ソレーユの猫 | ナノ

幸村はその日、そわそわしていた。

萩野から事情を聞いた日、幸村はテニス部の部長として萩野の姉に謝罪する機会が欲しいと申し出た。その場で萩野に断られてしまったが、何故だか次の日には了承の言葉をもらうことができた。萩野の怒り具合といい、直接謝ることは諦めるべきかもしれないと思っていた幸村にとってはその返答は意外なものだった。ブン太から事情を聞いたひなたが結人を問い詰め、その場に行くと言い張ったということは幸村が知るはずもない。
ともかく、幸村はひなたと会うことのできる場をセッティングすることができた。

それが部活がミーティングのみである今日なのだが、幸村は内心落ち着きなくそわそわしていた。
果たして浮き立つ心は何が原因なのか――ずっと考えていた人を会うことができる喜びからか、それともテニス部の部長としての緊張からか、幸村本人にもわからなかった。
幸いにも、部外者が来るということでレギュラー陣全員がどことなくそわそわしていたため、幸村の変化に気付く者はいなかった。

コンコン、
「部長、姉を連れてきました。入ってもいいですか?」

萩野の声。
突然の声に、大袈裟に身体を強張らせた者が何人かいた。
幸村は深呼吸してから、努めて落ち着いた声を出した。

「あぁ、入ってきて」






「……俺の姉です」
「初めまして、結人の姉の萩野ひなたです」

嫌々隣に立つ人物を紹介する萩野。そしてその姉だと名乗るひなたが頭を下げた。レギュラー陣専用のロッカールームにひなたが足を踏み入れたときからずっと凝視していた幸村だったが、我に返ると自分も慌てたように頭を下げた。

「立海大附属中学テニス部の部長の幸村精市です。この度はわざわざご足労頂き、申し訳ありません」
「まぁまぁ、ご丁寧にどうも。私も丁度お話したいと思っていたんで、助かりました」

丁寧な挨拶に、ひなたも恐縮したように頭を下げる。二人して頭を下げあっていたが、ふとひなたが幸村の顔を見上げた。

「あの…、全然関係ないんですが、一つ聞いてもいいですか?」
「え?えぇ、勿論です。何でも質問してください」

突然の申し出に疑問符を浮かべる幸村だったが、勿論だと快諾する。それに安心したようにひなたは質問を口にした。

「ゆきむら…って、空から降ってくる白い“雪”の村ですか?それとも、戦国武将の“幸村”ですか?」
「戦国武将、真田幸村の方の幸村です」
「まぁ、そうなんですか」

質問の意図が掴めぬ幸村は今度こそ首を僅かに傾けてしまうが、そんな幸村の様子に構わず、ひなたは顔を輝かせる。

「“幸せ”の文字が入ってるなんて、とっても素敵な名字ですね」
「!」

何かを発見したとでもいうように両手を軽く合わせながら言われた言葉に幸村は顔が熱を持つのを感じた。
今まで、初対面で容姿やテニスについて褒められたことは何度もある。しかし、名字を褒められたということは初めてだった。
ただ名字を褒められた。それだけの事なのに、幸村に妙な恥ずかしさが込み上げる。一般的には“おばさんくさい”と感じるような動作でさえ、幸村の目には可愛らしい動作として映っていた。
始めて見た笑顔は、華やかさはなくとも柔らかくほっとするような安心感のある笑顔だった。ずっと想像でしか知らなかった笑顔を、真正面から受けたということも幸村が赤面した原因になっているかもしれない。
「あ、ありがとうございます…」とかろうじて返すことのできた返事だったが、ひなたは幸村の照れなど露ほども知らぬ笑顔で返すだけだった。

「え、ってか、あの人って萩野の彼女じゃないんですか?」

本来ならば場を仕切る幸村が赤面したままもじもじしていたせいか、赤也の声が大きく響いた。
その声に嫌そうに眉を顰めたのは結人だった。

「はぁ?何言ってるんですか切原先輩。バカなんですか」
「バカじゃねーし!だって、お前部活終わったらあんなに急いでその人迎えに行ってたじゃねーか!」
「………なんで知ってるんですか」

ワントーン低くなった結人の声に、ジャッカルは思わず「バ、バカ…!」と赤也を諌めるが、今更言葉を取り消すことなどできない。ぎろりと睨まれ、赤也は肩を跳ねさせた。

「…まさか先輩、俺の後つけたんじゃ…」
「い、いや、ち…ちが…!」

絶対絶命。
赤也の頭の中にそんな言葉が浮かんだ。じわじわとこちらに結人が近寄ってくるのが、また恐怖を煽った。もう、ダメだ。思わず目を瞑ろうとしたとき、突然結人の頭が何者かによって叩かれ結人の足が止まった。

