食堂 | ナノ

若干の休みボケを引き摺りつつも、ようやく学生らしい生活に身体が戻り出した。
未だ残暑が厳しいが、猛暑日は大分減った。

午後からの講義が休講となり、これからどうしようかなーと思いつつ中庭を歩く。
木がたくさん植えてある中庭は、大学の中でもお気に入りのスポットでもあったりする。木漏れ日を感じながらのんびりと歩いていると鼻歌さえ零れそうだった。

午後から講義ないし、今日は食堂のバイトは母さんの番だから私は休みだし。
どうやって過ごそうかなとあれこれ考える。夏休み以後も続けることになった食堂でのアルバイトだが、母さんと話し合った結果当番制になった。私は主に時間に余裕がある土日祝日担当だった。平日の夜も入ることもあったが、とりあえず今日のところは母が当番であり、私は休みである。

あぁ、とりあえず家の冷蔵庫の中身が大分減ってきたから買い物に行かないとなー。それから、夕飯の準備して…。
…まぁ、どちらにしてもまだまだ時間に余裕があるからのんびりでいいんだけどさー。
久し振りに昼寝でもしようかなー。

「沙代!」

木漏れ日を見上げながら歩いていると突然名前を呼ばれて、緩慢にそちらの方を振り返った。

「潮江先輩?…どうしたんですか、この車。潮江先輩、車なんか持ってたんですか?」

車の窓を開けこちらに顔を覗かせている潮江。始めて見るその車に駆け寄りながら、疑問を口にする。

「いや、この車は先輩から借りてな…。…あ、そうだ、これから暇か?沙代」

へーと気のない相槌を打っているといきなり質問されて驚いてしまう。正直に言えば暇だ。暇だが、こういう質問をされてしまうと、今までの経験からか妙に警戒心を抱いてしまう。
…だが、待て。今、予定を聞いているのは潮江先輩だ。これが二年生の先輩だったり立花先輩だったりすれば警戒すべきであろうが、相手は潮江先輩だ。ナンバーワン常識人とまではいかなくても常識人の潮江先輩が無茶振りをするはずがない。少なくともさほど迷惑を掛けられることはないだろう。
考えを改めると素直に答えることにした。

「夕飯の買出し以外の予定はないので、どちらかと言えば暇です」
「そうか。じゃあよかったら少し付き合わないか」
「…何にですか?」
「これから海に行くんだ」
「海!」

思わず食いついてしまう。だって、海って、海って…!今年は夏休み中ずっとバイトだったから海なんて行ってない。海って言ってしまえば、ただしょっぱい水が大量にあるだけなのになんであんなにも魅力的なのだろう。私自身も海は大好きだった。普段あまり行く機会がないっていうのもまた行けることになったときのテンションを上げる要因だと思う。海に行くには公共機関の乗り物を乗り継いだりといろいろとめんどくさいのに、今回は潮江先輩が車で送り迎いしてくれるなんて最高じゃないか!

「もちろん行きます!」

恐らく輝いているであろう瞳で即答すると、潮江先輩が若干引きつつもの後部座席の鍵を開けてくれた。






「…なんで立花先輩がいるんですか」

後部座席に、立花先輩と並びながらぼそりと本音が零れた。バックミラー越しに潮江先輩が苦笑しているのが見えた。

「悪かったな。元は仙蔵が海に行きたい、でも俺と二人では行きたくないって駄々捏ねたのが原因でな」

…立花先輩の我が儘で、最低でももう一人海へ誘わなければいけなかった潮江先輩は、丁度よくも暇そうに歩いている私を見つけたので海へと誘った、と。つまりそういうことか。
別にいいけどさ。いいんだけど、私はあんまり立花先輩が好きではない。マイペースで、人の都合とか考えない。自分の欲望に忠実だから、面白そうだと感じたら誰かが苛められて泣いていたとしても止めたりとかしないんだろうと思う。実際私のときもそうだったし。私は善人でも何でもないから、それが許せないとかって訳ではない。いっそ変に正義感を振りかざして事態を複雑化させる人よりマシだとも思う。
だからといって、そういう人と親睦を深めたいかと聞かれると、答えはノーだ。むしろ関わりたくない。
更に言わせてもらえるなら、私はスケッチを盗み見られたことを多少根に持っている。…小さいとか女々しいとかは言わないで欲しい。誰にだって踏み込んで欲しくないことの一つや二つあると思う。私にとっての絵がそうだとは言わないが…、…進んで知らせようとは思わないしあまり人に知られたくもない。

