眩しい太陽、白い砂浜、さざめく潮騒。 きらめく色とりどりのパラソルと、波打ち際から聞こえてくるはしゃぎ声。 特に女の子の華やかな水着姿は眼福としか言いようがない。 盛りは少し過ぎているらしいけど、このリゾート地はまだまだ充分賑やかだ。 ――そんなキラキラ輝くサザナミタウンの浜辺の一角で、俺は膝を抱えてうずくまっていた。
(今すぐ消えたい……!!!)
何が……何が悲しくて女物の水着を着なきゃいけないんだ。 いや『水着』って言葉を聞いた時点で嫌な予感は全開だったわけだけど、でもどうせ現地についてからレンタルするつもりだろうから、そこで断れば良いって思ってた俺が甘かった。
あの双子、既に用意してやがった。
『はいっ!これナマエの水着!!』 『――え゛』 『昨日海に行くことが決まってからすぐ用意した!僕とノボリ厳選の一品!!』 『!!?い、いや…っ俺実は泳ぐの苦手だったり、とか……!』 『せっかくナマエのために用意したんだもん。もちろん着てくれるよね?』 『!!!』
あの時ほどクダリさんのエンジェルスマイルを憎らしいと思った瞬間はない。
この世界に来て――女の身体になってから、あっと言う間にふた月。 さすがに感覚も麻痺してきたのか、女性ものの下着をつけることに対する葛藤や抵抗は大分薄れてきた……と、思っていた。けど、やっぱだめだ。 水着はない。ありえない。
(そりゃあ…まさか今の身体で男物の水着着るわけにはいかないけどさ……)
もっとこう、他になかったのだろうか。 これ見よがしなフリル付きのホルタ―ビキニ。セットのスカートがついていたものの、あくまで水着としてデザインされているそれは慰め程度に腰回りをカバーしているだけで、長さはミニスカートにも劣る。つまり脚丸出し。 これを着るのが可愛い女の子だったなら俺だってこの海を満喫できただろうに、中身が自分じゃテンションは下がる一方だ。
「……ほーらバチュルー、お城ができたぞー」 「バッチュ!」
そんな格好で泳ぐ気になんてなれるはずもなく、片手でその辺の砂を寄せ集めて作った山を指先でそれっぽく削って適当に城をつくってやると、バチュルが目を輝かせてよじ登り始めた。 可愛いなあほんとにもう。俺の味方はお前だけだよバチュル。 なんて、やさぐれた思考でバチュルを見守っていると、不意に背後で足音がした。
「――ノボリさ、」
飲み物を買いに行くと言っていたノボリさんが戻ってきたんだろう。 そう思って振り向いた俺は、予想外の光景に思わず顔を引きつらせてしまった。
「カ〜ノジョ!ひとり?」
(………なん…だと……?)
『チャラ男』――その単語が脳内を駆け抜けた。 構造がよくわからない、寝ぼけたライオンのたてがみみたいな頭にサングラス、そして派手な海パン。 パッと見まるで格ゲーの2Pカラーみたいに海パンの色くらいしか違いの見当たらないテンプレみたいなチャラ男3人組が、ニヤニヤとお世辞にも爽やかとは言えない笑みを浮かべてこっちを覗き込んでくる。
「おっ!カワイイじゃーん!」 「どっから来たの〜?俺らと遊ぼうよ!」 「焼きそばでもなんでもおごっちゃうよぉ〜?」
……ナンパだ。これは間違いなくナンパというものだ。
まさか自分が男からナンパされることになるなんて夢にも思っていなかったけど、なんと言うか……嫌悪感よりもまず引いた。ドン引いた。 こいつらどんだけ見る目ないんだ。男だぞ俺。いや、身体は女だけど。
「……あの、ワタシ連れが、」
「――その方になにかご用ですか?」
チャラ男たちの背後から、今度こそノボリさんの声がした。 そのひんやりとした低い声に、チャラ男よりもむしろ俺の肩の方が飛び跳ねる。 ――本当に、この人は……なんていうタイミングで、
「お待たせしてしまい申し訳ありませんでした。こちらをどうぞ」 「っ、あ、いえその……ありがとうございます」 「………それで、あなた方はいつまでそこにいらっしゃるおつもりで?」
