「――なるほど。それでは、ナマエ様の助けたその少女の正体がゲンガーで、逃げ込んだこの館で足止めをくらっていた、と」 「……ハイ。間違イゴザイマセン」
あからさまな怒りのオーラを滲ませるノボリさんを直視することができず目を逸らしてぎこちなく応えた俺を、ゲンガーがオロオロしながら見上げていた。 余談だが、俺が足止めをくらっていたあの雷雨もゲンガーの見せていた幻だったらしく、今現在外の景色は綺麗な夕焼け色に染まりつつある。 道理で、あの雨の中やって来たノボリさんが全然濡れてないわけだ。
「………わかりました」
言葉と一緒に吐き出された盛大なため息につい肩が揺れる。 思わずぎゅっと目を閉じた俺を襲ったのは、怒号でも叱責でもなく、優しく回った腕に身体を持ち上げられる感覚だった。
「っ、な゛……!お、降ろして!!」 「怪我をしていらっしゃるのですよ。歩かせるわけにはいきません」 「大丈夫だって!こんなの全然平気だか、」
「ナマエ様」
ただ掠っただけだった傷口は深くはなくて、もう血も止まっていた。 だから本当に自分で歩けるのに、俺の言葉を遮るノボリさんの低い声に反論を封じ込められる。 膝の裏と、肩に回った掌に力が込められて、少しだけ痛かった。
「――今回のことは、あなた様から目を離したわたくしにも責任があります。ですが、言いたいことがないわけではございません………わたくしの言っていることの意味がわかりますね?」 「ぅ……は、い」 「でしたら、大人しくわたくしの言うことを聞いておいた方がご自身のためだと思いますが?」 「……………はい」
正直メチャクチャ恐い。 逃げられない至近距離からおどろおどろしいオーラを発せられて、もう下を向いて縮こまるしかできない。 そんな俺にもう一度ため息をついたノボリさんがくるりと踵を返して一歩踏み出した時、俺達のやりとりにうろたえるばかりだったゲンガーが慌てたように鳴き声を上げた。
「ッ――ゲン……!!!」
ノボリさんの背中越しに聞こえた声に、足を止めたノボリさんが身体ごと振り向く。 ゲンガーはあの赤い目を潤ませて、何か言いたげにこっちを見ていた。 まるで、迷子になった子供のように。
「……このゲンガー、ナマエ様について来たいのでは?」
その時のノボリさんの声は、妙に淡々としていた。
え、と驚いてゲンガーを凝視すれば、必死に何度も頷いてみせる。 短い足で跳ねるように近づいてきたゲンガーはノボリさんに抱えられたままの俺の腰にしがみつくと、懇願するようにぐいぐい頭を押しつけてきた。 ――その姿に、正直胸が詰まった。
(………コイツ、は)
“ひとりぼっち”なんだ。
これは俺の憶測で、確かなことではないけど、このゲンガーはおそらく、この館の持ち主だった家族と――ゲンガーが化けていた、あの写真の中の女の子と一緒に暮らしていたんじゃないだろうか。 俺が見た女の子はゲンガーと同じ赤い目だったけど、写真の中の女の子は青い目をしていた。 だからつまり、そういうことじゃないだろうか。
寂しくて、誰かと一緒にいたくて、大好きだった女の子の姿に化けて、傍にいてくれる人間を探していたんじゃないだろうか。
(――だけど、)
「………ごめんな」
そんな想いをしてきたお前なら尚更、一緒に連れて行くわけには行かない。
「よくわからないかもしれないけど、俺はこの世界の人間じゃないんだ。だからさ、いつお前の前から消えちまうか、俺にもわからない。そうなったら、お前をまたひとりにしちゃうから」 「ッ!!!」
「俺はお前を連れていけない」
ゲンガーの目から涙が零れ落ちた。 『嫌だ』と言うように首を振る頭を、そっと撫でてやる。 つられて俺まで泣きそうだ。だって、俺だって本当は傍にいてやりたい。 もっと一緒にいたい。