私が一切立花先輩の方を見ずに窓の外を見ていると、横で立花先輩が笑ったのがわかった。

「ふっ、何だ、そんなに私がいるのが嫌なのか?文次郎と二人っきりで行きたかったのか?」
「そうですね。立花先輩がいるくらいなら潮江先輩と二人で行きたかったです」

立花先輩がからかって聞いているとわかっているけど、あえてそれを肯定してやる。…実際潮江先輩とデートしてた方がよっぽど平和だったと思うよ。

「おやおや、私は随分と嫌われてしまったようだ」

困ったなと言いつつも全く困った声音でない立花先輩。…この人と会話するのって結構疲れるんだよね…。無駄に頭が切れる上に、何か裏はないだろうかって勘ぐってしまう。いつも駆け引きをしているという感覚は疲れるものだ。…まぁ、それは鉢屋先輩にも言えることなんだけどさ。それでも鉢屋先輩より立花先輩の方が性質悪そうだと思ってしまうのは一体何なんだろう。

そんなことを悶々と考えつつも、潮江先輩に飲み物を渡したりとかしてると、案外あっという間に海へと着いた。


「海ー!」

車から降りて、目の前に広がる海を視界いっぱいに収めれば、テンションも自然と上がる。思わず叫んでしまえば、潮江先輩に頭をポンポンと叩かれた。

「そんなにテンション上がるか?」
「上がりますねー。潮江先輩はテンション上がらないんですか?」
「んー、まぁ確かに上がるには上がるけど、お前ほどじゃあないな」
「ふん、お前にも海を見てテンションを上げるだなんて可愛げあったんだな」

うっさいわと思いつつも、立花先輩の言葉は無視。
砂が入ってしまうから靴を脱いで靴下も脱ぐ。ついでにジーパンの裾も上げる。「お先失礼しまーす!」と言ってから波打ち際へと駆けていく。足をちょっとだけ浸してその冷たさに思わず声を上げる。
キラキラと光る波間に目は釘付けだ。絶え間なく打ち寄せる波は、一時も同じものなんてない。ただそれだけのことなのに、それが妙に感動する。波の音も、光を反射する水の粒も、何もかもが私の中の何かを浄化していくようだった。さっきまではしゃいでいたのも嘘のように、私は波打ち際で海を見つめる。ぼーっと、目の前の景色を目に心に焼き付けるように眺めていたのが悪かったのだろう、一際大きな波が私の足元に来たことに気付くのが遅れてしまった。
気付いたときには、避けることも間に合わずせっかく捲くっておいた裾も濡れてしまっていた。

「あちゃー…」
「全く、何をボサッとしているんだ、バカタレが」

波打ち際から潮江先輩達の方へ戻っていくと潮江先輩に呆れた口調で言われてしまう。潮江先輩の言葉が真っ当すぎて苦笑いしか返せない。
「ほれ」とあまりにも自然にタオルを差し出されるもんだから、普通に受け取ってしまった。が、冷静に考えるといろいろ疑問が出てくる。潮江先輩、タオル持ってきてたの?どんだけ用意周到なの?
いろいろ考えつつも、タオルを使って足を拭かせていただく。これで濡れたジーパンも少しは早く乾いてくれると嬉しいんだけどな…。

