ソレーユの猫 | ナノ

この俺様が、どれほどお前のことを考えていたか、お前は露ほども知らないんだろうな。

side.A



氷帝学園に入学したとき、…いや、日本に帰ってきたとき、また会えるかもしれない、そう思った。あの日の出来事を、宝物を磨くように大事に大事に磨いてきただなんて、知るはずもないだろう。自分でもバカじゃないかと思う。この俺様がだ。たった数十分の出来事を思い返しては心の支えにしてきただなんて。
氷帝学園のトップになった俺が、その人物の名前を見つけるのはそう時間が掛からなかった。本当はすぐにでも会いに行こうかと思った。だが、あの日の思い出を大事に大事に磨いてきたのは、俺だけだとしたら?“誰?”と面と向かって尋ねられたとき、俺は冷静でいられるだろうか。…自信がない。そんな思いが会いに行くことを遠ざけた。樺地が会ったときには覚えているようだったと言っていたが…。“もし”――それを考えると動くことができなかった。

そして、今日、この日。――テニス部の役員引継ぎの顔合わせ。男女合同で新部長、副部長が揃い踏みする。俺様は、氷帝のキングであり、テニス部のキングでもあるため、当然参加する。そして、ずっと再会を待ち望んでいた人物も。新副部長の欄にその名前が書かれている。

それぞれが自己紹介し顧問からの話を聞く。それだけの内容なのに頭の中に入ってこない。気が付けば意識はアイツへと向いてしまう。俺の様子に気付くことなく新部長になるの隣の女と話しているところを見ると、やはり思ってしまう。俺のことを覚えていないのではないか…――?

――ガタッ

椅子の軋む音に意識を浮上させる。考え事に没頭していたせいか、顔合わせは終わっていた。椅子等を片付けるとそれぞれが部屋を出ていく。
俺様が、何て様だ。女々しい考えに囚われ、行動も起こせない自分への嘲笑が浮かぶ。馬鹿らしい。こんなのは俺様らしくない。はっきり白黒つけようじゃないか。

まだそんなに遠くなっていないであろう人物を追って、教室を飛び出す。案の定、少し離れたところをさっき話していた女と並んで歩いていた。

「ひなた!」

ひなたが振り向くのさえ、ゆっくりに感じてしまう。振り返ったひなたの表情が、驚いた顔から微笑みへと変わり…――

「景くん!」

その口が懐かしい呼び名を紡いだ。

「けいごくんって、景吾って書くの?いい名前だねー。景色の“景”でしょ?…なんか、上に立つために生まれてきたみたいだね。」

「どうしたの?なんか用事?」

懐かしい光景が鮮明に頭の中を駆け巡り、反応に一拍遅れてしまう。その間に隣にいた女は気を利かせたのかいなくなっていた。

「いや、特に用があった訳じゃないんだが…、」
「そうなの?それにしても久し振りだねー。元気にしてた?」
「あぁ。ひなたも相変わらずみたいだな。」
「え、それどういう意味?6歳の頃から変わってないとでも言いたいの?」

気の許せるやり取りに自然と笑みになる。片頬だけを膨らませ拗ねる様子ははっきり言ってしまえば6歳の頃と変わっていない。そして、ひなたを囲む温かで柔らかな空気も。
ひなたは、初めて跡部財閥の跡取りとしてではなく“跡部景吾”を見てくれた人だった。そこら辺にいるガキ共にするように俺に手を差し出した。
泥だらけになって遊ぶなんて汚ねー、そんなことが楽しいなんて本当にガキだと見下しつつも、自分には許されないそれに羨望を抱いていた。羨ましいの気持ちがいつの間にか歪んでくだらないと見下す感情に変わっていたなんて自分でさえ気付いていなかったというのに、ひなたはそんな気持ちをたやすく吹き飛ばしてくれた。

別に跡部財閥の跡取りとして生まれたことを重荷に感じたことはなかった。俺の天性のカリスマ性から言っても、人の上に立つことは当然のように思えたから。
そんな自分でも気付かなかったことに気付かせてくれたひなた。知ってもあまり意味はない…、むしろこれからそう見てくれる人の方が少ない中を生きていくのだから知らない方がよかったのかもしれない。
でも、確かにあの日ひなたと樺地と三人で普通の子供がするように泥だらけになって遊んだ記憶は俺にとって大事なものになっていた。

「ふふ、そんな景くんこそ名残あるよ。…懐かしい。」

目を細め、あの頃の俺と今の俺を重ねるように微笑む。大人びた表情は始めて見るもの。さっきまで重ねていた6歳の頃のひなたの姿が、不意に重ならなくなる。
動揺してしまうが、よく考えればそれも当然のことだろう。だって、もうひなたは6歳ではない。確かに時間は流れているのだ。

「でも、景くんは今や氷帝学園のキングだもんねー。…時が流れるのは速いと言うか何と言うか…。」
「まぁ、俺様のカリスマ性からしたら当然だろう。」

同じようなことを考えたことと賛辞の言葉に気分を良くして答える。ひなたの声には、妬み嫉みを始めとした俺を敬遠するような響きはなかった。だからこそ気分良く答えたのだが、子供が大きくなるにつれ跡部財閥の大きさや格の違いを理解し俺から離れていったように、ひなたもそうなってしまうんだろうか。浮かれた気分は急速に冷えていった。
そして気付く。
俺は、ひなたに忘れられていることよりも…、変わってしまったかもしれないひなたを見ることが――“跡部財閥の跡取り”に対する態度を取られることの方が怖かったのだ。

「テニス部の方ではこれからよろしくね。お世話になることの方が多くかるかもしれないけど…、…でも困ったときはお互い様、なんだから、景くんも何かあったら頼ってきてね。」

ひなたが変わってしまったのか判断しようと一挙一動に注意しようと思った刹那、そんなことを言い出す。
あくまでも対等に扱ってくれていることがわかる言葉。何でひなたは、特別なことでないように俺の望むものを与えてくれるのだろう。当たり前という風に与えてくれるそれが全然当たり前でないと、俺は小さい頃から知っている。
過去ばかりを振り返り大事にしてきた俺に、ひなたはいとも容易くこれから続く“未来”を指し示す。
そうだ、これからはもっと接する機会が増えるだろう。同じテニス部で、役職にも就いている。…それに何より同じ学校なのだ。何もテニス部関係じゃなくたって…、話したければいつでも話せるのだ。

「そうだな。…これからよろしく。」

重ねられた手は、俺よりも小さかった。



俺にとってひなたは、大事なものを気付かせてくれる存在。


111025


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