「――あれ?」 休憩時間中、何気なく確認した今月のシフト表に釘付けになった。 自分の名前の欄に、赤ペンで修正が入れてある。日付は明後日。通常出勤扱いだったはずが、その上から×印をつけて『有』の文字。 もちろん私はそんなことをした覚えがない。 ――そしてこの職場でそんな暴挙が許されるのはただ一人。 「ボス!勝手に私の有休決めないでくださいよ!」 わざとノックを省いて乱暴にボスの執務室のドアを開ける。 大きなデスクでいつも通り退屈そうに、お行儀悪く頬杖をつきながら書類を眺めていた切れ長の目がチラリと私を見て、だけどまたすぐ書類の文字を追いかけた。 「〜〜っ、ちょっとボス!!聞いてるんでs」 「その日でしたらワタクシも休みが取れましたので」 「……は?」 パラリ。また新しい書類を捲りながら、ボスは私の顔も見ず、事もなげに言った。 「お前の言う、”段階”とやらを踏んでやろうかと思いまして」 * * * 「――お前のセンスには絶望しました」 「い、いいじゃないですか遊園地!!夢がありますし!!楽しいし!!」 「体型だけでなくお頭も幼児並とは……なんとも嘆かわしい」 心底憂鬱そうにため息をつくボスに形容しがたい恥ずかしさが込み上げる。 だ、だっていきなりどこに行きたいかなんて言われても思いつかなかったし……!それになんか、ボスと二人で遠出なんてしたらいかにも”デート”って感じがして……い、いやいくらギアステの目と鼻の先でも遊園地なんてそれこそデートの定番スポットなんだろうけどだけどその、そういうことじゃなくて……!! 「っ、わ…!」 「突っ立っていてもはじまりません。行きますよ」 「あ、ぅ……は、はい…!」 うわああああ!!!手!手!!繋いじゃってる……! 手袋をしてない生身のボスの大きな手が、極自然に私の手を捕まえてしまった。 ど、しよう。心臓がヤバい。な、なんか周りに見られてる気がする、し。恥ずかしい。 平日だからそんなに混んでるわけじゃないけど、やっぱり人目が気になってしまうのはお国柄だろうか。チラチラ横目で園内を見回せばもっと過激なことをしているカップルなんていくらでもいるのに、気になって仕方がない。 (て言うか私たち、ちゃんと恋人に見えるのかな……) なにせボスは自他共に認める男前さんだ(性格は別として)加えて見上げるほどの上背に長い足。 そんな人の隣を歩くのが、起伏に乏しい体つきをした私だ。 金髪のボスと絵に描いたようなジャパニーズな私がまさか兄妹には見えないだろうけど、それと同じくらい、恋人にも見えないんじゃないだろうか。 ――いや、そもそもボスと私は恋人だと言えるのだろうか。 「………」
考えてみれば結局ちゃんと『好き』だとか、『お付き合いしましょう』的なことを言われてない。 私たちが交わしたのは、私の”初めて”をボスに――という約束だけだ(正確にはボスの貞操の件もあるけど)うわ……なんか悲しくなってきた。 「……何を拗ねているのです」 「……別に」 「なら不細工な顔をするのはよしなさい。怒っても美しいのは美人だけですよ」 「ボスは私を泣かせたいんですか」 「……『蓼食う虫も好き好き』とはお前の国の言葉でしたか」 「………」 それはフォローになってない気がする。そもそもこの人に慰めようという意思があるのかどうかは不明だけど。 ……でもまぁ、それでも。意地悪く笑いながら目を細めるその表情一つで、呆気ないほど簡単にときめいてしまう。私は結局、この人には敵わないのだ。 「――では、取り合えずアレから行きますか」 「は――え゛、」 ボスが指差した先にあったのは、おどろおどろしい、いかにもな雰囲気を醸しだすホラーハウス。 一瞬で背中に嫌な汗が噴き出して、正直者の脚がその場に根を張ったように凍りつく。 そんな私を見下ろして、ボスはビックリするほど邪悪な笑みを浮かべた(こ、このドS……!)
