
……温かい。
ずっと、求めていた志摩のぬくもりに全身の筋肉が解れるようだった。

ずっと、この腕に抱かれて眠っていたかった。
一生目が覚めなくてもいい。
ずっと、このままでいたかった。
志摩と一緒に、このまま。


けれど、それも束の間のことだった。
腹部、突如襲い掛かってくる鈍い衝撃に内臓を抉られ、激痛とともに目を覚ます。
吐き気がする程の濃厚な血の匂い。
薄暗い視界の中、嫌な赤がチラついた。


「ユウキ君」


名前を呼ぶ低い声は志摩の柔らかい声とは違うものだった。
聞きたくなかった、二度と。その声を。
目を大きく開けば、まず鈍く光る革靴の先端が視界に入る。
そして、コンクリートの床と、


「またお前トんでたぞ、よっぽどいい夢でも見てたのかぁ?ずーっとニヤニヤ笑ってたぞ」


前髪を掴まれ、力任せに引っ張り起こされる。
そこで俺は自分が床に倒れていたことを知る。
けど、そんなことは今どうでもいい。


「……志摩……は……っ」


先ほどまで、隣にいたはずの志摩はどこにもいない。
探そうと首を動かすが、見当たらない。
それどころか、目の前のこの男は、阿賀松は、なんでここにいるんだ。
確か、俺は、阿賀松から逃げられたはずなのに。なんで。


「はぁあ?まーだあんなやつの名前覚えてんのかよ。てめぇも懲りねえなぁ」

「嫌だ……っ、志摩は、どこに、志摩……ッ」

「方人、やり直しだ。掴んどけ」


「はいはーい」


すぐ背後から声が聞こえてきたと思えば、次の瞬間床へ投げ捨てられる。
まるで全身の筋肉が蕩けたように力が入らず、ろくな受け身も取れないままコンクリートに叩き付けられる体。
それもすぐ、背後にいた縁に抱き抱えられた。


「っと、大丈夫?本当伊織ってば変なところで潔癖症なんだからさぁ。……ごめんね、齋藤君、伊織は君が真っ白な状態じゃないと受け付けれないみたいなんだ」


まだ覚醒しきっていない頭の中、縁の声がやけにぐるぐると響いた。
恐らくこの石張りの場所のせいだけというわけではないだろう。
体が、自分のものじゃないみたいだった。
腕を掴まれ、袖を捲り上げられる。
縁によって剥き出しにされた腕にはまだ癒えていない無数の傷が切り刻まれていて、それ以外にも、小さな針を刺したかのような無数の跡がそこに残っていて。
なんだこれ、と目を見張る俺を他所に、小さな注射器のようなものを手にした縁に全身が強張る。


「っ、な、に、し……」

「ほぉら暴れない暴れない。……針が血管の中に残ったら大変なのは齋藤君だよ?」


押さえ付けられる腕。
なんの用意もなく、躊躇いもなく針の先端が皮膚を突き破り体内へと侵入してくるのを見て、全身が緊張した。


「ッ、ぁ、……あ……あぁ……」


冷たい針の感触に、喉の奥から声が溢れ出した。
針の先端から何かが押し出されるのを感じ、胸の奥、仕舞い込んでいたものが一斉に溢れ出す。
この感覚は、初めてではない。
もっと前にも、こうやって俺は縁に押さえ付けられ、注射されたことがある。
触れられた箇所の神経が鋭利になるのを感じた。
異物感が強まり、まるで鉄パイプを腕に突き刺されてるかのような恐怖に全身が、震え始める。

思い出したのは、注射のことだけではない。
あの時、俺は。


『齋藤、どうしたの?そんな顔をして』


今みたいに、変な薬を注射された俺は、阿賀松にナイフを渡されて、

それで。


『……齋藤、それ、なに?』


朦朧とする意識の中、目の前の人間が誰かと認識出来ない程低下した脳みそでナイフを握っては阿賀松に言われるがまま目の前のそれを刺した。無我夢中で、何も考えずに。そうすれば阿賀松は俺を解放して志摩に会わせてくれるといったから、だから俺は阿賀松に従ったのに。

薬の副作用が切れ、次第に晴れていく意識の中みたものは全身に無数の刺し傷を負った志摩だった。

……あぁ、そうだった。
全部思い出した。
俺が壊したんだ、志摩の夢も、自分の夢も、全部、俺が。
遠退く意識の中、今度こそ、全てが持っていかれてしまうのを感じた。
呑み込まれる。
けれど、俺は、それに抗わなかった。
こんな記憶ならば、全て捨ててしまえばいい。
その代わりに、夢の中のあいつに会いに行くんだ。

今度こそ、二度と離れずに済むように。
……二度と、目が覚めなくて済むように。


おしまい
Browser-back please.