ソレーユの猫 | ナノ

「この辺でいいかしら?」
「…すいません、俺、穴場とかそういうの知らなくて…」
「あら、そんなの全然気にしなくていいのよ?…みんながみんな穴場知ってたら穴場って言わないものね」

自分の右半分が妙にくすぐったい。優しい微笑みは屋台の明かりでほのかに照らされる。薄暗い照明の方が柔らかな印象を与えることができるって聞いたことがあるけど、それはどうやら本当らしい。太陽の下で見るよりも静かで大人っぽく見えた。それはただ単に、いつもと格好が違うからかもしれない。一つに纏めて高い位置で括ってある髪も、歩く度に歩調に合わせて揺れる髪飾りも、少し俯けば見える白いうなじも。…そしてひなたさんの雰囲気に良くあった黄色と桃色の花の描かれた浴衣。日常では早々見ることのない格好にか、今こうして並んで歩いているシチュエーションにか。心臓はいつもより早く脈打ち、心は浮き立つ。ただの偶然が生んだ状況ではあったけど、偶然であるという事実は高鳴る鼓動も心も落ち着けさせる要因としては役不足だったようだ。

「そろそろですかね?」

二人の間に降りる沈黙が気まずい訳ではないけれど、妙に気恥ずかしくてくすぐったくて声を出す。ひなたさんは「そろそろのはず」と時計を見ながら返事をした。その瞬間、夜空が明るくなった。

「始まったね」

微笑みながら言ったひなたさんの声に続くようにドン、と大きな振動が伝わってきた。笑みは赤や黄色の光に縁取られ俺へと向けられていたが、それもすぐに夜空へと移る。少し残念に思いながらも俺も今日こうして二人でこの場を訪れた目的である夜空へと集中することにした。

「…きれいね…」
「きれいですね」

横目で伺うとひなたさんが食い入るように夜空を見つめていたのが見えた。花火が上がる度にひなたさんの横顔が照らされる。瞳はきらきらと輝いて本当に楽しそうに夜空に咲く大輪を見つめていた。瞳が輝いているのは花火を見ているからなのかもしれないけれど、こうしてたまに見せる無邪気なひなたさんの一面を見る度に俺は馬鹿みたいに思うんだ。――あぁ、可愛いな…って。

「ひなたさんは花火好きですか?」
「ええ。花火職人になりたいって思うくらいには大好きよ」
「花火職人って」

思わず小さく笑ってしまった俺にひなたさんも笑顔を返す。こうして話すときは少しでもちゃんと俺の方を見てくれる律儀なところも好き。

「あら、笑うなんてひどい。本当になりたいって思ってた時期もあったのよ?」
「はは、ごめんなさい。…えっとそれって小さい頃とかですか?」
「最初に思ったのは小学生のときね。両親と一緒に花火大会に来て花火職人になりたいって思った。今は諦めたけど、でもこうして花火大会に来ると思ったりするわ。花火職人になりたいって」
「へー。花火職人になりたいって思ったのはやっぱり花火に感動したからですか?」

それもあるけど…とひなたさんは花火を見ながらどこか遠くを見るように言葉を紡いでいく。

「今この瞬間、花火職人さんはどんな気持ちでこの空を見てるのかなって考えたら花火職人って職業は素敵だなって思ったの」
「花火職人さんの今の気持ち…?」
「半年とか一年っていう時間を掛けて、しかも火薬だなんて危険なものを扱って、きっとすごく大変だと思うの。でも、たくさんの苦労を掛けた花火達はあっという間に散っちゃうじゃない?自分達が掛けた時間が馬鹿らしくなるほど、本当に一瞬で。名残惜しくないのかな、手放したくならないのかなって」
「………」
「でも、多分そういう気持ちよりもたくさんの人が自分が作ったものを見て感動したり大事な人と過ごした大切な思い出の一瞬にしてくれるっていうことへの感動とか達成感とかの方が大きいのかなって考えたら何だかこう…胸がむずむずっていうかドキドキしてきちゃって」

そう話すひなたさんはその感覚を思い出したのか、右手を胸へと当てる。そんな自分へ向けてだと思うが下を向いて小さく苦笑いする。
花火を作った人達が花火を打ち上げる瞬間の気持ちだなんて考えたことはなかった。だから、どう返事をすればいいかが咄嗟に出てこなくて俺はただひなたさんのことを見ていた。ひなたさんの言う胸がむずむず、ドキドキするという感覚は何となくわかるような気がする。多分それはわくわくともうずうずとも形容できるもので、…どこか文化祭前の感覚に近いような気がする。浮かれるような、そんな感じ。
ひなたさんの左手と俺の右手との数センチの間に流れるむずがゆさやドキドキとはまた違うドキドキ。

「…なんて。多分、今頃の花火職人さんはそんなこと考える暇もないほど点火作業とかで忙しいんだろうけど」
「…ひなたさんって、」
「うん、?」
「変わってるねって言われたりしませんか?」
「ふふ、よく言われる」

そんなに変わってるかなーと零しながらもその顔に気にした様子は見えない。だから俺も安心して言える。

「俺、ひなたさんの考え方好きですよ」
「ありがとう。私もね、実は自分の変わった考え方、嫌いじゃないの」

にっこりと、どこか悪戯っ子のように笑むひなたさんに、俺も自然と笑顔になる。
いくつも打ち上げられる花火の合間に、他にもぽつりぽつりといろいろな話をした。ナトリウムは何色だったっけとか好きな花火の種類だとか。

「今度はみんなで来れたらいいね」

だからひなたさんがそう言ったのもきっと自然な流れだったのだと思う。
自分の好きな人と、大事な人を共有することができることは幸せなことなのだろうと思う。自分の好きな人が、自分の友人達や仲間達も大切に思って大事にしてくれることは、相当恵まれているのだと思う。

けど、…でも、

――今はあまり聞きたくなかった。



そこからは完全に衝動だった。
数センチ、けれど手を伸ばす勇気のなかったその隙間をゼロにする。
重なった手。
ひなたさんの身体が驚いたように小さく跳ねたけれど、気付かぬ振り。



「俺は、今度も二人がいいです」



それだけ言って、視線を逸らす。もう少し長く見つめることができたら、ひなたさんの驚いた表情とかもしかしたら照れたところとか見れたかもしれない。けど、それより先に絶対に俺が赤面する。熱を持つ頬を感じながら夜空の大輪を見つめ続ける。
視界の端で、ひなたさんが俯いたのが見えた。俺は夜空から視線を逸らすことができない。

暑く湿り気を帯びる手に、少しだけ力を込めた。


(顔も見ることができないけれど、撤回するつもりはない。
そうでも言うように。)



120824
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