ソレーユの猫 | ナノ

昼休みになると同時に、お弁当を片手に教室を飛び出す。ここ最近のジャッカルの習慣になっていた。

早足で向う場所――中庭を抜け、校舎の裏側とも言えるその場所は、あまり生徒の立ち寄らない場所であった。
そんな場所に昼休みになると同時に駆けていく理由。それは一つだった。

「おーい、猫ー。今日もご飯持ってきてやったぞー」

ジャッカルがそう声を出すと、近くの草むらが小さな音を立てる。そして数秒後に顔を出すのは、一匹の猫。

「にゃー」

ジャッカルの呼び掛けに返事するように鳴いた猫に、自然とジャッカルの頬も緩む。

ジャッカルとその猫が出会ったのは二週間ほど前のことだった。机の中に忍び込んでいた手紙には、中庭の端の方にある木の下で待っていると書かれていた。
告白の呼び出し。ジャッカルも青春も真っ只中であった。結果的にその告白は断ってしまたのだが、そのときにたまたまいたのがこの猫だった。
首に首輪はない。真っ黒の猫はその黒い毛並みのせいで身体のラインをはっきりと識別することができなかったがどちらかというと痩せ気味のようで、首輪がないことと合わせても恐らく野良猫なのだろうと容易に想像できた。しゃがみ込み猫とコミュニケーションを取ろうとしたジャッカルだが、思っていたよりも猫の警戒心が強かった。一目散に逃げられてしまった。
次の日にも同じ時間帯にその場所を訪れたのは、単なる気まぐれだった。ジャッカルの面倒見のいい性格が何となく足を向けさせていた。…結果は前日と同じもので一目散に逃げられてしまったが。もし猫がいたらやろうかなと持ってきていた餌は見向きもされなかった。警戒心が強く自分を見ると逃げるくせに同じ時間帯に同じ場所にやってくる捻くれているのかそれとも食い意地が張っているだけなのか――そんな猫に段々とジャッカルも愛着が沸いてきた。
一目散に逃げられていたのが二、三日も立てば遠巻きでしっかりと距離を置いてはいるものの逃げられなくなった。更に数日後にはやっと猫からジャッカルへと近寄ってきた。
初めて自分の手から餌を受け取ったときには、ジャッカルは感動のあまり泣くかと思ったほどだった。懐かない猫が懐いた瞬間の感動に似ているとたまに何かで形容されたりするが、ジャッカルはまさに文字通り懐かない猫が懐いた瞬間の感動に一人身体震わせた。

そして今日は今日とて一週間で随分お馴染みとなった猫のために昼休みという貴重な時間を費やして校舎の裏側へと来ていた。

「美味いか?」
「にゃー」
「そっか。それはよかった」

猫にやるように買ってきたパンを与えれば猫は匂いを嗅いでから食べ出した。それを見たジャッカルも弁当を食べ出す。昼下がりのこの和やかな時間がジャッカルは結構気に入っていた。勿論、友達とわいわいと騒ぎながら昼食を取るのも楽しくて好きなのだが、こういう風に静かな昼食も悪くない。
空を流れる雲を眺めながら出し巻き玉子を食べているとジャッカルの足元でパンを食べていた猫が唐突に顔を上げ、とある方向へと顔を向けた。そのまま一点を見つめたままけれど耳はせわしなく動かしている猫は、どこか遠くの気配を探っているようだった。

「…どうした?」

ジャッカルがそう声を掛けた瞬間だった。猫が凝視していた方向へと走り出した。突然のことにジャッカルは呆気に取られ猫の走り去っていった方向を見ていたのだが、ふと一つのことに気が付く。

――あの方向は幸村の花壇があるじゃねえか…!

いつだったか先生に花壇を借りたんだと話していた幸村は笑顔だった。本当に、心の底から嬉しそうで、よかったなと聞いていたテニス部レギュラーは全員が口々に言った。自分のことのように喜び、祝福してくれた友人達に対し幸村は「だから花壇の近くで野球とかサッカーとかしないでよ?もし花を折ったりしたら……許さないからね」とさらりと凄んだりしたのだが、しかし凄んだりするほどに幸村にとっては大事な花壇のようだった。特に最近では花壇へと赴く時間も頻度も増えているようだし、ぼんやりしていることを指摘されては花壇のことを考えていたと苦笑い混じりに返事したりすることが多かった。
四六時中気に掛けているような花壇にもし猫が迷い込み、花を踏みつけたり荒らしたりなんかしたら…!
ジャッカルは想像しただけでぶるりと背筋が震えた。幸村にはきっと猫とか関係ない。自分達に対するものと同等の“おしおき”を猫にも課すことだろう。
たった二週間ほどの付き合いとはいえ、愛着もあり可愛く思っている猫だ。そんな目になんか合わせられない。ジャッカルは慌てて猫の後を追った。



後少しで幸村の花壇に着く、その手前でジャッカルは自分の行く先に一人の女子生徒が立っていることに気がついた。制服から言えば、高校生のようだが顔などはわからなかった。――少女が足元の猫の背中を撫でていたから。
近付いていけば近付いていくほど、少女に撫でられているのがジャッカルの追ってきた黒猫であることがわかった。自分の心配は杞憂であったことへの脱力と、そして何より自分は慣れるまで二週間も掛かった警戒心の強い猫が気持ち良さそうに背中を撫でられている姿にジャッカルは驚きを隠せなかった。
走っていた足を徐々に緩めていき完全に止まったとき、気配を感じたのか猫がジャッカルを見上げ「にゃー」と一声鳴いた。
その声につられるように少女もジャッカルを見上げ――

