食堂 | ナノ

少しだけドキドキしながらドアをノックする。

「はーい、どうぞー」
「…失礼します」
「おや、沙代。よく来たね」

迎えてくれた山田先輩に頭を下げる。
今日は、山田先輩の研究室の見学に来ていた。
思い返せば昨日の夜、バイト終わりに山田先輩から突然「明日研究室の見学に来ないか?」と言われたことがきっかけになった訳だけど…、…まぁ、あまりの突拍子のなさに驚いてしまった。しかし、以前、見学に来ないかと言われていたことも考えると、そこまで突拍子のないことでもないのかもしれないが。
そもそもこうして見学に来ないかと声を掛けてもらえるだけで光栄なことだ。

と、いう訳で手土産片手に山田先輩の期待?を幻滅させてはならないと、若干緊張している。

「…あ、これ、お土産です。よかったら研究室の皆さんで食べて下さい」
「え?…そんな気を遣う必要なかったのに。でも、折角だからいただくよ、ありがとう」

ケーキを受け取った後、私の頭をぽんぽんと撫でると冷蔵庫へ私の手土産を仕舞いに行く山田先輩。知り合いが山田先輩しかいない私は手持ち無沙汰気味になって、研究室を見回す。
パソコンが…六台、それにソファーに、ポットだとか諸々。…内装としては雑渡先生の研究室とあまり変わらないようだ。まぁ、学校内なのだし当然かもしれないが。
一つ違うことと言えば、雑渡先生の研究室より色が多い。そして雑渡先生の研究室よりきれいだ。
雑渡先生の研究室はシンプルでモノクロの小物が多い。山田先輩の研究室は色が多いけどシックに纏まっている。…雑渡先生の研究室が汚いせいかもしれないけど、何だか山田先輩の研究室の方がオシャレに見える。少なくとも、この家具やらを揃えた人のセンスの良さが伺える。
キョロキョロしてると、山田先輩が戻ってきた。

「どうした?何か珍しいものでもあったか?」
「いえ…。随分きれいにされてるんだなーと思って」
「あぁ…。うちのとこの先生が、何時如何なる時でも部屋を汚くしたら怒るからな…」
「そうなんですか。…きれい好きな方なんですね」

まぁなと曖昧に答えた山田先輩が、「さて」と仕切りなおすように声を出した。

「簡単にだけど、ここの説明をしておくか」

そうして山田先輩は説明を始めた。
ここは、山本シナ先生という方が長の研究室らしい。
専攻分野は脳科学。とは言っても、この脳科学という分野、もともとは認知神経科学?と呼ばれる分野の一般向けの呼称であったらしい。分野的には神経科学と同じ、だとか。
らしいらしいと語尾につけてはいるが、山田先輩の話はとても簡潔かつわかりやすいのでするする頭の中に入っていく。

それにしても、何とも奥の深い分野のようだ。一日話を聞いたくらいではこの学問の面白さも魅力も、真の意味で理解することはできないだろう。
難しい話を聞きながら、それでも話している山田先輩の目がキラキラと楽しそうで、本当にこの人は自分の研究を心から楽しんでいるのだなと思った。
雑渡先生が言っていたことを思い出す。「学生は段々自分の研究を嫌いになっていく子がほとんどなんだよ」と。
研究は、上手くいくことばかりではない。時間を掛けたら掛けた分だけ成果が出てくれるという訳でもない。どんなに時間を掛けたって上手くいかないときはとことん上手くいかないのだ。自分の時間を費やしているにも関わらずいつまで経っても変わらない現状に、段々と嫌気が差し自分の研究を嫌いになるのは珍しいことではない。

まだ研究なんかしたことのない私には、雑渡先生の言葉を実感することはできなかったけど、理解することはできた。
今、こうして目を輝かせて自分の研究のどういうところが好きかを語っている山田先輩がどれだけすごいか。
誰かがこんなにも好きになれる分野の学問。その存在を知ることができただけでも、今日見学に来た価値があるというものだ。
楽しそうな山田先輩の話を頷きながら聞いていると、扉の開く音がした。

「ただいまー。あー、疲れたー!」
「…あ、山本先生。お帰りなさい」
「うん、ただいまー。あー、疲れた。利吉くん、お茶入れて……って、あら?お客さん?」

カツカツとヒールの音を響かせ入ってきたのは、白衣を羽織ったきれいなお姉さんだった。黄金色の髪はその顔の小ささが強調されるようなベリーショート。くりっとした瞳に、好奇心と勝気さが覗かれる。
…誰だろう、この超絶美人。小さい頃に遊んだ外国人の人形を思わせるほどの美人だ。モデルさんか何か?いや、モデルさんが研究室に来るはずないよな?ん?ってか、今この人山田先輩のこと利吉くんって……。あれ?
美人さんから目を離せずに固まっていると、美人さんも私のことを凝視しながら近付いてくる。

