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【志摩亮太の場合】


どこから間違えていたのかなんて考えただけで時間の無駄だ。


『齋藤……?』


血が止まらない。
齋藤の体から溢れる血が。


『齋藤、起きてよ。あいつらが来ちゃうよ』


早く逃げないと、そう手を掴めば齋藤が握り返してくれたような気がして。
けれど、それも束の間。
ずるりと力なく落ちる手を、俺は強く握る。


『齋藤、約束したじゃん、ずっと一緒にいるって』


申し訳なさそうに齋藤が笑う。
何かを訴えかけようと齋藤の口が動くが、溢れるのは血ばかりで。


『齋藤の嘘つき』


辛うじて、その唇の動きから齋藤が何を発しようとしていたのかはわかった。


『嘘つき』

『ごめんね』


そう、齋藤は目を閉じた。
最後の最後まで、齋藤は謝っていた。
謝ればどうにかなる問題ではないと分かってるくせに、齋藤は笑っていた。
笑っていたんだ。


◆ ◆ ◆ ◆


人間というのは不思議なものだと思った。
確かに俺は、死んだはずだ。
齋藤の死体の前、散らばったガラス片で首を掻ききった感触は今でも鮮明に残っている。
そのはずなのに、俺は当たり前のように目を覚まし、当たり前のように教室に存在していた。
4月上旬。
新しいクラスが決まり、色々な行事も始まる。
けれどどれも俺にとっては見覚えのあることばかりで。


「それじゃ、あとはクラス委員だけか……。あとどの委員にも入っていないのは……」


だから、この流れにも。


「俺、やります」


次の担任の言葉を待つより先に、俺は自分から手を上げる。
ざわつく教室内。
本来ならば嫌々やらされていたクラス委員だけど、この役割があったからこそ齋藤と一緒いられるようになった。


「お、いいか?そうか、ならよろしくな!」

「任せてください」


そう分かってる今、自分から選ぶ以外選択肢はない。
なのに。


「転校生は……いない?」


四月が過ぎ、五月になった頃。
転校生どころか転校生の話題すら挙がらないこの現状に痺れを起こした俺は担任の元へ向っていた。


「まあ、普通なら二学期からだからな。あんまりいないぞ、こんな時期に入ってくるのは」


とっくに齋藤が来ててもいいはずなのに、これでは話が違う。
頭を殴られたようなショックは簡単には拭えなかったが、それでもはいそうですかと諦めることは出来なかった。
ネットで、以前齋藤が通っていたと言っていた高校を調べる。
その高校はこの世界でも実在していた。けれど。


「遠いな……」


容易に行ける距離ではない。
それでも、このまま齋藤がいない時間をただのんべんだらりと過ごすくらいなら一日二日休みが潰れても構わない。

思い立ったら即日。
俺は齋藤の地元へ向かった。

長時間電車に揺らされ、途中何駅か寝過ごしながらも辿り着いたのは田舎も田舎、クソ田舎だった。
ビル一つ形がなく、それどころか全体的に背の低い建物ばかりのお陰がその空の青さがやけに目に染みた。


「ここが……」


齋藤が過ごしていた場所。
そう思うと、緊張してくる。
中高生の齋藤がこの駅の前でちょろちょろしていたのかもしれないと思うといても立ってもいられなくなる。
けれど、俺は遊びに来てるわけではないのだ。
早く、齋藤を。
そう思い、携帯を開いて齋藤の高校を探そうとするがなんということだろうか。圏外。
どんだけ田舎だよ、と思いながら辺りを見渡すも人気はない。
仕方なく、適当な店に入ることにした。

そして丁度花屋の前、人を見つける。


「あの、すみません。……S高探してるんですけ」


「ど」と、花屋の男を見た瞬間、俺は凍り付いた。
黒い髪、けれど、俯きがちなその目、困ったような下がり気味の眉尻には、見覚えがあった。否、忘れるはずもない。ずっと頭の中で描いていた、そいつが、目の前でエプロン着て花を弄っていて。


「え、あ、俺……ですか?……S高ならちょっと離れてますけど」

「……」

「どうせなら、タクシーとかの方が……」

「……齋藤……」


「え?」


目の前の男が目を丸くしたことで、ようやく俺はハッとする。


「あ……ああ、すみません……知り合いに凄く似てたので、つい」

「あはは、そうですか。でも吃驚した……俺の名前、齋藤なんですよ」


「もしかしたら、本当に知り合いかも知れませんね」そう笑う齋藤に、今度こそ言葉が出なかった。
あの頃とは違う、明るい自然な笑顔。
それは俺が見たことのないもので。


「おーい、齋藤くーん」

「あ、はい!今行きます!」


不意に、店の奥から男の声が聞こえてくる。
慌てた齋藤はなにやらメモを書き始め、そしてそれを俺に千切って渡した。


「あの、そうだ、これ……S高の地図です。下手くそだから見にくいかもしれませんけど……」


拍子に指が触れ合う。
けれど、齋藤はあの頃のように恥じらうこともなければなんでもないように笑っていて。


「いえ……ありがとうございます」

「それじゃ、失礼します」


齋藤が店の奥に引っ込む。
メモに殴られた歪な図も、字も、全て、見覚えがあった。
それは齋藤の字だった。


「……こんなところに、いたのか……」


触れ合った指を舐める。こんなんじゃ齋藤の味はしない。分かっていてもそれでも、齋藤の感触を少しでも確認したかった。


「……齋藤」


運命、というものを信じていなかった。
けれど、これは、これは運命以外のなんにでもないだろう。そうだろう齋藤。

暫く、学校には帰れないな。
なんて思いながら、俺は花屋の前を後にした。


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