結婚した男は存外、いい男だった。

年は私より大分上だった。だからこそ落ち着きがある。知恵がある。
口調や仕草ひとつとっても穏やかで人を安心させる。何より、笑った顔がとてもやわらかで。
素敵な人というのはこういう人を言うのだろうと思った。

「こんな小娘に媚を売るだなんて、恥ずかしくないの?」
意地の悪さが理性に勝って、そう言えば彼は笑った。ははは、と。
人に媚を売って、それでその人と仲良くできるならいいじゃないか、と。
私の周囲にはいない性格の人だ。私にも国にも誰が何が相手でも真摯に向かいあう人だ。

「色んな人を不幸にしてきたというのに、私は貴方の傍にいていいのかしら」
「おや、私のことを気にしてくれてるのかな。嬉しいね、光栄だよ」
「まさか。私が人を気にするなんて。違うわ、見当外れもいいところよ」
「それは残念だけど…どうかしたのかい、突然妙な事を言いだして」
「…幸せだと、感じた気がするから。私は幸せになってはいけないのに」
彼の穏やかな笑い声は。優しい息遣いは。やわらかな体温は、

「君は幸せになっていいはずだよ。今までよく頑張ったね、君は優しい子だ」
胸の奥にあったはずの何かを溶かして溶かして外へと導いてくれる。

彼の言葉を否定する気持ちは確かにあったのに、声にはならずに代わりにと出てきたのは涙だった。
もしかしたら私は彼の言葉を待っていたのかもしれない。引き出させたのは私かもしれないが、とにかく、とにかく、嬉しかった。

彼の子を欲しいと思った。
それはすんなりと叶った。日に日に腹が膨らんでいく。
男か女かと気にする私に彼は笑ってそんなことは大した問題ではない、と。

「君に似るといいな。きっと可愛いよ」
「こんな落ち着きのない髪色は困るわ」
「私もこんな情けない眉の形は嫌だなぁ」
くだらないことで私達が笑い合ってるうちに子は腹の中で育っていった。
産む最中の恐ろしい痛みと悪い記憶が思い出されるあの時間は二度とごめんだった。
けれどもそんな思いも無事に健康そうに産まれてきた子の顔をみたら吹き飛ぶ。
男の子だった。顔立ちはどちらかというと私に似ていたが髪色や瞳の色は彼に似ていた。
すくすくと育っていく我が子を見て幸せだと確かに感じていた。

「貴方が幸せそうだと私も嬉しいのです」
子をあやしている従者がふとそう言った。
いつかの言葉通りずっとついてきてくれていた彼女には何度お礼を伝えても足りないだろう。
いつもありがとう、とお礼を告げると彼女は照れたように顔をそらしてまた子をあやした。

「おかあさま」
我が子の為なら何でも出来るというのは大げさなことではないだろう。
私を呼ぶ声に反応して日に日に大きく重たくなる体を抱き上げる。

「今日は何をしてきたの?お父様の所へ行ってお話しましょうか」
「はい!…でも、おとうさまはお疲れなのではありませんか?」
「だからこそです。お前の顔を見たらきっとすぐ元気になるわ」

それからしばらくして、父が死んだという連絡が入った。