ソレーユの猫 | ナノ

少しだけ、私の懺悔とも言えぬ独白に付き合って下さい。

side.×××


「新入生代表、一年萩野ひなた」
「はい!」

壇上への階段を一歩ずつ上がっていく。ただそれだけの行為なのに、背中に嫌という程視線を感じる。
…まぁ、それも当然なのかな。新入生代表ってやっぱり気になるものよね。私が選ばれたのは、一番の成績で合格したから、とかそういう理由ではないけれど、でもそんなこと私と教員の先生方以外は知らないんだものね。

紙を開いて息を吸う。

「本日は、私たち新入生のためにこのように盛大な入学式を催して頂き、まことにありがとうございます。校長先生をはじめ、諸先生方ならびに来賓の皆様にも、心より御礼申し上げます」

マイクで拡張された声が、体育館に響く。

不思議と緊張はない。
あれ、おかしいな。私、前世の頃からあがり性だったはずなんだけど。
内心首を傾げるけど、口はすらすらと紙に書かれたことを読み上げていく。声が震えたりだとか手が震えたりだとか、そんなことはない。

「姉さん、テニスやめるって本当?」

結人の声が唐突に頭の中で聞えてきた。

「それって…、家のため?」
「何言ってるの。私の意志よ。…前ほどテニスを楽しいと思えなくなったの」
「…嘘だ、」
「嘘じゃないわ。…ずっと黙っていただけ」


一つの嘘をつく者は、自分がどんな重荷を背負い込むのかめったに気が付かない。つまり、一つの嘘を通すのに別の嘘を二十発明せねばならない。
そう言ったのは誰だったか。スウィフト、だったっけ。
本当にその通りだと思う。

「嘘だよ!」

そこで私は始めて茶碗を洗っていた手を止め、弟と向き合った。顔を俯かせていてその表情は見えない。けれど、堅く握った拳が、肩が、僅かに震えていた。

「嘘吐かないでよ…。本当は、テニス、高校でも続けたいくせに…っ」

結人の瞳には涙が溜まっていたけれど、とても真っ直ぐだった。その真っ直ぐな瞳が私の中の何かを射抜いたかのようだった。何も言うことができない。

「…ほら、やっぱりそうなんじゃないか…!」

肩を掴まれる。…いつの間にこんなに大きくなったんだろう。どこか冷静な自分がそんなことを考える。ずっと身近で見てきたはずなのに、私よりも背が高くなっていることを始めて意識する気がする。手だって、大きくごつごつした男性の手に…“テニスプレーヤー”の手になってる。

「姉さんだけに働かすことなんてできないよ!俺だって、部活なんかしないで、姉さんと一緒にバイトする…!」

そこまで聞いて、ぼんやりと冷静に考えていた頭も慌て出す。そんなことさせられるはずない。

「結人、何言ってるの、そんなこと…」
「でも!姉さんはするんだろう…?」

結人の瞳が、泣きそうに揺らぐ。


大人になるというのは、時に残酷なことだと思う。

「明け方まで降っていた春の雨は上がり、私たちを包む景色はまるで輝いているように見えました。桜の花や春の花々が笑ったように咲いていて、とても幸せそうに見えました。そういた些細な日常の一コマを美しい、幸福そうだと感じるのはきっと、今日この立海学園への入学できることに胸を弾ませているためではないかと思います」

「そう…かもね。私は、結人の言うようにテニスしたいのを我慢しているのかもしれないわ」

もうこの時には、私はバイトを始めていた。小さい頃から育った家ではなくて、もっと安く生活できる小さな家に結人と二人移り住んでた。…父さんは、傾きかけている会社を立て直すために海外へと行った後だった。
私がバイトを始めたことを、きっと父さんは知らないと思う。テニスをやめたことも。だって、これは、私の勝手な我が儘だから。

「なら…!」
「でもね、結人。貴方は四月から中学生になるような子供よ。そんな子、どこだって雇ってくれるはずないでしょう?」
「でもっ、」
「だからね、結人。私の分まで、テニス部…頑張ってくれないかしら」


そう言ったら、結人がテニス部に入るしかないってわかってて言った。
それは、間接的な呪縛。
これから、結人にも辛いことがあるだろう。壁にぶち当たることもあるだろう。辛さから抜け出せなくなって、テニスをやめたいと思うかもしれない。
けれど、私の言葉がある限り、結人はテニスをやめることができない。
…結人は優しい子だから。
緩くていつでも逃げ出せるような網の中でも、きっと自分からは抜け出したりしない。

それがわかってて、私は、何よりも残酷な呪縛を、弟にした。

前世の記憶を取り戻し、不安定だった私を受け入れてくれたのは、家族だった。
気持ち悪いと大人も子供も敬遠する私に手を差し出してくれたのも、家族だった。
前世としての私としてじゃなくて、“萩野ひなた”として生きて行こうと思えたのも、家族のお陰だった。

私にとって、家族はかけがえのないものなんです。

だから、何に変えても家族を守りたかった。
それを家族が望んでいなかったとしても――…


「…ます。拙い言葉ではありましたが、以上をご挨拶の言葉に代えさせていただきます」


大人になるということは、どういうことだろうか?

きっと答えは人によって違う。

私は、時に残酷さを含んでいると、そう思う。

でも…、

本当に残酷なのは、“異物”であるということを自覚していることではないだろうか…――



それでも生きていこうと、そう思えた大切な人達のために自分のやれることをやるのは、間違いでしょうか…?
誰の許しもいらないと思って生きてきたけど、こうして同意を求めているということは、誰かの許しが欲しいのでしょうか。…二度目の人生だというのに、私はまだまだ未熟なようです。


締めくくりの言葉と共に下げていた顔を上げると、窓から差し込む光が妙に眩しくて、涙が出そうになった。


110127


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