チャラ男の存在を無視して俺のいるパラソルまで来たノボリさんに手渡されたジュースを受け取って、お礼を言う。 そうすると、にこりと笑んだノボリさんが首だけ捻って後ろを振り向き、これ以上ないほどに冷たく、吐き捨てるようにそう言い放った。 そこについ今しがた俺に見せた笑顔はかけらもなく、灰色の瞳は凍てついている。 『美人は怒った顔も美しい』なんて言うけど、この美形が怒った顔はどこまでも恐ろしいのだ。 当然、ノボリさんの登場に固まっていたチャラ男たちはその目に射抜かれた途端一様に息を飲み、「な、なぁんだ!彼氏いるんじゃ〜ん!」「邪魔しちゃってごめんね〜!」「失礼しまーッス!」等とひどく慌てて口々に言い繕い、あっさりと掌を返して退散していった。
「………まったく」
視線だけでその背中を見送り、舌打ちでもしそうなほど機嫌の悪い声でノボリさんが呟く。 その様子に内心ビクビクしながら缶ジュースのプルタブを引っ張ると、プシュッと小気味のいい音がした。
「ナマエ様、お怪我はありませんか?」 「や、ホントに大丈夫です。ただからかわれただけで」 「……クダリは」 「えーっと……その、カキ氷買いに行っちゃいました」 「………」
ノボリさんの目つきが再び剣呑になる。 これはクダリさんが帰ってきたらまた大きな雷が落ちるんだろう。 その光景が目に浮かぶようで、思わず身を縮ませながらゴクリと一口ジュースを飲み込むと、むき出しの肩を何かが包んだ。
「っ、え?」 「――やはり、目の毒ですね。羽織っていてくださいまし」
ノボリさん、の、パーカー。 それだとわかった瞬間、ふわりとノボリさんの匂いがした。
「ッ〜〜〜〜!!!」
(なんっ、だ、これ……!!)
なんかっ、なんかっ!!異常に恥ずかしい!!! こんな露骨に“女の子扱い”されて、どう反応しろって言うんだ!!
「っお、れ!!ちょっと泳いで来ます!!!行くぞバチュル!!」
肩にかけられたばかりのバーカーを殆ど押しつけるように突っ返して、砂の城の頂上を極めていたバチュルと浮き輪を引っ掴み、波打ち際へ駈け出す。 後ろでノボリさんが呼び止める声がしたけど、振り向いて返事をする余裕なんてない。 顔が、バカみたいに熱くて、絶対に見られたくなかった。
* * *
「〜〜〜っ、あああ!!もうっ!!」
調子が狂う。昨日からまともにノボリさんの顔が見れないし、なんか、変に緊張するし。 ひょっとして不整脈だろうか。だって未だに心臓がドキドキいってる。 ……ほんとに、どうしちゃったってんだ。
(――今まで、こんなにノボリさんを意識したことなんか、なかったのに)
「『悲しそうな顔してる』、か……」
浮き輪に身体をあずけて、プカプカ浮かびながら目を刺すような青い空を仰ぐ。 そうすると、頭に乗っけていたバチュルがバランスを崩したのかか細く鳴いて、額の方にへばりついてきた。
「バチュ……ッ」 「……ん?なんだ、もしかして海恐いとか?」 「バチュ〜ッ!!」
いつもよりプルプルしているバチュルを掌に乗せて向かい合うと、大きな目が縋るように俺を見つめ返す。
「ああ……お前ちっさいもんなぁ」 「バチュッ!バチュッ!」 「だーいじょうぶだって。ちゃんと溺れないようにしてやる。だからもし野生のポケモンが出てきたら頼んだぞ。お前水タイプには有利だもんな?」 「バチュ!!」
『頼んだ』のその一言で、震えていたバチュルの表情がキリッと引き締まった。 可愛くて、頼りになる相棒だ。 その仕草につい破顔していると、手の上のバチュルがハッとしたように視線を上げ、鋭く鳴いた。
「?、な――ぶッッ!!」
本当に野生のポケモンでも出たのか。 そう思って首を捻って振り向いた顔面に、飛んできた何かが見事クリーンヒットした。 バインッと跳ねるような音がして、だけど痛みはあまりなくて、何が起こったのかわからずに呆然と瞬きする俺の視界の端で、こっちに向かって手を振る人影。
「っす、すみませーん!!大丈夫ですかー!?」
水を掻きわける音に続いたその声に、聞き覚えがある。 『その人』が脳裏を過った瞬間、心臓が飛び跳ねた。
(えッ、いや、でもまさか……!そんな都合のいい展開があるわけ……!!)
