いやな夢だった。 悪夢の延長のような感覚で覚醒した。此処が夢の中なのか現実なのかわからなくて、一瞬で飛び起きる。焼け野原じゃなくて、見慣れた白い壁紙と寝る前に脱ぎ捨てた服を目にして、それでやっと、ああここは『あの時』じゃない、そう感じることができた。 いやな夢だった。 ふと、とても疲れた気がして、体を重力に任せる。背からベッドに倒れ込むと一気に倦怠感がまとわりついて、汗で体に張り付いたシャツとか気持ち悪いくらいに拍動を続ける心臓とか、それが全部気分の悪さを増長させるだけだった。 ―――いやな夢だった。 もう一度心で呟いて、目を閉じる。またあの夢へ落ちてゆかないように、意識だけは張られた弦のようにしっかり保ちながら、抱えた不快感を吐き出すように深く息を付いた。 俺が死ぬ瞬間の夢だった。 今じゃ絶対にあり得ない死に方だったけど、一回経験したあのリアルさは数百年を越えても魂が覚えている。 立ってるだけでやっとだった俺の体に深々と突き刺さる刃。耳に馴染んだ彼の声が叫んだ俺の名。その時、世界は彼の声しか存在しないんじゃないかと思うくらいの、悲鳴だった。 力が入らない脚、のどからせり上がって気管を塞ぐ血の塊。痛みなんかとうに無く、でもここで倒れるなんて自分でも許せなくて、動かすだけで酷く体力がいる腕を、その腕に持った大手裏剣を、背後へ叩きつけた。刃を通して伝わる肉を断つ感覚に、やっと安堵し力が抜けて、地面へ倒れ込んだ。拍子に抜ける刃の感覚が不愉快だったけれど、全て抜けてしまえば楽になった。そのまま闇が下りる意識へ、だれかが必死で呼ぶ声が触れる。わかっている、この暑苦しくてうるさくて愛しくて仕方がない気配は自分の主に他ならない。 体を起こされ、薄らと目を開けると今までに見たこともない旦那の顔があった。泣き出しそうな、でも絶対の理性で涙をせき止める痛ましいほどの彼の顔に、ああ俺はこの人を泣かせてしまったと悟った。 涙は決して流れていなくて、旦那の頬は乾いていたけど、きっと絶対、絶対を信じなかった俺が言い切れるほど絶対に、彼は泣いていた。 何度も俺の名を呼ぶその人を少しでも安心させたくて、俺は最後の力で腕を上げる。殆ど動かなかったけれど、旦那は気づいて俺の手を掴む。祈るように俺の手を握って、また泣きそうな顔で名前を呼ぶから、俺は掠れる喉へ息を通す。すぐさま答えを返してくれた彼をたまらなく大切に思った。 さすけ、さすけ。さすけ…… ―――夢はそこで終わりだ。 はあ、と肺のそこから息を吐き出す。 俺はあのあと死にかけの声で軽口を叩いて、旦那は気丈に笑って頷き、声を震わせながら俺に労いと感謝の言葉を言う。最期に堪えきれないように呟かれた「死ぬな」の言葉を最後の感覚で捉えて―――俺の生は終わる。 目元を覆った腕に水の感覚があったから、目尻に指を這わせると濡れていた。 ああ、駄目だ。 脳裏に浮かぶ、今生でまみえた彼の笑顔に、死の間際に見た泣き出しそうな顔が重なり切なくなった。 胸の奥がぎゅうと苦しくなる。 旦那に会いたい。 会って抱きしめて彼の心音を確かめたい。 「だん、な」 ぼんやりと、形を確かめるようにその名を紡ぐ。 「あいたい」 「…ここにおるわ、馬鹿者」 鼓膜を揺らしたその声に、がばりと身体を起こす。 憮然とした表情の幸村が、レジ袋を手に立っていた。 「え、な…」 「今何時だと思っている。コールしても出ないから見に来た」 聞かれてた、てか何でここに。 「…何か約束とかしてたっけ」 言えば、ぐっと幸村が眉を寄せる。 「…金曜、早退しただろう」 ぱちりと目を瞬く。顔を背けながら、幸村がぐいとレジ袋を押しつけてきた。見える頬が赤い。レジ袋の中を見るとスポーツドリンクやヨーグルトで溢れている。 「…もしかして、心配してくれたの?」 訊ねると幸村は頬を染めたまま、きっと強い眼差しを向けた。手を伸ばせば届く距離から発せられた鼓膜を貫く怒鳴り声に、思わず両手を耳に持っていく。 「心配したに決まっているだろう!インフルエンザが大流行したときでもへらへらと平気そうに笑っていたお前が体調を崩すなど、俺が心配しないとでも思ったのか!」 さっきからの愛おしさが急にぐわりとふくれあがる。 「……ッ」 たまらず幸村をベッドに引っ張り込んだ。 「大体お前はいつも俺をごまかして―――うおぁっ!?」 悲鳴を上げてどさりと倒れ込んだ彼の背に、間髪入れずぎゅうと抱きつく。 「なっ、佐助何を…!!」 「ごめん旦那、ちょっとこのままにさせて」 暴れようとする幸村の背に顔を埋めて、ぽつりと呟く。自分の声が置いてきぼりにされた子供のようでおかしかった。幸村がぴたりと動きを止める。 「何かあったのか」 前に回した腕へ、幸村が触れながら言った。なぜだか目の奥がじんと熱くなって、少し彼を捉える腕に力を入れる。 「…いやな夢をね、見た」 「夢は普段見ないお前がか」 「俺が死ぬ夢」 「……」 「あんたが泣きそうな顔してるのが辛かった」 「……」 伝えたくてたまらない何かを言いたくても、声が震えそうで出せなかった。 あんな顔をさせてしまった俺の罪の重さに絶望する。 死ぬな、なんて彼の願いを壊した自分に嫌気がさす。 たまに夢で見るあんたの泣きそうな顔に、また訪れるかも知れない別離の瞬間を思って怖くなる。 それでも俺に、あんたから離れるなんて選択肢は最初から無い。 「旦那」 「なんだ佐助」 「俺の前からいなくならないでね」 腕の中の体温が愛おしい。彼の存在に涙が出そうになる自分はきっともう彼無しでは生きていけない。 「…お前こそ、俺より先に死ぬな」 ぐるりと、幸村が腕の中でこちらを向く。どこまでも真っ直ぐな視線が佐助を見る。微笑んで、ぎゅうと抱きついた。 「それは駄目」 「何故だ」 「俺は生きてる限り絶対にあんたが死ぬ所を見たくない」 「俺とて同じだ」 俺にお前を看取らせよって。幸村の声に、佐助は笑った。触れる高い体温が心地良い。 「…ねえ旦那」 「…何だ」 「俺さ、ずっとここにいるから」 きっと絶対、絶対を信じない俺が絶対だと祈るくらい確かな確信。 俺様はあんたの影だから。そう言うと、最初から知っていると返され、きつく抱きしめられた。愛しくて仕方がない彼へ笑いかけ、すきだよ旦那、とささやいた。 ならば二度と離れるな。 彼の言葉を抱きしめて、二つの心音を感覚に捉えながら目を閉じた。 現代佐助はきっと自分にルーズ |