ソレーユの猫 | ナノ

「どうしたの、結人?」

ずっと無言で歩き続けていた結人の足が止まったのを見て、ひなたは声を掛けた。
ひなたの腕を離した結人は、振り返りひなたと視線を合わせた。

「ごめんね、姉さん。俺のせいで嫌な思いさせちゃっただろう?」

その言葉に、ちょとんとしたひなただったが、やがてくすくすと笑い出した。

「やだ、そんなこと気にしてたの?」

ずっと無言でいた結人に、自然と二人の間の空気も重くなっていた。どうしたのだろうと弟の様子を気にしていたひなたとしては、結人の発言は拍子抜けしてしまうものだった。

「“そんなこと”って…。俺にとったら大事なことだよ」
「ふふ、それはありがとう。でも、私は気に病んでもらうほど嫌な思いしてないわ」

未だ笑っているひなたに、結人は少し膨れた。年相応な様子にひなたはますます笑いを誘われてしまうのだが、そこで素直に笑ってしまえば悪循環にハマってしまうだろう。
何とか笑いを抑えようとしているひなたに、結人は未だ不満そうな視線を送っていたがやがて視線を逸らし口を開いた。

「…でも、先輩達の気持ちもわからなくはないんだ」

それは小さな声だったが、ひなたの意識を引くのには十分だった。

「顔しか見ないで好きだとか彼女にしてとかって気持ち押し付けられて。断ったら断ったで、冷たいとか酷いとか言われたりするし。…知らない人に優しくなんてできるはずないし、そもそも顔しか見てない人に優しくなんかできるかよ」

段々と声が小さく、もごもごと言葉の形を失っていくが「だから」とひなたと視線を合わせたその顔にはしっかりとした意志が宿っていた。

「姉さんにしたことが許されるって訳じゃないけど、ちょっとは先輩達の気持ちもわかって欲しいんだ」

その言葉に、ひなたの顔が自然と笑みになっていく。
結人が言った言葉に対してではなく、結人がそういうことを言ったという事実が、ひなたには嬉しかった。
先輩を庇う言葉――それは結人が先輩達を認めているという証拠だった。
結人がテニス部に入部して数日後、目をキラキラと輝かせて帰ってきたことがあった。「強い先輩がいた」と。「超ムカつく。めっちゃいけすかない。いつか絶対倒す!」と語る結人に、ひなたは嬉しさが込み上げた。自分が結人をテニス部に縛り付けたという事実は変わらない。変わらないが、自分以外にもテニス部に拘る理由ができた。義務感だけでなく、結人がテニス自体を楽しんでくれるかもしれない。
ただ自分の罪悪感を軽くしたいだけで、自分本位な喜びだと自覚していても嬉しく思う気持ちは抑えられなかった。

こうして今日、また先輩を庇う言葉を聞くことができた。
他人に一定の距離以上踏み入ってくるのを拒絶している弟が、誰かを尊敬し庇った。

口角が上がるのを抑えることができなかった。

「?姉さん?」
「え、あぁ…。ごめんなさい」

ふふ、笑ったひなたに結人はますます不思議そうな顔をする。首を傾げ置いていかれた感のある結人を見て、ひなたもようやく思考から帰ってくる。首を振って自身の喜びを振り払うと結人に向き合う。
結人の発言はひなたを喜ばせるような内容であったけれど、ひなたにとっては正しいと思える内容ではなかった。
男と女では考え方が違うと言うし、結人の倍の人生経験を記憶しているひなただからこそ思うこともあるのだ。

「結人。私、さっきも言ったけど、嫌な思いもしてないし怒ってもいないわ」

ひなたにとって子供としか思えない子達にあれこれ謂われのないことで責められたとしても、さほど感情が動かされることはない。周りから見れば同年代であったとしても、ひなたからすれば保護者に似た視点からしか接することができないのだ。それゆえに、“お母さん”から始まり“おばあちゃん”と言った老けたあだ名が付くことになるのだが、それを受け入れているひなたには何ら問題はなかった。