「――あ、れ……?もしかして、ナマエちゃんですか……?」
そんな都合のいい展開が、どうやらありえてしまったらしい。
「ッ、シキミ、さんっ!!」
このビーチにいる他の誰よりも水着姿の眩しいシキミさんが、そこにいた。
* * *
「本当にすごい偶然ですね!まさかこんなところでまたナマエちゃんに会えるなんて思ってもなかったから、アタシ今すっごく嬉しいですっ!」 「!!おっ…じゃなっ、ワタシ、も!嬉しいです!!」
さっき俺の顔面にぶつかったのは、どうやらシキミさんのビーチボールだったらしい。 シャンデラの顔がプリントされているそれを腕に抱きしめてにっこり笑うシキミさんは天使そのものとしか言いようがなく、さっきから胸はドキドキ鳴りっぱなしで正直息も苦しい。 だけど嬉しいのは本当に本当で、つい顔がゆるんでしまうのは抑えきれそうになかった。
「今日はお友達と?あ、それとも前に話していた同居人さんとですか?」 「はい、そうなんです。お休みがとれたから、って。シキミさんは?」 「アタシはお友達と――……あ、あらら、シロナさんってばもう囲まれてる」
苦笑するシキミさんの視線を追いかけると、浜辺の一角に不自然な人だかりができていた。 よく見えないけど、その中心にいるのは背の高い金髪の女性のようだ。
「彼女、有名人なんです。おまけに美人でスタイルも抜群だから、すぐ囲まれちゃって……」 「ッ……わ、ワタシは、!シキミさんも……すごく…っすごく、素敵だと思い、ます……っ!!」
反射的にそう言ったは良いものの、緊張しすぎて声が裏返っていた。信じられないくらいにダサい。 それでも、「え?」ときょとんとしたシキミさんが、次第に照れたような笑顔になって、白い頬を少しだけ染める。 そんな表情に、またバカみたいに胸が落ち着きをなくした。
「ありがとうございます、ナマエちゃん。ナマエちゃんもその水着、とっても似合ってて可愛いですよ!」 「ぅ゛、っ……ぁ…アリガトウ、ゴザイマス……」
ああ、そうか。そうでしたそうですよね。 こんな格好で言ったって様にならないデスヨネ。
心の涙を必死に隠して絞りだすようにそう言った、そんな俺の内心を知らないシキミさんが「そうだっ!」と明るい声で提案した。
「ナマエちゃん、よかったら一緒にシロナさんの別荘に来ませんか?」 「えっ、いやでも……」 「あの調子だとシロナさんはしばらく動けなさそうですし、大丈夫!ライブキャスターに連絡入れときますから!それにシロナさんの別荘ってとっても広くて綺麗なんですよ!!こうしてせっかく再会できたんですし、またたくさんお話聞かせてくださいっ!」
畳み掛けるように言ったシキミさんの白い手が、ぎゅっと俺の両手を包み込む。 当然、その状況を理解すると同時にとんでもない熱が顔に込み上げて、頭は真っ白になって、「あ、」とか「う」としか言えない俺に、シキミさんが更にズイッと顔を近づけるものだから、っああああもう、マジでこの人は!!!
「あっ、もちろん、ナマエちゃんの同居人さんも一緒に、」
「――ナマエ様、どうかなさいましたか?」
「!!ノボリさ、」
そしてこのタイミングの良さである。 いや、実はずっとノボリさんからの視線を痛いほど感じていたわけで。多分、俺がまた何かトラブルに巻き込まれたんじゃないかって様子を見に来てくれたんだろうけど。
「おや、そちらの方は……」
振り向いた先のノボリさんの表情が、シキミさんを見て僅かながらも驚きに染まる。 そうだ。そう言えば、シキミさんだってイッシュリーグの四天王なんだから、かなりの有名人だろう。 さてこの状況をどう説明したものかと口を開いた時、そこから声が出るより先に、シキミさんの黄色い悲鳴が上がった。
「きゃああ!!おっ、お久しぶりです、ノボリさん……ッ!!」 「あぁ、やはり。シキミ様でございましたか。お久しぶりでございます」
(――……え?)
