ソレーユの猫 | ナノ

ひらひらと桜が舞う木の下。それがお別れの場所になった。

side.A


「…んん…。ひなただCー。」
「おはよう、慈郎くん。」

くすりと笑ったひなたは、俺の髪の毛を撫でるように梳いた。髪からひらりと桜の花びらが落ちる。
重い瞼を懸命に持ち上げる。今日は、ひなたとの時間をどうしても大事にしたかった。

二人して木に寄りかかって空を眺める。桜の花びらが、雪のように青の中を舞っていた。
ひなたとの時間を大事にしたかった――、そうは言っても俺達の間に会話はない。それはいつものこと。俺は例え会話はなくても、ひなたと過ごす時間が好きだった。温かくて優しくて…、いつもの何倍も遅く流れる、けれどあっという間に過ぎていく時間。

ひなたが髪を耳に掛けたのが視界の端で見えた。ひなたの髪は、初めて会ったときより長くなった。テニス部を引退してから、髪を切らなくなったからだろう。
…テニス部。揉めたというほどではないけれど、ひなたはテニス部でいろいろあったらしい。詳しいことはわからない。けど、ひなたは引退してから一度も女子テニス部に顔を出すことはなかった。ときどき、テニスコートがある方を何て形容したらいいのかわからない瞳で見ているのを見掛けた。今でも後輩にも同年代の人にも慕われているのに。なのに、何で一度も顔を出さなかったんだろう。…口に出したことはなかったけど、ずっと不思議に思ってた。

「行っちゃうの?」
「…うん。」

するりと声が出た。
視界の端でも一度認識してしまったら、ひなたの手元にある黒い筒から目が放せなかった。――学生時代の区切りと…、…俺達の別れを表すソレ。

「立海だっけ?」
「うん。」
「神奈川かー…、遠いね。」
「うん。」

ぽつぽつと、桜の花びらが音なく舞うように、とても静かに俺達は言葉を交わした。
するすると言葉が続いてたのに、次だけは少し言葉にするのを躊躇った。

「…また…、会える?」

ひなたの家の事情を少しだけ、ほんの少しだけ知ってる。跡部が、教えてくれた。ひなたのお母さんが亡くなったこと。その車を運転していたひなたのお父さんの親友であり片腕でもあった人も一緒に亡くなったこと。妻と親友を失った悲しみと片腕を失ったことから、ひなたのお父さんの会社の経営が上手くいってないこと。
これは、跡部だけじゃなくて、多分学校のほとんどの人が知ってる。お金持ちの子供がたくさん集まる学校なのだ、そういう情報はすぐに噂になる。

…そして…、ひなたは氷帝学園の高等部ではなくて、立海大付属高校に編入することになった。

ひなたが年上だって、いつもは意識したことなかった。
年上だったとしても、ひなたが卒業したとしても、同じ敷地内にいれば、こうしてまた一緒に時を過ごすことができるってそう思ってた。今よりずっと頻度が低くなったとしても、この木の下にひなたがいて、俺もその横で寝て――そんな時間を過ごせるって。
でも、それは叶わなくなるみたいだ。
ひなたの卒業は、今までの俺の認識と違って、本当の意味でお別れなんだ。
本当は“また会える?”なんて聞くべきじゃなかったかもしれない。でも、聞かずにはいられなかった。

「うん、きっと会えるよ。」

――ほら、ひなたは俺の望む答えをきっと言ってくれるってわかってたから。

笑顔で答えてくれたひなたに、嬉しく思うのに、何でだか泣きそうになった。

「本当よ。きっと会えるわ。私達、友達でしょ?そんなに心配なら、慈郎くんが呼んだら駆けつけるって約束するよ。」

俺の気持ちを見透かしたように、ひなたが声を掛けてくれる。
俺のための言葉を掛けてくれるのに、決して俺の顔を見ないでいてくれるひなたの優しさが、好きだった。俺が泣きそうになってること、そんな顔を見られたくないってことちゃんとわかってくれていることが嬉しかった。

本当はわかってた。
卒業式の後、みんなにお別れをしてから、こうして俺のために時間を作ってくれたってこと。
俺がちゃんと別れを受け入れられるように。寂しがったりなんかしないように。

「慈郎?慈しむかー、慈郎くんにぴったりな名前だね。」

大丈夫。
俺の中に、ちゃんとひなたとの思い出があるから。多くはないけど、少なくもない。思い出す度に、心が温かくなる。ここに来れば、どんな些細な会話でも思い出せる。

「約束だよ?俺が呼んだらちゃんと来てよねー…。」
「うん、勿論!」


さよならじゃないのなら、また会えるのならば、いつものように別れよう。



「「またね。」」


桜が降る、澄んだ青空の日に、ひなたは氷帝学園を卒業した。


111124


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