彼はいつか私に飽きると思う。
何の取り柄もない平凡な私にふと目が覚めて。
興が醒めたと離れていくだろう。
そしてもっと育ちの良い若い可愛らしい娘、武術を心得て自信に溢れた魅力的な娘のもとへ行くと思う。
私なんか置いてその腕に愛すべき少女を抱くだろう。

「初めまして紅炎様」
だから突然現れた少女に私は驚いたりなんかしなかった。

彼女は私が思い描いた理想通りの女性だった。見れば見るほど完璧で。
紅炎様とは10程年が離れていたが教養があってしっかりとした人だ。
どこぞの国の一人娘だそうで。それはそれは大切にされてきたんだろう。
物怖じせずはっきりとしていて良くも悪くも正直で自信がある。
武術を心得ているのか刀を携えて紅炎様に駆け寄る姿も見た。
自分を慕う可愛らしい少女に悪い気はしないのか笑顔で接する彼の姿も見た。

私が一般的かどうかはさておき貞操観念は人並みかそれ以上だと思う。
体を委ねるなら将来を共にするただ一人を相手にすべきだと思うしお互いにそのつもりでいなくては、と思うから。
だからと言って他人の考えを否定するつもりはないし生きていく為にはという人もいるだろう。
とりあえず私の観念から行けばもっと怒るとか嘆くとか、焦ったりすべきなのだ。
私の伴侶となるべき男が若い女にたぶらかされていると。
しかしどうもそんな気にはならない。
彼は皇子だしたくさんの女性を知っているだろうしこれからも義務として続けなくてはいけないだろう。
それに。

それに私は何故か落ち着いている。何故だろう。
焦るべきだ。私は彼に愛されなくてはいけない。抱いてもらわなくては。
気にかけてもらい理解しあって会瀬を重ね、愛しあって彼の子を産まなくてはならないのに。

どうしようか。全くそんな気にならない。
そもそも私は

「彼の、何処に惹かれたのかしら」
抱かれてもいいと。愛されたいと。
一生側にいて子が欲しいと思ったのに。
どうしてそう思ってたのかわからなくなってしまった。
私の側で桃を食べていた従者が手から果実を落とすのをぼんやり見つめていた。

「随分暇そうね」
にっこりと笑う少女は当然のように縁側に座る私の隣へと腰を下ろした。
一国の王女である彼女と私ではこうも差があるのかと感じる。
ただ座っているだけなのに。
雰囲気というか振る舞いがというか。
こうして言葉で正確に表せない辺りが自分の浅はかな部分だろう。

「そうよね、紅炎様は私に会うから構ってくれないんだものね。暇よね」
可哀想にと彼女が笑う。
嫌味というもので間違いはないだろう。
今まで他の大多数から向けられてきた悪意となんらかわりないものだ。

「貴方みたいな田舎の年増に目を向けていたのがおかしな話だったのよ」
彼も目が覚めたんでしょうねと言ってから彼女は立ち上がった。
いつまでも夢を見るものじゃないのよと言うとその場から立ち去っていく。
ぽんっとあんな台詞が出る辺り、教養があるというか頭がまわるというか。
やっぱり私とは違うんだとそう思った。それだけだった。
それから彼女の言うとおりだとそう思った。散々言われてきたし自分でも理解していた。

紅炎様はどんな声だっただろうか。大分忘れた。
最後に口をきいたのは、姿を見たのはいつだっただろうか。
頭を捻ってもすぐには思い出せず考えるのを止めた。
そのまま廊下を歩いてると肩辺りの布を真っ赤に染めたあの子がいた。
苦しそうに傷口を抑えて顔を歪めて使用人の案内のもと歩く彼女がこちらを見た。
私に気づくと顔をしかめて逸らしてから少しだけ歩く速度を早めて立ち去った。
怪我が心配だったが魔法を扱える人達の治療でよくなるだろう。
彼女は第一皇子の嫁で一国の王女なんだから誰も治療を惜しんだりしないだろう。
何があったのかというのは気になったが私の触れるべきことではないと思い問いただすことはしなかった。

「怪我をさせるつもりはなかった」
断っておくが私は無理に聞き出した訳ではない。
紅炎様の姿を久々に見たと思えばよく見ると顎の辺りを少しだけ怪我していた。
何があったのかと聞けば乗り気ではなかったが渋々私に語りだした。
あの少女が手合わせを頼んできてそれに付き合っている内にばっさりと相手を切ってしまったらしい。
そして彼も顎に怪我を。

理由なんて特にないが争い事や武術が嫌いな私は相当顔をしかめていたらしい。
彼がそんな顔をするなと頭を撫でてきた。
頭を下げてすみませんと謝る。と相手が慌てだした。
別に謝罪を求めたのではなくてと。じゃあ何かと思うもそれ以上言葉は続かず。

「久しぶりだな。元気にやってたか」
様子を見にこなかったのはどちらだと思うも別に責める気持ちは全くない。
むしろ今までが異常だったんだ。彼が私なんかを構うなんて。
ふとそこまで考えて再び頭を下げてお礼を口にする。
きょとんとした彼に今まで時間を割いてくれたことについてだと伝えるとふいと顔を逸らされた。

「お前は、俺が嫌いか」
嫌いではない。
嫌いではない、と。すぐに言えなかった。
間を置いてから彼の言葉を否定して貴方に愛されなくてはいけない立場だからといつぞやと同じことを口にする。
途端に眉を寄せた相手がわかったから下がれとそう言う。
帰れと言われたのは初めてかもしれないなんて考えながら頭を下げる。
失礼しますとそう告げてから踵を返し自室へと歩みを早める。

胸が痛くてたまらなかった。