「「あ、」」

同時に声が零れた。

「……えっと…、萩野のお姉さん」
「君は…、確かテニス部の…」

髪を押さえながら自分を見上げたのは、ついこの間話題になった人物、萩野ひなただった。



「じゃあ、桑原くんはナオミさんを追って…?」

お互いに何となくは知っているものの改めて自己紹介をしてからここに来るまでの経緯を話す。ジャッカルが話し終えると確認するように問い掛けられたひなたの言葉に肯定を返そうとして突然出てきた呼称に思わず聞き返す。

「“ナオミさん”って誰っすか?」
「あ、ごめんなさい。私がこの子のこと、そう呼んでるの。だってこの子美人さんだと思わない?」

美人だとどうしてナオミという名前がつくのか、そもそもそれは人間につける名前ではないのかといろいろとつっこみたくなったが、猫がひなたの言葉に同意するように鳴いたのを聞いて喉の奥に押し込める。よくわからないがその呼び名は二人の間では定着しているようだし、このほわほわとした笑顔を浮かべている人に“なんか名前変じゃないですか?”と問い掛けてもわかってもらえなさそうな気がしたからだ。部室で弟にしっかりと謝らせているところを見ているから抜けているとは思わないが若干天然のような気がした。天然ではなくても、人と少しだけ何かがずれている、そんな感じ。
ジャッカルのそんな葛藤を知らぬひなたは猫を撫でながらそっかそっかーとジャッカルに向けてというよりは独り言のような言葉を呟いていく。

「最近、ナオミさんが少しだけ太ってきたかなーって思ったら私以外にも餌くれる人ができたからだったんだー…」

ふと、ジャッカルは猫を見つめるひなたの瞳が温かいことに気付く。その温かさは、母が子供へ向けるものや祖母が孫へ向けるものに似ていて――温かくて優しいものだった。
思わずその横顔を凝視していると、ひなたがジャッカルへ顔を向け笑顔を浮かべた。

「ありがとう、桑原くん」
「え?…や、そんな礼言われるようなことなんてなんもしてないっすよ」
「ううん、そんなことないよ。この子、すごく警戒心強いじゃない?野良猫なんだから少しくらい愛嬌撒くとかそういう要領のいいことすればいいのに、そんなんじゃいつか餓死しちゃうぞっていっつも思ってたの」

「だから私以外にもこうやって構ってくれる人がいて嬉しい」と言ってから重ねてありがとうと礼を言われる。飾っている訳でも下心からでもない、素直な気持ちで言われたのであろう言葉はジャッカルの心に真っ直ぐと届きゆっくりと溶けていく。無性に恥ずかしくなって居心地が悪くなる。空回る頭は馬鹿の一つ覚えのように「いや、そんなことないっす」という否定の言葉しか出てこなかったが、ひなたはその言葉を笑って聞いていた。

「本当は私が飼ってあげられればいいんだけど…、今住んでいるところが貸家なのよねえ」

はー、とため息混じりに言われた言葉。内心話題が変わったことに安堵しつつジャッカルもため息混じりに言う。

「俺ん家も、今はペットとか飼う余裕なくて…」
「そうなんだー。…里親探すにしても、この人見知りっぷりだとねー…」
「そうなんすよねー。慣れるのに二週間とか掛かってたらなかなか里親見つからないっすよねー…」

はぁー、二人同時に深いため息。そのため息は二人がこの猫、“ナオミさん”のために多少なりとも動いてきた証だった。隣から聴こえてきた予想外のため息に隣へと顔を向けると、合う瞳。二人は同時に合った目に同時に笑い出すのだった。

「でも頑張って里親探さないとね」
「俺も手伝いますよ。二人の方が速いだろうし」
「ふふ、ありがとう。心強いです」

にゃー。
笑いあう二人に構えとばかりに猫が鳴いた。





「ジャッカルいるかよぃ?」
「ジャッカル?…あー、ジャッカルならどっか行ったぞ」
「どっか?どっかってどこだよ?」
「さぁ。よくわからんけどここ最近昼休みになると同時に慌てて教室出てくぞ。俺らはてっきり丸井のとこ行ってるのかと思ってたんだけど…、違うの?」
「違うな。来てたらわざわざこうやって会いに来るかよ」
「だよなー。じゃあやっぱアレか」
「…アレ?」
「アレつったら彼女しかいないだろうー。ジャッカルのヤローさては逢引してるな?」
「ジャッカルに彼女…、だと…?」
「ほほぉ」

ショックを受けている丸井の後ろにいた仁王は先ほどまでの興味なさげな様子はどこへ行ったのか、好奇心を隠さぬ顔で小さく呟く。

「…ジャッカルの野郎、俺に一言も言わずに彼女…だと…?」
「面白そうなことになってきたのー」

ジャッカルの所在について無責任なことを言った男子生徒は丸井達の様子に用は済んだだろうと教室の中へと戻っていた。そのことにも気付かずに、丸井は一人、何のかはわからぬがとにかく炎を燃やしていた。

「ぜってぇ、吐かす…!」
「俺も協力するなりよ」


昼休み終了まで後十分。
ひなたもジャッカルも、校舎裏で太陽に包まれながら猫と戯れていた。



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