『さよなら』とだけ書いたメモをテーブルに置いて私は部屋を出た。
私の頭にあったのは私の秘密が彼に知られる前にここから立ち退く事だけだった。
どうかこの秘密だけは知られませんように。
そして彼が素敵な人と出会って幸せになれますように。
それだけを祈る思いで彼と過ごした家に鍵を掛けた。
鍵は郵便受けに入れて。
私はもう振り返らなかった。





「ママ!!みてみて!!」
鉄棒にぶら下がって息子の第三者は嬉しそうに私を呼んだ。
愛らしく笑う彼につられて私も微笑む。
私たちはどこにでもいるような親子だ。
他と違うのは私がシングルマザーであるということと、息子の髪の色と顔立ちが日本人のものではないということ。
息子はあの人によく似ている。
ブロンドの髪も、アイスブルーの瞳も。
私の遺伝子なんてこれっぽっちも入っていないんじゃないかと思うくらい。
まるで小さい彼がいるみたい。
あの人のもとを去ってから、彼を裏切ってから5年が過ぎた。
息子は4歳。
もうすぐ5歳になる。
彼に会いたくないと言ったら嘘になる。
息子といれば尚更だ。
アイドルとしてテレビに出る彼を見て涙が零れそうになったこともある。
でも、私は前向きに生きている。
毎日子育てと自営業をしている実家の手伝いで必死だ。
「第三者、おいで」
「なにー?」
愛らしく駆け寄ってくる息子を抱きしめて汗を拭いてやる。
「まだ遊ぶの?」
「うん!!!!」
無邪気に頷いて第三者はまた遊具へと駆けていった。
子供は元気だ。
暑さなんて物ともしない。
私は暑さで死んでしまいそうなのに、と思い苦笑する。
ブロンドが風に揺れ美しく輝いていた。

木陰のベンチは辛うじて暑さから私を守ってくれる。
帰りにアイスでも買っていこうか、と思案していると視界の端に人影が写った。
隣に誰かが座ったのだ。
「暑いですね。」
「え?ええ、そうですね。」
突然話しかけられ戸惑いつつ応じる。
その声があまりにもあの人に似ていて。
まさか、そんな筈はない、と思っても隣に座ったその人へ目を向けられない。
「変わらんな、お前は。」
その人が苦笑するのがわかる。
「私と目を合わせてくれんのだな。」
この声は。
「か…みゅ?」
「まさか、俺の顔を忘れたわけではなかろうな。」
彼は穏やかな顔をしていた。
彼を捨てた私を怒るわけでも恨むわけでもなく。
こんな私に、まだそんな顔を向けてくれるのだ。
「ど、して…」
「撮影だ。機械の不具合で一日オフになったのだ。
 しかしまさか、こんなところで再会するとはな。」
これも運命かもしれんな、と彼はまた苦笑する。
ママ、と呼ぶ声がする。
ああ、返事をしてあげなきゃと思う。
けれど私はカミュから目を離せなかった。
「ママ?」
小さな足で息子が駆けてくる。
これほど来ないで欲しいと思ったことはない。
「誰との子だ、とは聞くまでもないな。」
息子を見てカミュは眼を細めた。
俺によく似ている、と。
「息子の第三者よ。」
あいさつしなさい、と言えば第三者は小さな声でこんにちはと言った。
「こんにちは。君はいくつかな?」
「4歳!!おじさん、もしかしてカミュ?」
第三者は両手でピースを作って4を表し、そのあと小首を傾げた。
「ああ。俺はカミュだ。よく知っているな第三者。」
「当たりだ!!ママ、カミュだよ!!」
「う、うん。そうね。」
嬉しそうに跳ねる第三者に私は少し戸惑った。
やっぱり第三者はカミュにそっくりだ、と私は思う。
「おじさんあそぼう?ね、あそんで?」
第三者はカミュの手を引いた。
「何をして遊ぶのだ?」
困ったような、照れたような顔をしてカミュは第三者に手を引かれて立ち上がり遊具へと向かった。
ブランコに乗った第三者の背を押してやるカミュは本当に似ている。
なんとなく愛おしいような悔しいような気がした。
4年間この手で第三者を育て上げてきたのに今までもそうしていたかのように二人が楽しそうに笑うから。
あまりにも親子だったから。


夕日が公園に満ちる。
「第三者、そろそろ帰ろう?」
疲れを見せない息子に声を掛ける。
もうすぐご飯よ、と。
「おじさんばいばい」
「ああ。またな。」
手を振る息子は楽しそうに笑っている。
私の手にはカミュのメモがあった。