「なーに、利吉くんってば、彼女連れ込んだの?」
「違いますよ。前に言った“有望な後輩”ですよ」
「あー、今度見学につれてきてもいいかって言ってた子?え、何、女の子だったの?」

「はい」なんて山田先輩の声が聞えてくるが、相変わらず私は美人さんから目を離すことができなかった。と、いうよりも、美人さんが私のことを凝視しながら近付いてくるのだが、どんどん距離が縮まっていくのだ。いや、近付いているのだから距離が縮まるのは当たり前なのだけれど、でも、この距離の縮み方は異常だと思う。
一昔前のヤンキーのガンの付け合いの距離、と言ってわかってもらえるだろうか?今にも「あ゛あ゛ん゛?」と言われそうだ。
…いや、この距離だったら、キスする一歩手前、とでもいえばいいのか?むしろそっちの方が一般的か?

そんなことを考えてる私は、多分この事態に混乱しているのだろう。
それにしても、本当に美人さんから目を離すことができない。あまりにも近距離すぎるからかもしれない。先に目を逸らしたら負け、なんて野生動物じゃなるまいしとも思うんだけど、固まってる私にはこの目力の強い瞳から逃げることができない。

「ふーん」

品定めするような目で見られていたかと思うと、きれいな指が伸びてくる。咄嗟に目を閉じると、顎に冷たい感触。
続いて、顎を掴んだまま手を左右に振られてしまう。自然と、私の顔は右へ左へと動く。
一体何が起きているのだろうか。何も言えず、されるがままの私に見かねたのか、山田先輩が苦笑い交じりに声を掛けてくれた。

「山本先生、沙代が困ってますよ」
「…………ん、合格。可愛いわね、この子」
「……ありがとうございます…?」

私の顔を見るのに満足したのか、そんなことを言って離れていく美人さん。
安堵なのかなんなのか思わずため息が零れてしまう。

「沙代、改めて紹介するな。こちら、この研究室のボス、山本シナ先生だ」
「よろしくね、…えっと、沙代ちゃん、であってるかしら?」
「はい!木村沙代と言います。こちらこそよろしくお願いしますっ………え、先生?」

こんなに若くて美人な人が…?え、先生って…先生…?ボス…ってことは教授だよね?…え、この人、一体何歳…?
あまりにも混乱していたのだろう、心の声が駄々漏れになっていたようだった。美人さん――山本先生が口元にきれいな弧を描きクスクスと笑った。

「ふふ、若くて美人だなんてありがとう。沙代ちゃんは正直ないい子ね」
「ありがとうございます…?」

山本先生のペースについていくことができない。呆気に取られながら何とか返事をしていると、山本先生が私の向かいのソファーへと腰掛けた。
そして、そんな山本先生の前にお茶が出される。私の前にも同じようにお茶を出してくれると、山田先輩は山本先生と私の間のソファーへと腰掛ける。あれ、私研究室の見学に来たはずなんだけどな…。なんか面接みたいになってないですか?それともこれって私の気のせい…?

「沙代ちゃんは、脳科学の分野に興味あるの?」
「人間の心の動き方…って言えばいいんでしょうか。そういう心理学的な学問には興味がありました。脳科学については、…すいません、今日山田先輩に教えてもらうまで詳しい内容は知りませんでした」
「そうなの。それじゃあ、自分の進路や研究室についてはどう考えていたの?」
「進路…については深く考えたことはありません。研究室については雑渡先生の研究室の見学に何度か…」

“雑渡先生”の言葉が出た瞬間、山本先生の眼光が鋭くなった気がして、思わず言葉尻が小さくなってしまう。

「ふーん、雑渡先生の研究室ねー。ふーん、そっかそっかー、雑渡先生のところかー」

…気のせいか、声のトーンが低くなっている。眼光は先程から鋭くなったままだし、山本先生の空気が若干冷たくなっているような気がする。

「あの…?」
「ん?あぁ、ごめんなさいね。ちょっと、沙代ちゃんみたいな将来有望な子が、雑渡先生みたいにいい加減な上に不誠実、チャンポランを体現するような男の研究室に行くかもしれないって思ったら…、腸煮えくり返っちゃって」
「え?」

今さらりとすごいこと言わなかったか、この人?