だけど、コイツのためにも感情に流されちゃいけないと自分に言い聞かせて、縋りつくゲンガーをそっと引き離した。
「大丈夫。俺なんかよりお前を幸せにしてくれる人に、きっと出会える。俺も、そう祈ってるから」
『行ってください』 ノボリさんにそう囁いて、泣き出したゲンガーを残したまま館を後にする。
間違ってない。 こうするより他に、選択肢なんてなかった。 これがアイツのためなんだから。
――そう確信しているのに、胸がズキズキして、苦しい。
「…………よろしかったのですか?」 「……うん。これで、いいんだ」
帰り道、ノボリさんは一言そう訊ねたきり、何も言わなかった。
遠くで聴こえる波の音に混じって、まだゲンガーの声が聞こえる気がする。 それを振り払うようにまた強く目を閉じてノボリさんの胸に身体を寄せると、触れ合った素肌からノボリさんの体温がじんわりと伝わってきて、余計に泣きたくなった。
(……ああ、そう言えば)
いつかもこうして、ノボリさんに抱えられながら帰ったことがあったっけ。
思い出せばあの時も、自分に起こった変化を受け止めきれず、不安に押しつぶされそうだった俺を、ノボリさんは守ってくれた。 ――今日も、助けに来てくれた。
(……そうだ。気がつけば、いつも、いつも)
ノボリさんは、いつも、
「ッ――……」
ああ、ダメだ。
こんな。 こんなの、不毛すぎる。 これだから、気づきたくなんてなかったのに。
聞こえないように小さく鼻を啜った俺を、無言のまま撫でた掌が優しすぎるから。
また泣きたくなるんだよ、ノボリさん。
* * *
夜に聴く波音って、なんだか異様に感傷的な気分になるな。 借りてるコテージのテラスに出て夜風にあたりながら、手摺の上で頬杖をつき、そんなことを考えながらぼんやり月を見上げていた。
あの後、ポケモンセンターで怪我した足の手当をしてもらった俺は予想通りノボリさんにさんざん絞られて、見かねたクダリさんが助け舟を出してくれるまで絶対零度を味わった。 チャラ男許すまじ。いや、チャラ男が全部悪いわけじゃないけど。
(あーあ……でも、ほんとツイてなかったな)
「――ナマエ、パスッ!!」
今日一日を振り返って一人ため息をついた時、不意に背後からそんな声が聞こえて、振り向いたのと同時に投げられたそれを反射的に手で受け止めていた。
「なっ、モンスターボール……?」 「そ!それ、あげるよ」
まだ中に何も入っていない空のそれを投げつけてきたクダリさんがにっこり笑って、近くの茂みを指さす。 どういう意図があるのかわからず、首を傾げながらその方向をじっと見つめると、闇の中から溶け出すように浮かび上がった二つの赤い目が俺を捉えた。
「!!ゲンガー……」 「その子、ナマエについて来ちゃったみたいだね」
怒られることを覚悟している子供みたいにばつの悪そうな顔をして、現れたゲンガーはポテポテと歩き出し、テラスまでやってきたかと思うと俺の腰に抱きついてきた。 ……なんか、昔こういうシーン見たことあるな。ジ●リ映画で。
「……ゲンガー。俺、お前と一緒にはいられないんだよ」 「……ッ」 「聞き分けてくれって。それがお前のためなんだから……!」
イヤイヤ、とゲンガーはまた首を振る。 引きはがそうとしても、今度はゲンガーも折れない。 絶対に離さないとばかりに俺の服を握りしめて、ビクともしない。
そんな頑なな様子に、自分の中にモヤモヤとした焦燥感が募った。
「――ッッ、一緒にいると、離れた時余計に辛くなる!!そんなの嫌だろ!!」
気持ちが昂ぶって、つい恫喝するみたいに強い口調になってしまった。 上がった息をハッと短く吐き出して、肩を上下させる。 その俺を、今まで俯いていたゲンガーが顔を上げて、涙目のまま睨みつけてきた。