私は第三者が夕飯を食べたのを見届けて実家を出た。
大通りでタクシーを拾いメモに書いてあったホテルへ向かう。
ロビーへ入ったものの部屋へ行くべきか迷っていると肩を叩かれた。
「嶺二さん?」
「久しぶりだね、名ちゃん」
「こ、こんばんは…」
戸惑う私の肩を掴んだまま彼は冷たく微笑んだ。
「ミューちゃん待ってるよ?部屋まで案内してあげる。」
今更逃げるなんてこと無いよね、と腕を引かれてエレベーターに乗り込んだ。
あっという間にエレベーターは最上階へ着いて、VIPルームを嶺二さんがノックした。
「誰だ」
不機嫌な声と共に扉が開けばカミュの姿。
「名ちゃんとロビーで会ったから連れてきたよ。」
「ああ。すまないが寿、二人にしてもらえるか。」
「もちのろんだよ。」
いつもの笑顔で手を振りながら嶺二さんはエレベーターに乗り込んだ。


私はカミュと部屋へ入る。
「適当に座っていろ。」
「あ、うん。」
アイスティーを入れたグラスを手渡された。
カミュは自分のグラスにガムシロップを大量に入れる。
変わってないな、と思わず苦笑する。
「どうした?」
「なんでもないよ」
クールな外見とは裏腹に甘党なところ。
初めて出会ったときは砂糖の量に驚いたっけ。
とっても優しい目をしているところ。
忘れたことなんてない。
どこをとっても大好きで。
きっとどこか欠けていても好きにならなかったんじゃないかと思う。
それくらい私たちの恋は偶然で。
そして必然でもあったような気がする。

「お前にずっと言いたいと思っていたことがある。」
カミュの瞳がグラスから私に向けられる。
その瞳が私は苦手だ。
吸い込まれそうで、あんまりにも綺麗だから。
何も言えないまま跪いたカミュに手を取られた。
「My preciousどうかお許しください。私が不甲斐無いばかりに、貴女を傷付けてしまった。貴女の不安を拭いきれなかった…」
カミュから零れるのは謝罪と後悔の言葉。
カミュの所為じゃないのに。
私がカミュを信じられなかっただけなのに。
「ごめんなさいカミュ。私は貴方を裏切った。」
純粋な彼の愛を裏切ってしまった。
捨てられるのが怖くて逃げだしたのだ。
「My preciousどうか泣かないでください。貴女の泣き顔は見たくないのです。」
「カミュの所為じゃない…から」
手の甲に唇が降ってくる。
「どうか、笑って。」
そうやってまた貴方は私を甘やかす。
「My preciousどうかもう一度私にチャンスを頂けませんか」
「チャンス…?」
「もし頂けるならばもう二度と貴女を不安になんてさせません。貴女の笑顔が絶えぬよう私の全てを捧げます。」
だからもう一度、と。

「私に恋をしていただけませんか。」

彼はふわりと微笑んだ。
「私でいいの?」
「この俺に見合う女がお前以外に一体どこにいるというのだ。」
テレビで見るカミュじゃなくて。
そこにいるのはずっと好きだったカミュで。
「いきなり子持ちアイドルになっちゃうんだよ?」
「第三者は俺の息子だろう。問題はない。」
でも、とつぶやく私は気づけばカミュの腕の中にいた。
「愛している。」
囁かれたその言葉はとても甘美で。
私は静かに目を伏せた。




目を覚ましたのはベッドの上で。
私は眠ったカミュの腕の中にいる。
ああ、と昨晩のことを思い出しながらぼんやりとカミュの寝顔を眺めた。
久々に見る彼の寝顔はとても綺麗。
私がこの人の隣にいていいものかと思ってしまう程に綺麗である。
滑らかな白い肌は。
伏せられた瞼に影を作る長い睫は。
絹のようなブロンドの髪は。
艶やかな唇は。
作り物みたい、か?
閉じられていたアイスブルーの瞳が私を捉えた。
「お、おはよう?」
驚いておかしな音になってしまった私の挨拶に彼は小さく微笑んでおはようを返す。
「笑わなくたっていいじゃない。」
「お前があまりにも愛らしくてつい、な。」
こんな朝が再びやって来るのを待っていたのだ、と。
幸福そうに彼は言った。
この時間がずっと続けばいいのに、なんて私は思った。



「ホントに来るの?」
「ああ。きちんと挨拶せねばなるまい。」
私たちは私の実家の前にいた。
撮影は夕方かららしくカミュが母に挨拶を、と言い出したのだ。
「いや、でも」
「ほら、行くぞ」
渋る私の手を引いて彼は実家のチャイムを押す。
「だぁれー?」
戸を開けたのは第三者。
「カミュだー!!」
そう言うと第三者はカミュに抱き付いた。
ママよりカミュがいいのか、息子よ。
「ママおかえり!!」
付け加えるように言われたおかえりがなんだか悔しくてカミュを睨んだ。
「おい、俺を睨むな。これは断じて俺の所為では無い。」
苦笑したカミュを放置し第三者を抱き上げた。
「ただいま、第三者」
いい子にしてた?と聞けば彼は当たり前でしょと胸を張って頷いた。
「あら、おかえり名」
居間からひょっこり顔を出した母はカミュをみて驚いたみたい。
「さ、あがってあがって」
なんて、カミュを招き入れてうきうきとした足取りでお茶を入れに行った。
カミュは失礼します、なんて余所行きの顔をしてるから可笑しい。

