自分の主である女性はとても素晴らしいと思う。
多少の贔屓目はあるかもしれないが。
年老いた自分を雇ってくれる彼女のおかげで今もそれなりに良い暮らしをできている訳だし。
感謝してもしつくせないというか。傍にいて役に立ってやりたい。そう思う。

「…梨は剥かないと食べれないわ」
だから多少のわがままは気にしないでやりたいものだ。

「剥かなくても食えるしこのくらい剥けないとお前も困るぞ」
「…そう?貴方がいれば別に困らないじゃない」
首を傾げて当然のように彼女が言う。
いつまでも俺が生きてると思うなよ、と伝えたかったが別に今でなくても構わないと口を閉じた。
それから剥き終えて小さく切った梨を一切れ彼女の口に運んでやる。
嬉しそうに咀嚼する姿にこちらも頬を緩ませた。

昼時に食事を終えて眠りについてしまった彼女のもとを離れた。
眠りにつくまでは傍にいたのだけれど流石に無防備に眠る女性の傍にいつまでもいるのは躊躇われたから。

「あ、おじさん」
聞き覚えのある声がしたかと思えば紅覇の姿が。
にこにこと笑みを浮かべた彼が近づいてきて抱きついてきた。
男同士で抱擁を交わして何が楽しいのだろうか。
こう、もっとやわらかいふにゃふにゃしてすべすべしたいものが抱きたいじゃないか。
気が済んだらしい彼が俺から離れ笑みを浮かべたまま見上げてくる。
今までどこにいたの、と問いかけられ答えようと口を開けば。

「変なにおいがするよ」
何処から取り出したんだが知らないが彼の握る短剣が自分の右足に深々と突き刺さっていた。
息が詰まり声が漏れる。ぶっすりと埋まって栓となったそれが抜かれて赤い血が流れ出す。
痛いというよりは熱くてじくじくと衝撃を与えてくる。
それでもまだ理性はいくらか残っており何のつもりかと相手を見下ろして問いかける。
不機嫌そうな彼は答える気がないのか引き抜いて血に塗れた短剣を握り直して俺の左肩へと突き立てた。
思わず小さな体を突き飛ばして前のめりに倒れこむよう膝をついた。

こんなことをされる理由は十二分にあるのだけれどあまりにも唐突過ぎて。
理不尽だと思うと同時に腹が立つし憎々しく見えてくる。
それでも反撃らしい反撃をしていない自分は偉いだろう。

俺に突き飛ばされた彼は益々不機嫌そうにしながらこちらへときた。
むすっとした表情のまま当然のようにその細い足を俺の頭を踏み潰すよう下ろした。
ここで抵抗をしてはまずいのだろうとそれくらいはわかっているつもりだ。
だけど抵抗しなければ殺されるのだろうか。こんな突然、理由も説明されずに。
少しばかり乱れた息をつきながらこんな幼い少年に好き勝手される自分が悔しくなる。
情けなくなって何だか泣きそうになったがそれ以上惨めなことがあろうかとぐっと堪えた。
床に容赦なく押し付けられた顔面が血に濡れるのがわかる。鼻から血でも出してるんだろうか。
鼻から血を出すのは見た感じがかっこわるいからすごく嫌だ。というか誰かに見られてたらどうしようか。

そんな俺の心配を他所に彼の気が済んだのか足が離された。
そしてもういいよといつもと同じ声音で彼が言う。
鼻を押さえつつ顔をあげれば先程と同じように嬉しそうに笑みを浮かべる彼の姿。
多少面を食らいつつもなるべくさっと立ち上がった。
傷だらけのこちらを気遣う様子もなく擦り寄ってきた彼が俺に抱きつき背へと腕を回した。

「良い匂いになったよ」
そう言った彼は顔を俺の肩へと埋める。
怪我をした左肩。その部分の布が赤く汚れてる。
くすくすと笑ってから口付けた痕みたいだね、なんて言ってた。

彼の不可解な行為に悩まされる日々はしばらく続くらしい。
じくじくと痛む傷跡をいくつも抱えながらため息をついた。