食堂 | ナノ

「喜八郎、またここに居たのか」

食堂の裏側、おばちゃん達が私達の食事を準備するところに、喜八郎はどこから持ってきたのか小さな木の台を置いて座っていた。

「滝も来たの?座る?」
「座らんわ!これから授業だろうが!早く行くぞ!」
「えー…やだぁー…」

何度目かわからぬやり取りにおばちゃんが苦笑いしている。

「そもそもこんなところに居たらお二人の迷惑になるだろうが」
「え、そんなことないよ。ね、沙代さん」
「迷惑だからさっさと出てけ」
「ほら、ね。迷惑じゃないって」
「お前の耳はお飾りか」

私達の会話など見向きもせずに食事の準備をしていた沙代さんが喜八郎の言いように手を止めて呆れた視線を送ってきた。沙代さんがこちらを向いたことで私の心臓はドキリと小さく跳ねた。――私は沙代さんが苦手だった。沙代さんの粗雑な口調は私の周りに居た女性は絶対にしないものだったし、沙代さんの瞳は何故だかわからないけどどこか怖かった。人形のように人間とそっくりの瞳をしているけど、そこには何の感情も篭ってはいない。そんな空虚な瞳をするときがあって、その瞳が私にはひどく恐ろしく感じた。
そんな沙代さんに入学してからずっと懐いている喜八郎のことが不思議でならなかったし実際に何故そんなにも沙代さんに懐いているのかと聞いたことがある。喜八郎は私の問いに呆れたような目を向け一言言った。

「滝には沙代さんの魅力がわからないの?滝は子供だね」

当時一年生だった私はその言葉にひどくむっとしたものだが、そうは言われても実際全く喜八郎の言う沙代さんの魅力というものがわからないのだから何も言い返すことができなかった。
それは三年生になっても変わらなかった。

「…平?」

失敗した、そう後悔していたときに上から声が降ってきた。狭い穴の中で体勢を整えながら上を仰げば丸く切り取られた世界の中に沙代さんが居た。

「落ちたのか。…ちょっと待ってろ」

そう言った切り、沙代さんはどこかへと行ってしまった。誰か呼びにでもいったのだろうか。そんなことを考えながら自分の状態を確認する。足を捻るという馬鹿な真似はしていない、苦無も持っている。うん、手も傷めていないようだしこれならいける。そう確信した私は苦無を土の壁へと突き立て少しずつ上へとあがっていく。無事に穴から這い上がったとき、遠くから沙代さんが駆けてくるのが見えた。不器用に片足を引きずりながらも駆けてくる様子は、いつも喜八郎を適当にあしらっている沙代さんからは想像できなかった。

「…あれ、出れたのか?」
「まぁ、私は学年一優秀な滝夜叉丸ですからね。これくらい朝飯前ですよ」

いつもの調子で答えながらも私は内心動揺していた。沙代さんはもっと冷たい人だと思っていた。誰かが蛸壺に落ちたくらいで走ったり動揺したりする人ではないと思っていた。

「…ロープ、ですか?」
「え?あぁ、これで引き上げようかと持ってきたんだけど必要なかったな」
「…引き上げるって、…沙代さんが?私を?…もしかして一人で?」
「そうだけど…?」

不思議そうに首を傾げる沙代さんに私もきょとんとしてしまう。沙代さんは本気で私を穴から引き上げようとしたのだろうか?それも一人で?私達のように日々忍者になるための訓練をしている訳でもなしに、一般の女性とほとんど変わらないであろう細腕で子供とは言え男子を一人引き上げることができると本気で思っているのだろうか。いや、沙代さんの反応と発言から言って本気で考えているのだろうけれど…、…沙代さんって意外と間抜け…?