「はい、どうぞ。第三者がカミュさんに会ったなんて言ってたから冗談かと思ったらホントだったのねぇ」
母はふふ、と笑った。
「ありがとうございます。」
砂糖を一つ落として優雅な手つきでティーカップを口元へ運んだ。
カミュんの見た目から紅茶にしたらしい。
紅茶は私が気に入って買いこんでいるもの。
我が家に角砂糖があったとは驚きだと思いながらカミュを見た。
「カミュ、遠慮しなくていいよ。砂糖好きなだけ入れなよ。」
砂糖一つじゃ足りないんでしょ、お見通しよ、と私は内心つぶやく。
「あら、遠慮しなくていいのよ。沢山使ってちょうだい。」
母の声にありがとうございます、と返してから角砂糖を7個ティーカップに落とした。
甘党さんなのね、と母は呑気に笑っている。
カミュがカップを混ぜるとざりざりと音がする。
それは紅茶じゃないんじゃないかな、と思う。
これも懐かしかったりして。
こんなものを飲んで太らないんだから不思議だなぁと思っているうちにカミュがカップを置いた。
「挨拶が遅れて申し訳ありません。シャイニング事務所所属アイドルのカミュと申します。今日は名さんを妻に頂きたく挨拶に参りました。」
さん付けで呼ばれて背筋が伸びた。
妻、の一言がとても重く感じる。
「こんな娘で良ければ、貰ってやってください。」
母はあっさり承諾しカミュに頭を下げた。
「お、お母さんっ」
あっさりすぎやしないかい、と思い母を呼べば母はいつもの笑顔で言った。
「名はカミュさんと結ばれる運命だったんだよ。」
ちゃんと迎えに来てくれたじゃないか、と。

実家に戻ってきた日、私は涙でぐしゃぐしゃになった。
大切な人を捨てたの、とだけ母に伝えた。
それから第三者を産んだ。
母は気づいていたのかもしれない。
私の大切な人が彼だと。

「この子、いつもカミュさんを見てたのよ。テレビはみんな録画してCDもカミュさんが載ってる雑誌もみんな買って…」
「お母さん!!」
今暴露しなくたっていいじゃない、と私は母の口を塞いだ。
カミュは私たちのやり取りをみて笑った。
「仲が良いのですね。」
「普通だよ!!」
からかわないでよ、と言っているうちに部屋で遊んでいた第三者がやってきてカミュの膝へ乗った。
「あらあら。もう仲良しさんなのね」
母はまた笑った。


「そっちに引っ越すのはもう少し後になると思う。第三者の幼稚園が長期休みに入ってからにしたい。」
「ああ、その方が良かろうな。婚姻届けは俺が出しておく。指輪は少し待て。」
「分かった。」
カミュは私の手を掴む第三者の前にしゃがみ込んだ。
「こちらへ来るのを待っているぞ。」
頭を撫でられた第三者は嬉しそうに頷いた。
「では、またな。こちらへ来るときは連絡を寄越せ。迎えに行こう。」
「うん、いってらっしゃい。」
撮影現場へ向かうカミュの背が見えなくなるまで私たちは手を振った。
撮影スケジュールがおしているからもう会いにはこれんだろう、と言っていた。
しばらくは会えない日が続くだろう。
たまにはメールをしようか。
電話の方がいいかな、なんて私は考えていた。




私は見慣れた駅を見渡した。
「ママ?」
第三者が私の手を引く。
「んーどうしたの?」
どこにいくの、と第三者が不安な目で私を見つめている。
「パパのところに行くのよ。」
「パパ?」
この子にとっては少し難しい現実ね、なんて思っているとカミュがやってきた。
「久しぶりだな。」
「ええ。」
「カミュー!!」
カミュははしゃぐ第三者を抱き上げた。
「少し大きくなったか」
「うん!!」
本当に二人はよく似ている。
「行くぞ」
第三者を片手で抱いて私の荷物を持ち歩き出した。
少し歩けばすぐにカミュの家に着く。
もう二度と戻ることはないと思っていた場所だ。
そして私が一番好きな人がいる場所。
じんわりと視界が滲む。
「名、第三者おかえり。」
私と第三者を交互に見つめて彼は柔らかく微笑んんだ。
「「ただいま」」

私は大きく踏み出した。



アトガキという名のいいわけ

初めて長めのを書きました。
多分人生初。
話数を分けるほどじゃないなぁってことで無駄に長い短編扱いで。














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