「…ん?なんかいい匂いしません?」

ふと、潮以外の匂いを感じて辺りを見回すと、遠くの方に屋台のようなものを見つけた。
潮江先輩と立花先輩も私の視線につられるようにそちらの方を向く。

「…屋台ってまだやってるんですかね?」
「…まだ暑い日は暑いしな。実際俺達以外にも来てる人いるみたいだし」
「ギリギリまで稼ごうと、そういう訳なんだろう」

潮江先輩の言うように、確かに私達以外にも海に来ている人はいた。さすがに水着姿の人はいないが、波打ち際を歩いたり思い思いに過ごしている。…カップルがとても多いのは、まぁ気にしないことにする。実際海の家とかっていつ時期までやってるかって案外知らないもんだよなーいつまでなんだろうーとどうでもいいことを考える。

「…なんか食べません?」

そういえば、私お昼食べてなかったんだよね。すごくいい匂いがして今にもお腹が空腹を訴えそうだった。
私みたいにお腹が空いていたかはわからないけど、潮江先輩も立花先輩も了承してくれた。

――お好み焼き、焼きそば、イカ焼き、たこ焼き、チョコバナナ、カキ氷、わた飴…

時期外れだと言うのに、多くの屋台があってびっくりする。
すごいと思いつつも、私は自分の食欲が赴くまま食べ物を購入していった。あっという間に私の両手はイカ焼きと焼き鳥で塞がってしまった。食べ歩きしやすいといえばこの二品ではないかと思う。ある程度お腹が満たされたら甘いものに移るつもりである。

「んー、おいしっ」

イカ焼きのイカがなんとも言えず柔らかくて思わず声が漏れる。頬も絶賛緩み中だ。
お好み焼きを片手に戻ってきた潮江先輩がそれはよかったなと笑いながら相槌を打ってくれた。

「潮江先輩はお好み焼き買ったんですか?」
「あぁ。こういうとこに来ると、どうしてもお好み焼き買っちゃうんだよなー」
「そうなんですか。…おいしそうですね」

人の持っているものが美味しそうに見えるっていうのは、人間のどういう部分が働いているのだろう。わからないけど、鰹節の踊っている潮江先輩のお好み焼きがどうにも美味しそうに見えてしょうがない。じーっと凝視したまま言うと、私の意図が伝わったのか、潮江先輩が苦笑いした。

「…食べるか?」
「!いいんですか!」
「あぁ」

そう言って、お好み焼きと箸を差し出してくれる。
やった!と思いつつ受け取ろうとするが、そこで気付く。今、私の両手は焼き鳥とイカ焼きに占拠されているんだった。
…………あ、そうだ!
暫く考えて出たのをそのままに口を大きく開ける。あーんして下さい、とはさすがに言い出し辛かったが、行動は“あーんして下さい”そのものだ。
大きく口を開けたり、ちょっと口を閉じたり、視線でお好み焼きを口に入れてくださいと示してみたりとしていると、突然潮江先輩が笑い出した。

「ぷっ、あはは!ちょ、沙代、餌強請ってる鳥みてーだぞ!」
「………そうですか…?」
「ん?あぁ、悪い悪い、機嫌悪くすんな。ほら、熱いからゆっくり食べろよ」

気をつけろと言ってる割に、ふーふーと冷ましてから口にお好み焼きを運んでくれる潮江先輩は優しいと思う。バカにされたような気がしなくもないが、実際馬鹿げたことをしている自覚はあるので、深くは突っ込まない。
口に広がるソースの味と、しゃきしゃきとしたキャベツの食感、他にもお肉にエビなんかの味もしてとてもおいしい。結構大きめだった一口をもごもごと味わいながらも頬は自然と緩む。

「旨いか?」
「おいひいでふ」
「…もう一口食べるか?」
「!食べます!」

再び口を開けて待っていると、潮江先輩がお好み焼きを口へと運んでくれた。
うん、おいしい。正直、イカ焼き、焼き鳥、甘いものだけじゃお腹いっぱいにならないだろうなって思ってたから丁度いい。ありがたやありがたや。
何が面白いのか、私にお好み焼きを食べさせるのにハマったらしい潮江先輩がどんどんあーんしてくれる。私も私で、あーんされる度に嬉々としてそれを食べるものだから、いつまで経ってもあーんのループは終わらない。

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