「沙代ちゃん、私達先生っていうのはね、配属される生徒は選べないものなのよ」
「はぁ」

確かにそうだよな。だって、行きたい研究室を選ぶのは生徒だ。先生ができることと言えば…受け入れる生徒の人数を指定するくらいじゃないだろうか。
山本先生の言いたいことがわからなくて生返事しか返せない。けれど、山本先生は気にした様子なくニッコリときれいな笑みを浮かべた。

「でも、もし選べるのなら私は沙代ちゃんを選ぶわ、きっと。…私の研究室も、将来の研究室候補に入れてくれると嬉しいわ」
「…あの、」
「うん、なに?」
「ありがとうございます、そう言っていただけてとても嬉しいです。…でも、何故そこまで言っていただけるんでしょう?今日会ったばかりですし…、…一目で気に入っていただけるほど秀でたところはないと自覚しているんですが」

気を悪くされるかもしれない。そうは思ったけど、どうしても聞いてみたくなった。
初対面の私にそこまで言ってくれる理由は何なのか。…雑渡先生の授業を始めて聞いたときではないけれど、明らかに山本先生からも“できる人オーラ”が出ている。そういう人が、社交辞令でここまで言ってくれるものだろうか。
気を悪くされるかも、というのは私の杞憂に終わったようで、やはり山本先生はきれいな笑みを崩さぬまま私の問いに答えてくれる。

「そうね、それは幾つかの理由があるわ。まず一つ目。利吉くんよ」
「山田先輩、ですか…?」
「そう。うちの子はね、とっても目が肥えてるのよ。生半可な実力じゃあ、“将来有望”なんて評価しないのよ」

思わず、山田先輩の方を見る。
山田先輩は少し気まずそうに視線を下に頬を掻いていたけれど、やがて顔を上げ私と目を合わせると照れくさそうな笑みを浮かべた。
何となく恥ずかしさが込み上げてきて、そのまま視線を逸らしてしまう。…今、顔、少しだけど赤くなってる気がする…。
山本先生は、私達の様子に構うことなく話を続ける。

「次に二つ目。雑渡先生。…私ね、雑渡先生って大っ嫌いなんだけど、あの人の人を見る目に関しては少しは評価してるの。その雑渡先生が“何度か”見学“させてあげてる”子ってだけで、私はそれなりに興味が沸くわ」

…山本先生は、何故そんなにも雑渡先生のことを嫌っているのだろうか。何か二人の間にあったとか…?
今度、こっそり尊奈門さんに聞いてみようかな…。

「最後に三つ目。これが一番大きいわ。…私の直感」
「え…勘、ですか?」
「そう、勘」

これまで、それなりに根拠があったのに、最後の最後に直感とは。しかもこれが一番大きいって…。

「私の勘ってとっても当たるのよ。…沙代ちゃん、貴方の目が、気に入ったの」
「目?」
「真っ直ぐで曇りのない瞳。でも、奥底に強い決意を感じる。貴方、とっても気が強いでしょう」
「、」

ふふ、と笑う山本先生の言葉にどう返せばいいのかわからない。確かに気は強いと思うけど…。でも、山本先生がいう程大層な瞳ではないと思う。

「沙代ちゃん、若いときの私にそっくり。…勉学面だけじゃなくていろいろなことを教えてあげられるような気がするのよ」
「…はぁ」

私の返事は最初からそんなに気にしていなかったようだ。言いたいことを言い終えたらしい山本先生は「よかったらこの研究室に来ること考えてみて頂戴ね。もちろん、見学はいつでも歓迎するから」と最後に残して、研究室の奥、教授専用のスペースへと消えていった。

…それにしても…、…何とも強烈な人だったな。
山本先生が去った方を見ながらぼんやりと思う。

渦正寮の個性的な人達のお陰で、多少個性の強い人には体性ができてるかなーなんて思ってたんだけど…、山本先生のペースについていけるようになるにはもう少し会話を重ねないとダメそうだ。

「沙代、」
「はい」
「…悪い、疲れたか?」
「……多少」

心配そうな山田先輩の声に正直に答える。

「悪い人じゃないんだ。すごく優秀な人だし、尊敬できる人なんだ。…ただ、少し…パワフルなだけで」
「…何となくわかりました」

山田先輩も苦労してるんですね。
でも、それでも山本先生を見る瞳には尊敬の念が曇ることなくある。
…それは、尊奈門さんの雑渡先生への目そっくりで、山本先生は雑渡先生を嫌っているようだけど、案外雑渡先生と似てるところもあるんじゃないだろうかと思ってしまった。

少なくとも、生徒から慕われ尊敬されているという点では同じだから。



120308
※正しい知識なく書いています。ご理解お願いします。
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