ある日厨房に向かうと梨を抱えた彼女の従者に会った。
何をしているのかと聞けば彼女が梨が食べたいとぼやいていたらしくくすねたのを持っていくらしい。
主思いで信頼関係も強いのだろう。素晴らしいと思う。
しかし屋敷の者に話す内容でなければ更に第一皇子である俺に言うなよと咎める。
しかし彼女が食べたがっているならば目をつむろうと思っていたところで彼がむしゃむしゃと食べ始めた。
美味しそうでつい、とか言いながら食べるものだから殴りたくなった。
しかしきちんと彼女のもとに持っていったらしいので許そう。

ふと彼女に迷宮を攻略させてはと考えた。
そうすれば組織の黒い思惑からは完全に外れるしきっと楽しいだろう。
それに煌の力にもなるし身分が低いからと肩身の狭い思いをする必要もなくなる。
子が出来なくとも武人として煌にいればいいのだし。
自分の考えにうんうんと頷きながら彼女の部屋へと向かう。
早速と彼女の部屋に行くも何故か焦げたパンを困ったような表情で食らう彼女に言う気は失せた。
大体虫も殺したことないような彼女に攻略できるものか。
できたとしてあんなに戦嫌いの彼女が役に立つものか。

聞けばパンは自分で作ったが焦がしたらしい。
彼女が止めるのも聞かずに口にしたが不味くはなかった。
ただやっぱり焦げただけあって少しだけ苦かった。

改めて彼女と話をする場を設けた。
と言っても相手からは流石にというか口を開くのを躊躇い控えめであった。
こちらが問いかけ相手が答える。
のも話題が切れれば静寂に。
では解散すればいいのだがそれも何だかなんだかでほら早く口を開けよ、という視線を相手にむける。
しばらくは何で彼はこっち見てるの言いたいことあるなら言ってよという表情だった。
しかしまさかこっちに話題を求めてるのか、と言った表情になるのと静かに口を開いた。

「紅炎様は泳げますか」
何を言うかと思えば。
泳げないように見えるのかと言えば彼女はすみませんと謝った。
会話が途切れる。
今日はもう帰そうかと思い始めた頃に彼女がお、と声をもらした。
お。
お?

「お、教えていただいても、いいですか」
時間がある時で構わないと告げる彼女は顔を赤く染めてふいと逸らした。
照れる理由は十二分にあるというのは理解している。
寡黙であるべき身分の立場の彼女が俺に教えを請うというのもそうだし。
水辺で形だけだが夫婦ともあろう人間が二人きりになろうと誘うのもそうだ。
しかし改めて相手が、しかも可愛らしい顔立ちの相手が、純情な少女のように頬を染めて照れられると。
どうもこちらも頬が緩んでしまう。
悟られないようにと顔を逸らして手で口元を覆った。
それからいつかお前を構う時間があったらなと言った。

その答えに安堵したのか良かったと声をもらして自分の故郷には海がなかったこと、こちらに来るとき見た海に感動したのを嬉々として彼女は話した。
魚のようにあの青い水の中を泳げたら幸せだろうと彼女が言った。
楽しそうに話す彼女に自分も悪くないと思えた。

珍しく神官が人に構っていると思えば彼女だった。
何やら話し込んでいる二人を遠くから見守る。
ふと衝撃を受けたように彼女が動きを止めると神官は何事もなかったかのように立ち去った。
何がどうしたと彼女に近寄ればぽつりぽつりと話し出した。

「お前は、絶対、この先、苦労をする、と言われました」
それがそんなに衝撃的かと問えばやはり穏やかに暮らすのが理想らしく呻いた。
確かに彼女は無駄に不幸を背負い、背負わされているかもしれない。
が、いつまでも未来永劫続く訳ではないだろう。
嘆く相手に苦労なんてさせないと告げればはた、と動きを止めた。
中々に間抜け面だ。これをジュダルにも見せていたのか。

「紅炎様って優しいですね」
思わず間抜けな声をあげた。
誰が何だって?
何を突然、と呆れながら言うと彼女は微笑んだ。

「突然じゃありません。ずっと思っていましたわ」
彼女が恨むならまだしも好かれるような事は何一つしていない自信がある。
それなのに優しいなんて言われるような事は何も。

「優しいの、好きです」
素敵ですよねと彼女が言う。
別に俺を好いてる訳ではないしそう言った訳でもないだろうが悪い気はしなかった。
彼女が根っこから悪い人っていないと言う。
ということは根っからの悪人はいない、ので自分は人類全てが好きでお前もその一人にしか過ぎないんだぞ紅炎、ということか。
それはあまりに失礼だと彼女のやわらかい頬を痛がるまで引っ張った。
すぐに痛がったから掴んでいた時間はかなり短いんだが。