「こら、結人。ダメでしょう、先輩に対してそんな態度」

ぱしんと軽い音と共に、小さな子供を叱るような声がした。
指を立て「めっ」と叱る様子は気の抜けるものだったが、叱っている本人は本気のようだった。そして、さっきまであんなに威圧感を出していた結人が、嘘のようにしゅんとしている。

「で、でも姉さん、俺は悪くな…」
「でもじゃありません。違うって言ってたじゃない、あの先輩」
「そんなの嘘に決まってるよ」
「あら、そんなのわからないわよ。もし誤解だったらどうするの。謝りなさい、結人」
「……………」
「結人?」
「……ごめんなさい」
「ん、いい子」

ニコニコと笑みを浮かべながら頭を撫でているひなたを見て、赤也を始めとした何人かは最強だ…と思ったとか。

「…あら?柳くんじゃない」
「…こんにちは、萩野先輩」

ふと、ひなたが視界に入った柳へと声を掛ける。柳は珍しく困惑した様子を隠せずにひなたへ挨拶をした。

「柳くんって、テニス部だったのね。しかもレギュラーだなんてすごいわー」
「あ、ありがとうございます。…それにしても萩野先輩が萩野のお姉さんだったとは…」

確かに名字は同じですが…と小さく呟かれる言葉に、ひなたは気にした様子もなく答える。

「そうねー、私と結人って似てないから。名字が同じでも誰も姉弟だって気付かないのよ」

ひなたが言った言葉に、結人が柳に鋭い視線を送るが、ひなたは気付かない。
さらにひなたの意識は柳からブン太へと移る。

「丸井くんもこんにちは。丸井くんもレギュラーだったのね」
「まぁな。今日はわざわざ悪ぃな」
「いえいえ。むしろ知らせてもらえて助かったのよ。ありがとうね」
「…姉さん、それ、どういうこと…?」

ブン太とひなたが親しげに会話を交わすのを聞いていた、結人が思わずひなたに尋ねる。ひなたの口振りから言って、事前にブン太とひなたが接触しているようだ。

「丸井くんが教えてくれたのよ、結人が先輩方に迷惑掛けてるって」

無言でブン太を睨む結人と、無言でそっぽを向くブン太。ブン太としてはそんな風に伝えたつもりはなかったと言いたかったが、結人のオーラはそれさえ許してくれそうにない。それもそのはず。結人からして見れば、大好きな姉がテニス部の先輩方と接触していること自体が嫌悪すべきことなのだ。柳とひなたが知り合いっぽかったのも、後で姉から問い詰めようと考えていたほどだった。

「そうだ、真田、仁王」

ひなたの言葉に、本来の目的を思い出した幸村は、真田と仁王を呼んだ。所在なさげにしていた真田と、ひなたを観察するように見ていた仁王が前へ出てくる。

「この度は、うちの部員が失礼なことを言ったようで。部を代表して謝罪します。申し訳ありませんでした」

幸村の言葉に続くように、真田と仁王が頭を下げた。結人から事情を聞いた幸村は、勿論真田と仁王からも話を聞いていた。結人からの話が事実であること、そして二人の言い分をしっかりと聞いた後、幸村は二人にお灸を据えていた。
真田は元来真面目な性格であるから、幸村から言われなくとも自己嫌悪に苛まれていたようだった。今も青い顔をしている。一方の仁王からは、全く罪悪感を言うものが見えなかった。正反対な二人に、ひなたは慌てたように言う。

「そんな、頭なんか下げないで下さい。私もすぐに否定しなかったのが悪いんですし」
「ですが、俺はとても失礼なことを…!」

辛そうに顔を歪めながら言う真田に、ひなたは困ったように眉を下げた。
そんな顔をされては、まるで自分が苛めているようだ。

「本当に気にしないでいいんですよ。…貴方がテニス部を大事にしていること、規律を大事にしていることがとても伝わってきましたから」
「でも…」
「副部長、なんですよね?…とっても責任感が強いんですね。責任感がある方が上にいて下さって、部員もきっと嬉しく思っていると思いますよ」
「あ…りがとうございます…!本当にすいませんでした…!」

穏やかな口調で告げられ、真田はまるで祖母に褒められているような錯覚に陥った。祖父に叱られ落ち込んでいたとき、祖母はいつも縁側で真田のことを撫でながら真田の頑張りを認めてくれた。褒めてくれた。
幼い頃に戻ったような感覚に頬に赤みが差すが、それを隠すように真田は深く頭を下げた。頭を下げていても、ひなたが笑っているのが何となく空気で伝わってきた。

