婚約した恋人が失踪して、帰ってきたと思ったら犯罪者になっていた。
私の恋は、愛は、あっけなく幕を閉じた。
それでも、塩谷さんに拾われて事件は多いし馬鹿な連中ばっかだけどいい店の店長になった。
最初は嫌で嫌で仕方なかった。
けれど、今はその店に誇りを持っている。
マネージャーのハーブティーもおいしいし。
なかなか居心地がよかったりする。
なんとか再スタートを切った私の人生はなかなか悪くない。
そう思った私の人生を、心を乱す男と出会ってしまったのだ。
出会って、救われた部分も沢山ある。
けれどそれ以上に私は苦しくなるばかりで。

お酒はずるい、と思う。
要らないことは忘れられるのに結局、一番忘れたい事は忘れらせてはもらえない。
余計な気が削がれてむしろ浮き彫りになってしまう。
じわじわと炙られてるみたいに息苦しくて、グラスの酒を飲みこむ。
他のことはどうでもよくなってくる。
どうでもよくなっていく分だけ一つの事に頭が集中してしまう。
ぐわんぐわんと反響していく声。

貴方の事が好きです

そう言って柔らかく微笑む姿。
信じられない、信じてはいけない言葉。
信じたいのは情が移ったから?
違う、そうじゃない。
彼はものすごくしとやかで美しくて。
その芯にある強さに惹かれたのだ。
ああ、また考えてる。
もう忘れようとわざわざこの店を選んだのにまだ忘れられない。
グラスをまた煽った。
もう一杯、と差し出したグラスに手が載せられた。
まるで蓋をするように。

「もう駄目ですよ、晶さん。帰りましょう。」
「嫌。」
「なぜ?」
小首を傾げて私を見る。
あんたのお客様ならイチコロかもね。
「まだ飲み足りないもの。空也は帰ればいいじゃない」
むくれる私の手からグラスを奪い、支払いを済ませた。
「もう会計も済みましたし、帰りますよ。飲み足りないならうちへいらしてください。ワインもシャンパンもありますし簡単なカクテルならお作りしますから。」
空也は私の手を引いて店を出た。
外に停まっていたタクシーに乗り込み、というか半ば強制的に押し込まれる形で載せられタクシーは静かに走り出した。
「なんでここがわかったのよ」
無言、というのも何か居心地が悪くて無理やり話題を切り出した。
「情報網がありますから。晶さんはなぜあの店に?なぎさママが自分の店にもインディゴにも晶さんがいらっしゃらないと心配して連絡をくださったんですよ。」
「別に、あたしがどこの店でお酒を飲もうが勝手でしょ」
「そうですね。なら俺が貴方を心配するのも俺の勝手ですよね?」
丁寧で、それでも棘のある言い方をするのは怒っているなのか。
でも、怒られる理由なんで生憎持ち合わせてはいないはずだ。
「そうね。でもホストが店抜け出して一人の客を探しに来るなんていい接客ね」
今日もエルドラドはやっている。
空也はエルドラドの1だから営業日に休むことはほとんどないはず。
「ホストの俺ではなく、ただの空也として晶さんが大切なので来ました。」
「あっそ」
ネオンの煌めく東京の街を静かに走るタクシーは心地よくて目を閉じた。


目が覚めると質のよさそうなベットに寝ていた。
窓から差し込む光が暖かい。
気持ちいいな、と思っているとノックの音がしてドアが開いた。
「おはようございます、晶さん。朝食が出来たのでいらしてください」
顔を覗かせた空也はいつも通りの空也だった。
起きていこうか、このままシーツに包まっていようかと思考を巡らせるうちにドアがもう一度開いた。
「早く来ないと味噌汁が冷めてしまいますよ」
なんだか微妙な脅しをされて私はしぶしぶ起き上ってリビングへ向かった。
リビングはやけに広かった。
隅に置かれたグランドピアノが存在感を放っている。
テーブルに空也と向かい合わせに座る。
みそ汁に卵焼き、ご飯に焼鮭というシンプルな日本の朝食だ。
「いただきます」
「はい、沢山召し上がってくださいね」
そう言う空也はどこか嬉しそうだ。

空也の朝食はどれも美味しかった。
せめて洗い物はする、と言った晶を空也は皿拭きに任命した。
「新婚みたいですね、こうやって並んで食器を片付けていると。」
「そうかもしれないわね」
きっといつも通りに大げさに否定すると思っていたであろう空也は目を丸くして。
そして嬉しそうに微笑んだ。
晶もそう思ったのだ。
もし、空也の気持ちも自分の気持ちも受け入れて関係が始まるとしたらいつかはこんな風になる時が来るのだと。
それが案外心地いいということも。

「晶さん、俺たちきっと、いいえ絶対うまくいきますよ。」
俺が幸せにしますから、と空也は言った。
「そうね、そうかもね。」
見えない未来が見えた気がして晶も微笑んだ。
「晶さん、これが終わったら一緒に寝てくれますか?ソファーで寝たので熟睡できなくて」
「あたしと寝たらもっと熟睡できないかもよ?寝相悪いし。」
「晶さんだから大丈夫ですよ。パンチだろうとキックだろうと愛として受け止めますから。」
「訳が分からないわ」
ほんの少しだけ素直になれる気がして晶は呟いた。

「空也が、好きよ」

二人の恋はようやく、動き出した。



アトガキという名のいいわけ

初の空晶でした。
ホント、へたくそですいません。
久々に文字を打ったので指が痛い…



戻る