ソレーユの猫 | ナノ

仁王雅治は、春があまり好きではない。
三年ほど前から花粉症になった姉の機嫌が著しく低下し続け、八つ当たりをされるという苦い記憶があるからかもしれない。または自身がテニス部のレギュラーとなり、多くの女子から熱い視線で見られるようになり被ることになった迷惑のせいかもしれない。春というのは、新入生がやってくる。ファンクラブだとかのお陰である程度迷惑を掛けないファンと違い、新入生達は好きだと、カッコいいという気持ちのまま暴走することがよくある。そんな上がったテンションのまま気持ちをぶつけられたって本人にとっては迷惑としか思えない。だからこそ、仁王雅治は暴走したファンによって迷惑を掛けられるこの季節を、好ましく思えなかった。

――例えば、ほら、こんな風に。

朝練を終え、レギュラー専用のロッカールームへと向かっていたときだった。季節はゆっくりと夏へと移ろいだしていて、太陽の日差しも鋭さを増してきていた。
タオルで滲んだ汗を拭い顔を上げた仁王に、ロッカールームの辺りをうろうろしている女子生徒が目に入った。

はぁ、ため息が零れる。
季節は徐々に夏へと移っていても、未だファンクラブは新たなファンの教育を徹底しきれていないらしい。ファンがレギュラー専用のロッカールームの辺りをうろつくのはご法度である。
そして、その少女はお弁当箱のようなものを抱えている。…ファンからの差し入れはブン太を除き本人が望まない限りは厳禁である。

朝練でただでさえ疲れているというのに。…今年は幸村が戻ってきた分、熱狂的なファンが多いのかもしれない。無視しようかとも思ったが、そうなれば他のメンバーに迷惑が掛かってしまう。しょうがない、自分がやるしかないか。そう結論付けた仁王は、ため息をまた一つ吐いてからその少女へと近づいて行った。

「おい、」
「あ、おはようございます」

困ったように辺りを見回していた少女は、仁王を見上げると安心したように頬を緩めた。仁王は内心その反応に苛立ちを感じるがそれを表に出すようなことはしない。

「何でこんなとこにおるんじゃ」
「私、これを届けに来たんですけど道に迷ってしまって…。ちょうどよかった。テニス部の部室ってこの辺ですか?」

“道に迷って”?“ちょうどよかった”?白々しい。しまいには、部室の場所もわからんフリか。
仁王の苛立ちは徐々に積もっていく。何故だかはわからないが、目の前の少女を見ていると苛立ちが募っていく。花粉症がようやく落ち着いて機嫌も良好になっていた姉貴に昨日の夜、理不尽にパシられたのも、今日真田にいつもより多く走らされたのも、今目の前にいる少女のせいのような気さえしてくる。見当違いとわかっているけど、夏が暑いのもポストが赤いのも、全部全部少女のせいにしたくなっていた。…仁王雅治は、八つ当たりのすることができる人物を心のどこかで探していたのだろう。普段は面倒事には関わらないようにのらりくらりとかわし続ける仁王だが、それでも無性に苛立つときというのはあるし、この少女の雰囲気がそんな仁王の嗜虐心をくすぐってしまった。いつも心のどこかで溜めこんでいた女子への不満を、少女へとぶつけていた。

「よう言うわ。そんなもん持って白々しい。どうせお前さんも誰かに差し入れしに来たんじゃろ?」
「え?」
「迷惑とは考えんのか」

訳がわからないといった少女の様子を構ったりはしなかった。少女が身を包んでいる制服が高校のものだとわかって、さらに気持ちは冷めていく。

「大体…、お前さん高校生なんじゃろ?そんな年下の中学生に熱上げたりして恥ずかしいとは思わんのか」
「え、あの…、?」

仁王の怒涛の勢いで言葉を掛けられ、少女は混乱しているようだった。憧れの相手であるテニス部員にこれだけ言われたら泣くかもしれないな、と思っていた仁王はその反応に少し驚いた。…泣いたら泣いたでうざいと思っていたが、泣かないのは泣かないので何だか気に入らない。
仁王の理不尽な思いなど、目の前の少女は知らないだろう。

「仁王、何をしている」

そんなときに聞こえてきた第三者の声。副部長を務める真田弦一郎のものであると、仁王は振り返らずともわかった。そしてまた疼く嗜虐心。真田にチクって、怒鳴られたらええ。そんな気持ちのまま真田に今の状況を説明した。