『 ――離れるの、さみしい。とっても、さみしい 』
また、頭の中にあの女の子声がした。 ゲンガーのテレパシーだ。
『 でも、一緒にいたこと、後悔したことなんてない 』
「っ、!!」
ゲンガーが、真っ直ぐに俺を見る。 その目はやっぱり潤んでいるのに――それなのに、強い光が確かに射し込んでいた。
『 一緒にいたから、さみしくなる。でも、一緒にいないと、さみしいのも、わからない 』
『 それは、とても――“カナシイ” 』
ゲンガーの言葉が、突き刺さるように胸を貫いた。
「――ゲンガー……お前、」
『 むずかしいこと、ワタシはわからない。だけど、傍にいたい人の傍にいないと、絶対に後悔する 』
「……――」 「……ナマエの負けだね」
言葉を見失った俺の肩を、それまで静観していたクダリさんがポンと叩いた。 それに促されて、掌に収まっているモンスターボールとゲンガーを交互に見る。 俺から視線を逸らさない赤い目に覗く意志は、どこまでも強かった。
「………ほんとに、俺で良いのか?」 「――!!」
俺としては、思いなおす最後のチャンスを与えたつもりだった。 だけどゲンガーはパッと目を輝かせて頷くと、自分からモンスターボールのスイッチに額を押し当てる。 カチッという音と同時に赤い光がゲンガーを包み込み、手の中で僅かに揺れたモンスターボールが、少しだけ重みを増したように感じた。
「そのゲンガー、とっても良い子。今日、ここに来てよかったね、ナマエ!」
……本当に、この人はどこまでわかってて言ってるんだろう。 後ろ向きで手摺に凭れかかってニコニコしながら夜空を仰ぐクダリさんが恨めしい。 ――そうだ。だって、切欠はこの人の一言だった。
「……良くなんてないですよ、全然」 「どうして?」
ほら、そうやってまた。 わかってるくせにシラを切る。
「――……色々、気づきたくなかったことに、気づかされました。ゲンガーにも、クダリさんにも」
見上げた青白い月が、いつの間にかぼやけていた。 どうしてだろう。 あのぽっかり浮かぶ月は、俺の世界の月とそっくりなのに。
どうして、同じ世界じゃないんだろう。
「 俺、ノボリさんのことが、好き です 」
ふっと、吐きだす息に唇が震えた。
――もう『“家族”として』なんて、そんな言い訳通用しない。 いや、きっとクダリさんはわかっていたんだろう。
ノボリさんと初めて言い争いになったあの日、あの時 俺が“気づかない”ことを決めたのは、本当はノボリさんの気持ちじゃなくて
俺自身の、ノボリさんへの恋心だったって、ことに。
「――クダリさんは、もっと前から気づいてたんでしょうけど」 「……うん、まぁ。なんとなく、そうなるだろうなって思ってたからね」 「なんですかソレ。なんか、そう言われると若干悔しい気が、」
ははっと、無理やり笑ってみたけど、全然――全然だめだ。 さっきから涙腺が壊れたみたいに、涙が止まらない。 苦しい。
ただ『好きだ』って、認めるだけのことがこんな、息もできないほど苦しいなんて、 こんなにも、誰かの傍を離れたくないと思うのなんて、 きっと人生で一度きり。
一世一代の、実らない恋をしてる。
――それだけは、言い切れるんだ。
「ク、ダリ…さん……っ、俺、ど、したら…いいか、な……!」
大団円の答えがあるなら、誰でもいいから教えてくれよ。 後悔しない道があるなら、俺は迷わずそれを選ぶから。
だから、 だから、
「――ナマエの、したいようにすればいい。誰もそれを、責めたりなんかしない」
緩く背中を抱いたクダリさんの胸の中で、ひたすらに願った。
もう少しだけ あと少しだけ
あの人の傍に、いたい。
(13.02.16)
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