「でもね、結人は誤解してると思うわ」
「誤解?」

一つ頷く。先輩達を庇いながらも、あの口ぶりでは結人も同様に女性関係で嫌な思いをしたことがあるのだろう。結人はひなたとは違って、美男美女である両親の遺伝子を色濃く継いでいた。小さい頃から何かと造形のきれいな異性との関わりの多かったひなたではあるが、そんなひなたから見ても弟は美男子だと思えた。
中学に入って、そういう色恋のことに巻き込まれていたとしても不思議ではない。
正直、ひなたにとっては弟のテニス部の先輩達が女性に対してどのような認識を持っていても気にしないが、可愛い弟は別だ。結人の考えを間違いと否定することもできないが、今のように頭越しに女性というのを否定してしまうのはよろしくない。そこだけは改めてもらって欲しい。これからの人生に支障が出てしまっては困る。

「女の子って、男の子が思ってるよりずっと頭がいいの」
「?」

ひなたの言葉に、結人は僅かに首を傾げる。唐突に話し始めた内容に、困惑しているようだった。

「確かに女の子同士で誰々がカッコいいってキャーキャー騒ぐの好きよ?集団行動だって好きだから、騒がれてる方からすれば迷惑だと思われてもしょうがないわ。特に、みんなといてテンション上がったときなんか、いつもだったらやらないような大胆な行動までしちゃうし」

うんうん、と頷きながらも自身の行動を振り返ったのか小さく苦笑いを溢すひなた。

「でもね、それはあくまで観賞用であり友達と騒ぐのが楽しいだけなの。本気で好きになるのとは別だわ」
「…どういう意味?」

話の意図がわからず、結人がついに直接尋ねた。苦笑いを消したひなたは真っ直ぐと結人を見た。

「女の子は顔だけで恋したりしない。好きだと好意を伝えてきてくれる子は、例え貴方と話したことなかったとしても貴方も気付いてない魅力に気付いた子かもしれないってこと」

告白という行為がどれほど勇気が必要なものであるか、したことのない者にはわからないだろう。ただ顔が好みだから、カッコいいからという理由だけでできるようなものではない。そうひなたは思っていた。
もしかしたら、顔が好みだったから好きになったのかもしれない。きっかけは顔だったとしても告白に至るまでにそれ以外の理由ができているだろう。
ならば、それを“顔しか見ていないくせに”と拒絶することがどれほど残酷な行為であろうか。
告白する側にも礼儀が必要ならば、告白された側も誠心誠意答えるのが“礼儀”というものではないだろうか。

「顔しか見てないだなんて失礼なこと言って女の子振ったりしたら、お姉ちゃんは許しませんからね」

ひなたの言葉に、結人が頷いたのを見てひなたは笑みを浮かべる。結人に考えるきっかけをと思って話していたはずが、結局最後は実力行使になってしまった。それでも姉の言葉ならば素直に聞く耳を持つ弟のことが、ひなたは可愛くてしょうがなかった。
何か考えている様子の結人に、ひなたは空気を軽くするように努めて明るい声を出した。

「大体ね、顔しか見てないって言うけど、顔がいいってすごい恵まれたことなんだからね」

見目を究極まで磨き上げることでお金を稼いでいる人だっているのだ。それだけで一種の才能と言ってもいいだろう。

「それに誰だって、見目がいい人の方が好きに決まってるでしょ?」

人差し指を立てて言ったひなたの言葉に結人はきょとんとするが、ひなたの顔に悪戯っ子のような笑みが浮かんでいるのを見て思わず自身も笑い出してしまった。
結人にとってはコンプレックスでしかなかった顔。それが姉の手にかかれば何でもないことのように思えてしまう。いつも変わらずに自分の傍にいてくれる姉に、どれほど救われてきたか結人自身でさえわからないほどだった。――シスコン。その自覚はあるが、シスコンと言われてもいいか、だって自分は姉さんが好きなのは事実だし。そんな風に思ってしまう。

「あはは、逆にそこまで言い切られると清々しいね」
「ふふ、そうでしょう?」

二人の会話は今の時間に気付いたひなたの声で終わりを告げた。元々朝練が終わってから、授業が始まるまでの短い時間に起きた出来事だったのだ。
本来ならば、このまま何事もなく日常に戻るはずだった。



「…へぇー。おもろいもん、みーっけた」




――ただ、少しだけ厄介な人物の好奇心が疼いたり
ただ、少しだけ普通より姉を大事に思う弟が姉に暴言を吐いた相手に暴言を吐かれた本人以上に怒っていたり
ただ、少しだけ不器用な人物が謝るという行為が苦手故になかなかできなかったり


そんなことが積み重なって、些細なはずの諍いは、立海大テニス部レギュラー陣全員を巻き込む出来事となってしまった。


120220


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