男泣き | ナノ




私と虎と男


 午後四時にしては明るい。気付けばいつも夏なのだ。けれどわたしは汗ひとつかかない。清潔で正しい台所にはまな板を置いていた。魚を焼いたり捌くようになったりするのは結婚をしてからで、それまでわたしは魚に触れる事もなかったから、こうして少しずつ変わっていくのだろう、と、いつもぼんやりと思う。
 鯵。まな板の上で、腹を上にしてエラブタを包丁で抑える。エラの曲線に沿って包丁を入れエラの付け根を切る。生臭い魚の匂いはじわじわと指の先に浸み込んでいくのが分かった。このまな板を包丁が叩くかたい音は、どこも一定なのだということに、思わず泣きそうになる。
 窓の格子の向こう側では、赤々と夕日が揺れている。夜になる前、彼はもうすぐ帰ってくる、この家に。わたしは彼の好きな魚を焼いて待つ。わたしを愛する彼と彼を愛するわたし、きっと幸せになる。幸せになれる。そう思う。恐らく、わたしはそれを待っている。待たなくてはいけない、待つ、待つ、待つ。
「幸せになれるかしら」
 声は真下に落ちる。
「ねえ、とらちゃん」
 思い浮かべてもここにいない。
「どうしても」
 目を瞑る。あと何十年こうして同じ動作を繰り返すのだろう。息を吸って、吐いて、それから手を止めた。本当は今すぐ、全て捨て去りたい。
「わたしはやっぱりアナタがいいわ」







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