縁談の話が来た。
ほっと安堵するような思いと胸を内側から火で炙られるような感覚があった。吐き気がしたが吐くものはないらしい。

「私の価値なんてこんなものなのでしょうね」
私の大切な、優しい、可愛い、従者が口を開く。声を出す前に制すると俯きがちになり、言葉を飲み込んでいた。
離れたら忘れることが出来るだろうか、と問うと彼女は小さく遠慮がちに頷く。
ついてきてくれるか、と問うと彼女は力強く頷いて私を真っ直ぐと見つめる。

「貴方様となら、どこまでもご一緒に行きましょう」
私は本当にいい子を捕まえたものだと笑った。そして彼女は悪い人に捕らわれてしまったものだと憐れんだ。

結婚の話がでたとき、私は安心したんだろう。
ここではとても生きるのが難しいから。
離れたくないという気持ちも確かにあるのに。
そもそもが離れたところで普通に生きていけるともかぎらないのに。
遠い国の見ず知らずの年老いた男と結婚する。
改めて思い返せば生まれたときから馬糞みたいな人生だったのだ。

男に、生まれていたのなら。
母は私を愛してくれただろう。
父だってもっと私をみてくれた。
兄や妹たちとも…
それに、なにより、私はあの人に恋い焦がれ、こんな苦しい思いをしなかったはずだ。

夜も更けふらふらと廊下を歩いていると白龍と会った。
彼は私を見るなりあからさまに顔を歪めて立ち止まる。
それから結婚おめでとう、とそんなことをいうのだ。
あの人に似た顔でだ。
私が声を上げて笑うとますます不愉快だという顔つきで彼はこちらを見ている。

「良かったわね、これで少しは貴方たちも生きやすくなるんでしょうね」
言いながらとても悲しくなってきた。
私は、別に誰かを恨んでるわけではないはずなのに。
誰かを恨んだって仕方ないとわかっているから。
白瑛はとてもいい人なのだと知っているというのに。

ああ、そうだ、私はただ、悲しいだけなんだ。

「このまま私も、死んでしまえたらいいのにね」
ふと白龍をみれば彼は目を見開いていて、そんな悲しいことは言わないでくれと言った。
どう考えても私を好意的には見てないはずなのに、彼はとてもお人好しらしい。

しょぼしょぼと座り込む私に彼は駆け寄り心配そうに、する、から、
貴方は白雄様にとても似ているのね、と言って寄りかかった。
彼の体温は、息遣いは、彼が生きている人間だと私に理解させるには十分だった。

彼の瞳をみるとどうしても、どうしても、私の心は揺れるのだ。
ばさばさ揺さぶられて胸の奥がぐちゃぐちゃかき回されて死んでしまいそうになるのに、のに、私は生きてる。

「…はくゆう、さまぁ」
じわじわと歪んでいく視界の中で熱に溶けた声が、固まった言葉がぼろりと口から出て行く。
しくしくと泣きながら私の震える喉は、その奥の気道は、望んでもいない気体を取り込んで私のしんのぞうを動かす。

こんなにもこんなにも貴方がいない世界は寂しくて辛いのに。
今にも死んでしまいそうなのに、もう貴方はいなくて、助けにきてもくれなくて。

それでも喉の奥にべったりと張り付いた言葉は、気体に溶けて人体に留まろうとする。
本当は、吐き出す場所を欲しがっているのに。

「どうしてわたしをおいていってしまったの」
「いっしょにつれていってほしかったのに」
「だって、わたし、まだ貴方のことが、」

私が本当に彼との行為中にそう言ったことを口にしたか定かではないが喉の奥に張り付いたそれはまだ私の中にあるようだった。

眼が覚めて裸の相手をみて正常心でいたわけではない。
なんてことをしたのか、これからどうすれば、などひとしきり考えた後どうでもよくなった。
死ぬのだって怖くないのに今更何を思い悩むというのか。
最後に自分の髪色とは全く違う黒髪を撫でてやって部屋を出た。

妹が悲しそうに行ってしまうのね、もう気軽に会えなくなるのね、といって泣き出した。
幸せになってくださいどうかどうかと泣きじゃくりながらそう言ってた。
それをみるとなんだか不安だった気持ちも落ち着いて穏やかになった。
彼女の頭を撫でてやりながら大丈夫だ、文を送ろうと言い聞かせ笑ってみせる余裕さえでてくる。

もしかしたら私はそこまで不幸でもないのかもしれない。
胸の奥に留まる何かは溶けて溶けて体外に出ていきそうな、そんな気がした。