ノボリさんがふっと力を抜いて、薄らと微笑みながら軽く会釈する。 その紳士さながらな完璧な仕草に、シキミさんは感極まったとばかりに声を失い、頬を赤らめた。 ……って、え…?ちょっ、ちょっと、待て、
「えっ、あの……二人って、知り合い……?」 「ええ。以前一度だけポケモンバトルの相手をしていただきまして」 「そっ、そうなんです!あ、あれっ?もしかして、ナマエちゃんの同居人って……」 「――ナマエ様は、わけあって現在わたくしどもがあずかっております」 「そっ…そうだったんですか……!わ、やだ、まさかノボリさんにお会いできるなんて……!」 「それはわたくしのセリフでございます。イッシュ地方の誇りである四天王のあなた様とこうしてまたお会いできたこと、まことに嬉しく思います」 「そそそそんなっ!!アタシなんて全然大したことなくて……ッ!!」 「ご謙遜を。あなた様との戦い、非常に胸躍るものでした。機会があればぜひとももう一度お相手願いたいと……」
「――………」
(……なんだよ、コレ)
俺なんか蚊帳の外状態で、二人の会話に花が咲く。 シキミさんは相変わらず、まるで――まるで恋をしているかのように顔を赤くして、はにかみながらノボリさんを見つめる。そのノボリさんも笑顔を絶やさず楽しそうだ。
これ、俺の存在完全に忘れられてないか。
「………」
試しに無言のまま、二人から数歩離れてみる。 結果、思った通り話に夢中な二人のどちらにも気づかれなかった。むなしすぎる。 や、知り合いだって言うし、久しぶりに会ったんならそりゃ話も弾むんだろうけど、だけど、
(なんか……イライラ、する)
それ以上この場にいるのが耐えられそうになくて、二人には声をかけないままパラソルに戻った。かけたってどうせ聞こえやしなかったかもしれないけど。
そんな卑屈なことを考えながらビニールシートにドスンと腰を落として、とっくにぬるくなった缶ジュースを喉に流し込む。――と、突然首に回った腕に引き寄せられ、口の中の物を噴きだしそうになった。
「どーしたの!そーんなむくれた顔しちゃって!」 「……クダリさん」
ちょっと汚してしまった口元を手の甲で拭いつつ暴挙の犯人を睨みつける。 けど、クダリさんは意味深な笑みを浮かべ、ノボリさん達がいる方を目を細めて眺めるだけで効果はなかった。
「あれ、シキミちゃんだよね?ナマエが片思いしてる」 「ッ……そーですよ!クダリさんも挨拶しに行ったらどうですか?」 「うん、僕はパス。むくれてるナマエ放っておけないし?」 「別にっ!むくれてなんか……っ!!」
クダリさんの口ぶりにカッとなって言い返そうとしたものの、続く言葉が出てこない。 それが悔しくて、苛立ち紛れにクダリさんの手にあったカキ氷のカップを奪い、「あっ!」という悲鳴を無視してその中身を一気にかきこんだ。
「ちょっとナマエ!!ひどい!!!」 「しりまひぇん」
口いっぱいに含んだちょっと荒削りな氷を噛み砕いて、クダリさんの抗議を尻目にゴクリと飲み込む。イチゴミルク味に近い。喉はサッパリして、普通においしかった。 ……それでもやっぱり、胸の奥に沈んでるイライラが消えない。
「……あの二人って、結構親しかったり、するんですか」 「ノボリとシキミちゃん?んー……実際に会ったのは一回だけだと思うよ。まぁシキミちゃんはリーグの四天王だし、僕らサブウェイマスターも一応有名人だから、お互いの情報はちょくちょく耳に入ってくるけど」 「………ふぅん」
膝を抱き寄せて、未だに楽しげに話をしている二人の姿をじっと眺めた。 美男美女。傍から見ればお似合いのカップルだ。 ……きっと、俺とノボリさんが並んでてもこうはならないだろう。
(――いや、それにしてもノボリさん鼻の下のばしすぎだろ。そりゃあシキミさんは美人で可愛くて胸もおっきくて、おまけに優しくて魅力的だけど、あんなデレデレしなくったって…………って、)
「……なんですか、クダリさん」
横顔に無遠慮に突き刺さるクダリさんの視線にいい加減耐えかねて、視線だけでそっちを見る。 「ん?」と片眉を跳ねさせて、あぐらの上で頬杖をついていたクダリさんが一段と笑みを深くした。その顔に、なぜだか胸が、ひどくざわつく。
まるでこれから、良くないことが起こるみたいに。
「……ね、ナマエ。すっごいこと訊いていい?」 「――っ?なにが、」
「今、“どっち”にヤキモチ妬いてるの?」
「…………は?」
思考が、一瞬停止した。 頭の中を、ノボリさんとシキミさん、二人の顔が交互によぎる。
“どっち”、って。 そんな――ヤキモチを妬くならそれは当然、 当然――………
「――ッ……!!」
あ れ ?
(13.01.14)
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