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【栫井平佑の場合】


「やべえ、これ締め切り明日じゃねーかよ!」

「え、まじですか!」

「ちゃんと分別しとけっつったろ!ああ、クソ!」

「……」

「おい、栫井書類読むフリしながら寝てんじゃねえ!起きろ!」

「……皆さん元気ですね」

「日頃からちゃんと一つ一つ崩していかないからそうなるんだ」

「く……ッ耳が痛え……」

「あ、和真、俺にもお茶ちょーだい!」

「あ、俺も……っておい、栫井!いい加減起きろ!」

「起きてますよ。……目瞑ってるだけです」

「瞑るな!カッ開け!」


相変わらず、騒がしい生徒会室内。
主に五味先輩と十勝のアホが騒いでるだけだけど。
眠気の取れず、瞼を擦る。
もう一度、目を閉じた時だった。


『お前、齋藤佑樹って知ってる?』


ああ、最悪だ。思い出したくもないやつの顔を浮かべてしまい、つい目を開けてしまう。


「…………」

「あ、おい、お前なに逃げようと……」

「小便です」

「ったく、早く戻ってこいよ」

「……」


騒がしい生徒会室を後にし、廊下を出る。
生徒会室とは対照的に静まり返ったそこはなんだか、冷たく感じた。


「……齋藤、佑樹……」


阿賀松伊織に尋ねられた固有名詞を口にする。
そんな名前、記憶にない。
聞いたこともない。はずなのに。


「……齋藤」


馴染む……というには語弊がある。なんか、口にしやすいというか、まあ……確かに珍しい苗字じゃないしな、別に。
なんて、1人考えていた時。

『栫井』

脳裏に、聞き慣れない声が響く。
それは五味先輩でも十勝のアホでも灘でもない、知らない声。
それなのに、その声に、異常なくらい心臓が反応するのが分かった。


『栫井のことが、放っておけないんだ』


なんだ、これ。
こんなの知らない。知らないのに。


『同情じゃ、ダメなのかな』


気が付いたら、汗が滲んでいた。
理解不能な息苦しさが腹立たしくて、それ以上に、思い出せない自分に苛ついて、気にしないようにしよう。そう思えば思うほど、あの声が止まらなくて。


「平佑」

「ッ!」


突然、背後から呼び掛けられ、全身が硬直する。


「会、長……」

「トイレに行くんじゃなかったのか?」

「……今から行きます」

「そうか」


「早く戻ってこいよ」そう、何気なく呟かれたその言葉に一瞬、耳を疑った。


「……え」

「五味たちが死ぬ。少し、手伝ってやれ」


それだけを言えば、生徒会室へと戻る会長。
『手伝ってやれ』そんなこと、言われたことなかった。
自分が認められた、なんて自惚れだと分かっていてもそれでも、会長にそう言ってもらえたことが信じられなくて。


「……分かり、ました」


その声は、会長に届いてないだろう。
それでも、届いていなくていいと思う。
だって、これくらいで声が震えるなんて知られたら、きっとあの人は笑うだろう。だから。


『栫井なら、仲直りできるよ。……ずっと、栫井は会長のことを考えていたんだから』


聞こえてくる声が、今の俺に言ってるような気がして。
嬉しいはずなのに、喜ばしいことのはずなのに、最後まで思い出せないその記憶に、胸の奥の穴は空いたまま生ぬるい風を通していく。

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