(※以下回想は会話のみでお伝えします) 「ぎゃああああ!!わああああ!!!もうやだ!!!帰るぅぅぅ!!!」 「落ちつきなさい」 「だっだってぇええ!!ッ、ひょわああ!!?なっ、な…!!」 「落ちつきなさいと言っているでしょう」 「だだだだって……!今、なっ、なにかが…胸……!!触って……ッ!!」 「安心なさい。それはワタクシの手です」 「しれっと言い返さないでくださいドサクサに紛れてなにしてんですか!!」 「お前の恐怖心をやわらげてやろうかと」 「余計なお世話ですっ!ッ、て言うかいい加減揉むのやめてください!!」 「………小さい」(もにゅもにゅもにゅもにゅ) 「うわあぁあん誰か助けてー!!!」 (※ジェットコースター) 「……ボス、どうしてこっち見てるんですか」 「お気になさらず」 「いや前見ましょうよ前。それじゃ楽しくないでしょう」 「ご心配なく。真っ青で震えるお前を見ている方が余程愉快ですよ」 「純粋にアトラクション楽しみましょうよ!!この性わ、っるぁぁああああーー!!!」 (※メリーゴーランド) 「嫌です」 「乗ってきなさい」 「嫌です」 「つべこべ言わずに馬に跨って上下に揺すられてきなさい」 「嫌です!」 「騎乗位の予習だとでも思えば恥ずかしくもないでしょう」 「そういうこと言うから絶対に嫌なんですッッ!!」 (※観覧車) 「ちょっ、ぼ、ボスなんでこっち来るんですか……!」 「おや。観覧車と言えば濡れ場と相場が決まっておりますが」 「景色を!観るんです!!わっ、やだ揺らさないでくださ…!」 「なら逃げずに大人しくなさい」 「やだやだ大人しくしなんてしたら、――ッ!!」 「――『したら』、どうなると?」 「〜〜〜っ、ボ…っ、ん」 「……『インゴ』、でしょう?」 「ふ、ぁ…っ、ぃ……インゴ、さ、ぁ」 「そう…素直な子は好きですよ」 「ん、ッんぅ…ふ、」 「……ナマエ、」 ――い、以下、割愛!! ってことで、何だかんだでクタクタになりながらもそれなりに遊園地を満喫して、ボスに案内されたのはもう見るからに高そうなホテルのお洒落なレストランだった。 当然、真っ先にお財布の心配をした私にボスが呆れ気味にため息をつく。 「こういう時は男に任せておくものですよ」 ……だって。 な、なんか、照れくさい。だって今のやり取り、すごく『恋人』っぽかった。 通された席も他からは少し離れた窓際の席で、大きなガラスの向こうにキラキラ煌く夜景が見える。も、もしかしてボス、予約してた……? 「ボ……い、インゴ、さん」 「はい」 「………今日は、ありがとうございました」 食事の手を止めて、勇気を出して切り出す。 素直にお礼を言うのが妙に恥かしい。最後のほうなんて聞き取れたかどうか。 だけど、俯きながらチラリと盗み見たボスがふっと淡い笑みを浮かべたところを見ると、ちゃんと届いていたようだ。 ボスの髪と同じ澄んだ蜜色が揺れるグラスを唇に運びながら、私を見つめる青い目が細められた。 「ご満足頂けましたか?」 「……セクハラがなければ」 「恋人同士の戯れに目くじらを立てるものではありませんよ」 「こ、――!!」 『恋人』 その言葉に、思わず大げさな反応をしてしまった。 きっと今、私の顔真っ赤だ。 だってボスが、また意地悪く笑ってる。 「不満でも?」 「ッッ……な い、ですけど!」 あ あ、どうしよう。バカみたいに嬉しい。わたし、こんなにボスのこと好きだったんだ。 今更気づいた事実に心臓が弾けそうなほどドキドキ高鳴って、誤魔化すために止めてた手を、口を動かす。 うん。おいしい。こんなの滅多に食べられないんだから、ちゃんと味わっておかなきゃ。それにこのワインも、飲みやすくて良い。そんなに強いやつじゃないってインゴさん言ってたし。いくらでもいけそう。 (――ああ、私、) なんか今、すごく幸せだなぁ。 * * * ドサッ 「ふぇ?」 あ、れ? なに、ここ、どこ? なんでボス、上着脱いでるの?なんでわたし、ベッドに寝てる、の? 「ぼす…?」 マシュマロみたいに柔らかいふかふかのベッドが、ボスと私の体重で沈む。 橙色の上品な照明がボスの影に遮られて、その代わり、ボスの目がギラギラしてる。 ああ、どうしてだろう。あたま、まわんない。ふわふわしてる。 「ぼ、ッン…ん」 「――『インゴ』」 「は ぁ、イン、ゴ…さ」 言い切らないうちにもう一度ボスの唇が重なって、くちゅっと濡れた音。 一瞬腰の辺りがぞわっとして、だけど、どうしよう。気持ちいい。 キスも、私に触れる指も、どこまでも優しい。とってもいい気持ち。 その内急に首元が涼しくなったかと思ったら、いつの間にかブラウスのボタンが外されていた。 「ナマエ」 「っ、ん」 ちゅっ、ちゅっと音を立てながらボスの唇が首筋を降りて、胸元に落ちる。 くすぐったい。でもやっぱり、きもちいい。夢の中みたい。 ――そう、きっと、これは夢なんだ。 (だってボスが、こんなにやさしい……) ああ、いまなら、夢のなかなら、言えるかも。 「インゴ さん」 「――ん?」 インゴさん インゴさん あのね わたしね 「 だい すき 」 ああ よかった 夢の中だけど やっと言えた そう思うと、一気に瞼が重くなってもう目を開けていられない。 あたたかい波に引き寄せられていく意識の片隅で、聞いたことないくらい優しいボスの声がした。 「――その言葉に免じて、今日は見逃してさしあげましょう」 『ですが、次はありませんよ』 ……なんて、やっぱりボスは、夢の中でもこわい人だ。 (12.04.27)
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