「シャハラ」
事の発端はその一言。
その一言だけだった。

「なぁに、そんな顔して。貴方の名前を呼んだだけじゃない」
それはそうだ。
自分の慣れ親しんだ名前以外の何者でもない。
ただあまりにも久しぶりに他人の口から聞いた気がして。
変な話だ。
自分の主は俺を名前で呼ぶ。
それなのに久しぶりに、だなんて。

それでようやく気づいた。
最近の自分は主よりも紅覇に構っている。
そして紅覇は俺の名前をあまり呼ばないことにやっと気づけた。

「俺の名前はわかるよな」
心外だという表情をした紅覇はなんてことないようにシャハラと呼んだ。
それからくすくすと笑って俺に抱き付き甘ったるい声で言う。

「どうしたのおじさん。甘えたくなっちゃったの。気持ちいいことでもしようか?」
別に自分は全くそういう気はなかったのだかなめらかな皮膚が滑るのに欲望を動かされて相手を壁に押し付ける。
相手の小さな肩の辺りに噛みついてひぅんというよくわからない声を聞きながらぼんやりと思考にふける。

「前の相手は誰だった?」
突っ込むにしろ突っ込まれるにしろ相手のはじめては自分じゃないだろう。
嫉妬だとかそういう感情は皆無だ。
単なる好奇心で聞けば荒い息をつきながら相手はこちらを見上げた。

「ん、ん、だれ、だったかなぁ」
しがみついては細い腰を押し付けてびくびくと反応する。
余程慣らされてきたんだろうなと考えながら押し付けられる細い腰を掴んで揺さぶる。

「あぁっ、わすれちゃった、ね、すき、すき」
その人はもういないよおじさんだけだよと喘ぐ声の合間に途切れ途切れに相手が言う。
ぼんやりとそれを聞きながら多分射精した。

溺れるほどに相手を愛するようになればきっと自分もその名前も忘れられるような前の誰かと同じになるんだろうなと思った。
白濁に飲み込まれてはいけないのだと。

自分は彼のどうでもいい過去になるのが怖くてたまらない、らしい。