「またルールを知らんファンが差し入れ持ってきたみたいなり」
「なんだと!?」

仁王の言葉を聞くなり、真田は一直線に少女の前へと歩を進めた。そして、相手を威圧するその大きな声で怒鳴り出す。

「ファンクラブからテニス部のルールについて教わりはしなかったのか!応援してくれるのは有り難いが、こういう行為は迷惑にしかならないとどれほど…!」
「ソイツ、高校生っぽいぜよ。外部からの編入生でルールとか知らんのかもな」
「…確かに高校の制服だな。しかし!常識的に考えて、そういった行為が迷惑になるかもしれないとは思わなかったのか?少し一般常識が足りないのではないか」
「え、あの、」

容赦ない真田の説教。その迫力はもちろんだが、言っていることもなかなかに残酷だ。常識を振りかざし“常識外れ”の烙印を押すなど、憧れの相手云々の前に言われたらショックを受ける言葉だ。それをさらに憧れの相手である自分達が言うなんて…。ほんま、真田は意地悪じゃのー。
仁王の口の端が覆い隠した手の下で弧を描く。真田の言葉を止めるつもりも、フォローする気もゼロだった。
さぁ、今度はほんまに泣いてしまうかもしれんの。
そう思って仁王は真田から少女へ視線を移した。

少女は泣いてはいなかった。
傷ついた様子はなく、むしろ何かを説明しようと必死に口を開こうとしていた。…その度に真田の説教が言葉を遮り仁王の耳へ、その声が届くことはなかったが。

…何か様子がおかしいのー。
仁王の中に微かな違和感が出てくる。自分達のファンは、自分達を前にしてもこんなにも落ち着いた様子であったろうか?頬を赤らめたらどこか挙動不審だったり顔を無遠慮に凝視したり…。本命は別だからかと思っていたが、それにしても自分達は見目がいい。本命とか関係なく多少は態度に出るのが常だったのだが…。

「姉さん!」

再び第三者の声が聞こえてくる。その声に、真田と仁王も弾かれるように自分達の背後を振り返る。
少女は真田の陰から顔を出すと、その人物を瞳に捉え柔らかな笑みを浮かべた。

「結人!」

結人と呼ばれた少年は、少女の元に駆け寄ると、真田と仁王から庇うように少女と真田、仁王の間に割り込んだ。そして、真田と仁王の存在を無視したまま、会話は続いていく。

「姉さん、何でこんなところにいるの?テニス部には絶対近づかないでねって言ってあったよね?」
「うん、ごめんね。でも、ほら。今朝結人がお弁当忘れたみたいだったから…、届けなくちゃって思って…」

そういって、抱えていたお弁当を少年へと差し出す。
少年は驚いたように目を見張るが、やがて異性が見たら一発で惚れてしまうのではないだろうかというほどの蕩けるような笑みを浮かべた。

「ありがとう、姉さん」

その言葉に、少女も笑みを浮かべて応える。
まるでラブラブのカップルのような雰囲気であるが、互いの呼称から言って二人は…

「萩野、もしかしてその人は…」
「…俺の姉ですが。真田副部長に仁王先輩が、姉に何か御用ですか?」

仁王と真田を振り返って答えた少年の瞳には、先ほど少女を見つめていたときの優しさなど欠片もない。その瞳は、はっきりとした敵意の宿る冷たいものだった。
真田の顔色が心なしか悪くなっているような気がした。唯一状況が全く掴めない仁王は、真田へ声を掛けた。

「真田、なんじゃコイツは。知り合いなんか?」
「…萩野結人。今年、テニス部に入部しただろうが」

萩野結人。…そういえばそんなのもいたような気がするがいなかったような気もする。赤也が萩野って一年がどうのこうのって言ってたような言ってなかったような…?仁王にとってはその程度の認識しかなかった。何しろ、立海大附属中のテニス部は運動教育に熱心な学校の中でも特に成績のいい部活。今年については全国大会の三連覇を成し遂げるかもしれないと、生徒から絶大な人気を誇っていた。当然、入部してくる新入生の数も多い。
いちいち新入生の顔など覚えていられない仁王は内心首を傾げるが、萩野と呼ばれた少年は確かに真田のことを“真田副部長”、仁王のことを“仁王先輩”と呼んだ。…真田のいう通りテニス部員なのかもしれない。

「…じゃあ、俺達はとんでもない誤解を…?」

小さな真田の呟きにも、少年――結人は冷たい目で見るだけだった。

「何があったのかは知りませんが、俺達は失礼します。姉も先輩方には用ないでしょうし」

最後にそう残して、結人は姉であるという少女の腕を引いて真田の前から去って行った。

「何て失礼なことをしてしまったんだ、俺は…」

ようやく自分が誤解していたとはいえ、目上の人に失礼なことを言ってしまったと自覚した真田は、自責の念に囚われていて二人の後をつけて仁王がその場から去っていたことに気付かなかった。



120208
…あれ、仁王がすごいドSに…。何で…?


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