「さぁ、次はこちらが謝る番ですね」

空気を変えるように言ったひなたに、レギュラー陣が疑問符を浮かべる。謝る?誰が?何を?
そんな様子には構わずに、ひなたは結人をレギュラー陣の前へ押し出した。「さぁ、結人」と促すと、結人が渋々頭を下げた。
全員が呆気に取られる中、ひなたが言った。

「私のせいで結人が先輩達に失礼な態度を取ったと聞きました。本当に申し訳ありません」
「…すいませんでした」

二人して頭を下げられてしまい、幸村は慌ててしまう。

「頭を上げてください!そんな、元はと言えばこちらが悪いんですから…!」
「だからって結人が先輩に失礼なことをしていいっていう理由にはなりません。大体、社会に出たら理不尽に感じても感情を隠して接さないといけないときなんてたくさんあるんです」

いちいち感情を剥き出しにして目上の人に噛み付いていては社会に出てからやっていけないと言うひなた。それは確かに一理あるかもしれないが、中学生である自分達に本気で社会人になったときのことを持ち出してくるなんて…。大人びているのは高校生だからかと思ったが、彼女自身の精神年齢が高いのかもしれない。そう冷静に分析していた幸村だったが、一向に頭を上げる気配のないひなたに慌てて失礼な態度を取られた筆頭である真田に話を振る。

「真田、別に気にしていないよな」
「え、えぇ、勿論です。だから頭を上げてください」
「…ありがとうございます。それじゃあ、この件はお互いにチャラということで」

頭を上げたひなたがにっこりと笑みを浮かべる。
ほっと、レギュラー陣から安心したような息が零れた。“お互いにチャラ”…それは互いの罪悪感を払拭し、負い目を感じさせなくする言い回しだった。意図してなのか、無意識なのか。どちらかはわからないけど、幸村は確かにひなたの隠された優しさを感じた。

――あぁ、やっぱりこの人だ。このハンカチの持ち主は。

自身のハンカチを使ってまで、コスモスに添え木をしてくれた優しさが幸村の中で重なった。
ずっと持ち歩いていたポケットの中のハンカチを取り出そうと、幸村がひなたに声を掛けようとしたときだった。

「姉さん、用はもう終わったよね。早く帰ろう」
「えぇ、そうね。いつまでも部外者がいては邪魔になるだろうし」
「…ちょっと待ちんさい」

仁王がひなたを呼び止めた。

「…私ですか?」
「そうじゃ。…“おばあちゃん”ってあだ名で呼ばれてるってほんまか?」
「?はい、本当ですけど?」

質問の意図が掴めずにひなたは首を傾げる。結人が驚いたようにひなたを見ていることにも「ぶっ」と必死に笑いを噛み殺しているブン太にも気付かない。

「俺もばあちゃんって呼んでもええか?」
「仁王くん!」

「女性に対して失礼ですよ」と紳士と名高い柳生は仁王を諌めるが、仁王は真っ直ぐとひなたを見つめたまま目を逸らさない。突然の申し出にきょとんとしていたひなただったが、仁王の真剣な瞳に頷きを一つ返した。

「えぇ、別にいいですけど…」
「ちょっと、仁王先輩!あんた、本当に姉さんに言ったこと、悪いと思ってるのかよ!」

ひなたの返事に仁王は嬉しそうな笑みを浮かべたが、結人は仁王の申し出に裏しか感じない。何を考えているかはわからないが、とりあえずこの元凶である仁王が全く反省していないであろうことはわかった。この件は互いにチャラだと、ひなたが話をつけたばかりではあるが、結人は仁王に関しては許してはいなかった。…姉に散々言い聞かされたためそれを表に出すつもりはなかったのだが。

「思うとる。だからさっき頭下げたじゃろ?」
「じゃあ、どういうつもりですか!ばあちゃんとか……ふざけないでください!」

結人が怒っている横で、当の本人であるひなたは、弟が一体何に対してそんなにも怒っているのか理解できずにおろおろとしていた。
仁王は結人に睨まれても、動揺することなく、再び真っ直ぐにひなたを見た。

「ふざけてなんかおらん。…ただ…、友達になって欲しいだけじゃ」
「…え?」

真っ直ぐに見つめられ、ひなたは訳がわからない。疑問符を浮かべながら混乱しているひなたの代わりに声を荒げたのは、やはり結人だった。

「ふざけんな!冗談もほどほどにしろよ、この白髪ヤロー!」
「こら、結人!そんなこと言っちゃダメでしょ」



――ひなたとテニス部レギュラーとの記念すべき一回目の会合は、混乱の内に幕を閉じた。



120226
全員を喋らすことを目標にしたら、本当にカオスに…。
8人を動かす技量が、私にはないんです…orz


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