「おいこら、誰が間抜けだ誰が」
「いひゃいいひゃいいひゃいいしゃいですごめんなしゃい」

口から出ていたのだろうか頬を引っ張られる感覚に謝罪が口から出てくる。実際そこまで痛い訳ではないが咄嗟に痛いといってしまったのは混乱のせいか。

「ぷっ…、はは!変な顔っ」

不機嫌そうに顔を歪めながら私の頬を引っ張っていた沙代さんだったが、唐突に私の顔を指差し笑い出した。そのあまりにも無邪気で無防備な笑顔に私はまたぽかんとしてしまう。沙代さんはいつもさらりと喜八郎をあしらっていて言葉遣いも荒くて、とても粗野な人のはずで…。きっと子供があまり好きではないんだろうなって何となく思ってた。それが蛸壺に落ちた私を心配して走ったりして、ロープで引き上げようと思ったなんて無謀なことを実行しようとする。じゃれるように頬を引っ張ってきたかと思えば友達のように変な顔と言って笑う。
沙代さんに抱いていた印象が間違っていることを知った日だった。





「喜八郎、どこに行くんだ?」

天からきれいな女性が降りてきて、天女だと名乗った。美しいその少女に上級生が恋するのに時間はそう掛からなかった。上級生達は天女に夢中になった。天女しか見えなくなった。天女に自分を見てもらうことしか考えなくなった。そうして自然と勉学は疎かになり当然のように委員会活動というものを忘れ、後輩の存在さえも忘れてしまったようだった。先輩達の抜けた分の委員会は私達四年生や三年生が埋めなくてはならなくて、でもその埋めなくてならないものはあまりにも大きくて毎日のように私達は委員会の仕事をこなさなくてはならなくなった。
二週間振りに休める、そう喜八郎が昨日教室で会ったときに言っていた。それなのに私服へ着替えている喜八郎に私は尋ねた。

「沙代さんが買い出しに行くって言うから着いて行く」
「買い出しに?」
「うん」

最近、この辺は物騒になっていた。山賊や性質の悪いゴロツキが昼間でもよく出る。…それは近隣諸国まで知れ渡ってしまった天女の存在が関係しているのかもしれないが、あくまで忍者の卵である私には想像することしかできなく真実はわからない。とにかく、治安が悪くなっていたのは確かなことで、忍術学園でも下級生のみで出掛けることは禁止されていた。

「沙代さんが一人で?」
「もともとは善法寺先輩とかの六年生達と行く予定だったらしいんだけど、天女様と出掛けるから行けなくなったって今日の朝言われたんだって」
「はぁ、何だそれは?」

おそらくずっと前から計画されていたであろう買い出しの予定を当日の朝になって反故するなんてどういうことだろう。それも天女様と出掛けるから?…本当にあの人達はどこまで堕ちるつもりなんだろうか。

「まぁ、今のあの人達に何言ってもしょうがないでしょう。それで沙代さんが一人で行くつもりだって言うから僕着いて行くことにしたんだ」
「…そうか、私も行ってやれればいいんだが…」
「いいよいいよ。滝、体育委員会の仕事まだあるんでしょ。大丈夫だよ、僕一人でも」
「…気をつけてな」
「うん。滝も仕事早く終わったら寝るんだよ。目の下、クマできてる」

喜八郎は喜八郎をよく知らない人でないとわからないであろう微笑を浮かべ、部屋を後にした。

――あぁ、あの時、私は何故喜八郎を見送ったのだろう。止めることができたのは私だけだったのに。一人で同伴するのは危ない、先生に報告はしたのか、…何でもいい。何か一言掛けていればよかった。そうすれば喜八郎があんな目に遭うことも沙代さんが死ぬことも…――

天女が憎い。あの女が憎い。
私はあの女のせいで友を失うところだった。あの女のせいで尊敬していた先輩を失った。あの女のせいで大事な人を永遠に失くした。
どんなに言葉がおしとやかでもその所作は品位に欠けた醜いものだった。――言葉がどんなに粗野でも、所作一つ一つがきれいで丁寧だった沙代さんとは大違い。
あまいあまい言葉を吐きながら私は優しいでしょう?と微笑む様が賤しかった。――時に苦言になろうともその人を思うならば厳しいことでも言うのが本当の優しさではないのか?わかりづらくて、誤解されやすくて、けれどきちんと正面から向き合い言葉を掛けてくれた沙代さんとは大違い。

喜八郎、
喜八郎、
…馬鹿八郎――

「早く起きろ。沙代さんにまた怒られるぞ」






――あぁ、頭が痛い。

あの女を喜八郎に近づけるな

あの女を×××さんに近づけるな


×××さんって誰のことだ――…?

あの女を喜八郎に近づけるな

あの女を×××さんに近づけるな


わかった、わかったから



――あぁ、今日もまた夢を見る。

あの優しくて幸せで、けれどとても残酷な箱庭の夢。



120611
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