いつだか自分は諦めることを覚えていた。
理不尽な待遇にも仕方ないだろうと。こんなもんだろうと。

だけど下には下があるものだ。

「お前の名前は何ていうの?」
部屋には真新しい布がいくつも置かれた状態だ。
状況が未だに飲み込めない愚鈍な自分に笑いかける少女が目の前に、いる。

名の知れた行商の下っ端の下っ端に当たるのが自分だ。
そして今日は皇帝の弟君の、二人目の姫君にあたる目の前の少女に商売をしに来たところ、で。
彼女は俺を買うと言うと行商の男に恐ろしくなるような金額を支払った訳だ。周りに散らかる布は持って帰るのが面倒だと置いて行かれたものになる。
決して安くはないし少なくはない量の布を惜しむことなく置いて行った、ということは彼女の支払った金額がそういったものであるということだ。

下から俺を見上げてくる少女が不思議そうに手を振った。
段々と自分の置かれた状況が見えてくると胸の内がひどく熱くなる。
もう、あそこには戻らなくていい。ここにいていいのか。
彼女が自分を助けてくれたのだとそう感じた。

「ありがとう、ございます」
自分の声はひどく乾いていて何だか情けなかった。
それでもお礼が言いたくなって仕方無くて。目の前の少女は微笑んでいた。

「名前を聞いてたのよ」
するりとその小さく白い手が俺の腕に触れる。
いつから持っていたのかは知らないがほっそりとした指には針が握られていた。

「何がありがとうなの?助かったと思ってるの?主人が変わっただけなのに?」
本能的に危ないと感じた時には既に遅く、戸惑う素振りもなく彼女はその鈍く光る銀色のそれ、を俺の爪と肉の間に突き刺した。
焼けるような熱さを感じつつひきつらせた声をあげながらも抵抗という抵抗をしなかったのは、本能的に危ない、と感じたから、だと思う。

元々自分は丈夫で力がある方だ。だから幼い少女に何をされたって…とはいかなかった。
手加減というものを知らない少女の行為にひどく疲れてその日はいつの間にか眠っていた。
どんなに体が痛いと悲鳴を上げていても眠れるものなのだと薄ら思った。どうして自分がこんな状況に置かれてるのかはよくわからないまま。
布の散らかったままの部屋で一人、畜生のように丸まって眠った。

目が覚めたのは彼女の声が聞こえたからだった。
急いで体を起そうと思ったものの痛む体が思う通り動かずのそのそと立ち上がる。
視線をゆっくりと彼女に向けるとこちらを見上げる大きな瞳と目があった。

「おはよう。昨日はよく眠れた?お腹が空いたでしょう?嫌いなものはある?」
俺が答える前に彼女は人を呼び、膳を運ぶよう言っていた。
そして再び俺をじっと見つめると物珍しげに手を伸ばしてくる。

「貴方、髪が牡丹色なのね、とても可愛らしいわ」
瞳も同じ色なのねと言いながら笑う彼女は昨日と別人のようだ。
それから楽しげに軽やかな足取りで散らかった布を眺めていた。

「いつまでもそんな格好してられないものね。貴方にはどんな色が似合うかしら」
言いながら搗色の布を持って彼女が近づいてくる。
もっと明るくてもいい、と笑う彼女を見て酷い人に捕まったものだと思った。

昨晩切りつけられた足の傷はまだ毒々しい赤色をしていた。