女主用短編 | ナノ

部屋中に満ちる独特の匂いが嫌で、あちこち痛む身体を押して突き上げ戸を開ける。

あぁ、最悪。

いつも思うことだけど、今日は余計に強く思う。でも、これもあの人の役に立つことならば。
月を見上げながら、あの人のことを思い描く。月のように冷たい光をその瞳に宿した人。凛とした雰囲気も、闇の中で孤高に輝き続ける様子も、月はあの人に似ていると思う。
うっとりと、思わず笑みが浮かぶ。思い浮かべるだけで、こんなにも私は幸せになれる。
あぁ、本当にあの人はすごい人だわ。
先程までの一時がまるで悪い夢だったかのように思える。あぁ、あぁ、本当にあの人は偉大だ。あの人がいれば、私はどんな世界でも生きていけるだろう。

「名前」

微かな空気の振るえがしたかと思えば、私の名が呼ばれる。その声は、今まさに月に重ね思い浮かべていたその人で、振り返る前から私の気分は高揚した。

「利吉さん!」
「あの土倉屋の主人から何か聞き出せたか」
「…はい」

雑談するつもりはないとでも言うように、用件を聞かれてしまう。その瞳には、一欠けらも私への感情なんて浮かんでいない。

「最近、とても儲かっているようです。羽振りもとても良くて…、近々また大きな買い物をすると言っておりました」

悪趣味で気持ち悪い人だったけれど、利吉さんの役に少しでも立てればと頑張って聞き出した情報だ。
きっと役に立てるはずだ、ありがとうとそう言ってくれるのを期待して利吉さんを見上げると、利吉さんはため息を吐いた。

「その程度のことしか聞けなかったのか」
「…え」
「…まぁ、しょうがないか。まぐわいの最中ならば口も軽くなるかと思ったが、所詮は小娘相手。これくらいの情報しか引き出せなくとも仕方ない」

利吉さんの吐くため息がひどく大きく聞える。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
そんな瞳で見ないで下さい。そんな…、期待外れだと言わんばかりの瞳で。

あの男の性癖に付き合ったせいで、身体が思うように動かない。
でも、そんな傷みなんか気にならない。それよりも、利吉さんの瞳が、鋭い刃のように私の心に斬りつける。

嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

「利吉さん、お願いです。もっと…もっと頑張ります。だからどうか捨てないで下さい。お願いです」

貴方にとって、私は何の価値もないこと、知っています。
私は情報を集める手段の一つだってこと、きちんと理解しています。
利吉さんの欲しい情報が手に入れられなければ、私はその辺に転がる石ころと同じになってしまう。
そんなの嫌だ。
利吉さんにとって私に何の価値がなくとも、私には利吉さんは唯一の方なんです。
貴方がいたから、私はどれだけ汚れても生きていこうと思えたんです。貴方はもう覚えていないかもしれないけど、貴方が掛けてくれた言葉があったから私は今こうして生きているんです。

貴方に捨てられたら、私は生きている理由を失ってしまう。生きている価値を失ってしまう。

嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

お願いです、貴方の道具でいさせて下さい。
お願いだから、捨てないで下さい。

「捨てないで下さい捨てないで下さい捨てないで下さい捨てないで捨てないで捨てないで捨てないで…」

みっともなく縋りつく私は、きっと利吉さんに鬱陶しく思われるだろう。
でも縋りつくことしかできない。
情けなくとも鬱陶しくとも、恥も外聞もない。
貴方に捨てられないためならば私は何でもできる。


「捨てないで、お願い 」



月のようにどれだけ手を伸ばしても届かぬ瞳が、縋りつく私を見下ろしていた。






120308
リーの色彩理論様提出


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