ソレーユの猫 | ナノ

自分にとっては名前を知っているだけの人。知人でさえない。

side.O


始めて話を聞いたのは…確か…、岳人からだったか。
どこか照れくさそうに、けれど楽しそうにその人物のことを話してくれた。――萩野ひなたのことを。
温かくて、どこか包み込むような雰囲気を持っていると言っていた。
ジローは、干した後の布団のようだと言っていた。どんな話をしたか、萩野という人がどういう風に自分の言葉に返したか。そんなことをテニスをしているときと同じ溌剌とした笑顔で話してくれた。
宍戸は…、合宿のときに同じ班になったらしい。それ以後、特別話したりはしていないようだが宍戸の中では、知人以上に位置づけられているのだろう。
そして、最近知ったことだが、どうやら跡部とも知り合いのようだ。樺地と話しているのを数回見たことがある。跡部に近付くために樺地と親しくしているのか、とか、ただたんに樺地の知り合いで跡部は関係ないのだろうか。そう何となく考えていたが、どうやら共通の知り合いだったらしい。跡部に知り合いかと尋ねたとき、“あぁ”――肯定の一言だけが返ってきた。岳人やジローのように萩野という人物のことを話したりはしなかったが、そのときに――おそらく無意識であろう――浮かべた微笑みがひどく印象に残った。どんな言葉を重ねるよりも、その表情が跡部にとって萩野という人物がどういう存在なのかを語っていた。

忍足にとって、萩野という人物は、友人の口からときどき聞く名前であるだけだ。
話したことはない…、…いや数回ならばあるかもしれない。ただそれは雑談ではなく、伝達を目的とした事務的な会話だったと思う。だから話したことがあるかもはっきりとは覚えていないのだ。
萩野先輩は同学年の友達を始めとした親しいものから、“お母さん”を始めとした母から派生したあだ名で呼ばれている。岳人やジローが言うようにその温かなで包み込むような雰囲気が起因しているのだろう。確かに、萩野先輩は大人びていると思う。よく“大人びている”と言われるし、自分でも早熟している方だと思うが、萩野先輩の“大人びている”と自分の“大人びている”は同じ言葉でも全く違うと思う。何が、とはわからない。説明することはできない。けれど確かに違うのだ。自分の“大人びている”は、あくまで中学生が背伸びをするような、そんなニュアンスがあるような気がする。しかし、萩野先輩のは…中学生の背伸びとは違う…、…感覚的には中学生より大人そのものに近い。“大人びている”ではなく“大人”と言う方が正しいような気がしてくる。
その包容力からかただ頓着しないのか、萩野先輩は敬語や先輩付けを後輩に強要しない。岳人もジローも敬語では話さない。宍戸は先輩であることを知らなかったらしく、その事実を知ってひどく動揺していた。その後も先輩を付けて呼んだ方がいいのかとか敬語で話した方がいいのかと悩んでいたのが、傍から見ていてなかなか楽しかった。余談だが、聞きなれている分、自分にとっての萩野先輩はひなたと言う方が慣れ親しんでいたりする。

ふと、窓の下の景色が目に入る。
萩野先輩の姿、と嬉しそうに萩野先輩に駆け寄る鳳の姿。…なんや、鳳まで萩野先輩と知り合いやったんか。
上から見ていて、話している内容なんてわからない。けれど身振り手振りを加えて話している鳳の姿は、上から見ていても犬の尻尾や耳が見えるような気がした。
萩野先輩が微笑む。その笑みは確かに温かなものだ。例え萩野先輩の人となりを知らなくても、そう感じられるだろう。全てを包み込むような穏やかで温かな笑み。
…そして静かな笑みだと、唐突に思った。

静かな笑み、別にそれが悪いと言う訳ではない。人間なのだからいいところも悪いところもある。それは当たり前だと思う。けれど、萩野先輩は皆が思うように温かなだけなのだろうか。
萩野先輩の笑みは温かい。けれど、静かでもある。深夜、静寂に包まれた湖に波紋を描くことなく月が映されているような…そんな静謐さを持っているような気がする。
笑顔は、時として拒絶にも使われる。自分と相手との間に境界線を引き、ここからは入って来ないでと相手を遠ざける。萩野先輩の笑顔に、そんな気配はない。だが、一切そういうものが含まれていないと言い切ることはできるのだろうか?
自分の気のせいかもしれない。萩野先輩は一定の距離以上自分に近付かせていないような気がする。常に一定の距離を保っている。対峙したことはないけれど、その瞳にはそんな冷たさもあるような気がした。母のように温かな笑みを浮かべ包み込んではくれるが、本当の母のように何かを与えてくれる訳でも庇護してはくれない。もし何かあったとき、案外萩野先輩はあっさりと何かを捨てることができる人ではないだろうか。それが人であるかどうかはわからない。そもそも自分の直感とも言えないような微かな考え、頭を過ぎったにすぎない。

「忍足ー。」

自分を呼ぶ声が前方から聞こえてくる。
クラスメイトの姿に手を上げ、応じる。

「今行くわ。」

去る前にもう一度、眼下を見る。

――自分の考えが正しくても、間違っていても、興味はない。
だって、自分は、“知人”でもないのだから。


自分にとっての萩野ひなたと言う人は、人の口から聞いただけの他人でしかない。


111102
忍足は、人の話だけでは興味を示したりする人ではないような気がする。


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