「ノボリさんっ!」 人の波を縫って、跳ねるように駆けるナマエ様がわたくしを呼ぶ。 その様子に頬が緩みそうになるのを堪えながら、わたくしもナマエ様のもとへ。 ――その時、視界の端の白が揺れたのが確かに見えました。 (クダリ――?) 人の中に紛れ込むように、わたくしと揃いの白いコートが姿を消す。 どういうこと、で、ございましょう。一瞬胸が、妙にざわめいた感覚。 「こんばんは、ノボリさん!」 「ッ!こんばんは、ナマエ様。呼び止めてしまって申し訳ございません」 思わず足を止めてしまったわたくしの前にたどり着いたナマエ様が、走ったせいで息を上げながらも微笑む。 僅かに上気した頬に心臓がきゅんと鳴って、わたくしはそんな彼女をこの場で抱きしめたい衝動を必死に堪えながら、伸ばした手で少しだけ乱れた柔らかな髪を優しく梳いてさしあげました。 周囲の目が気になるのか、ナマエ様はピクリと肩を跳ねさせて目を泳がせた後、俯いてはにかみながら「ありがとう、ございます」と小さな声で呟きました。その照れたご様子の、また愛らしいことと言ったら! ああ、大丈夫ですよナマエ様。この光景もいずれはギアステーションの日常風景となるのですから、周りに遠慮することなどございません。 「――本日は、シングルにもスーパーシングルにもいらっしゃいませんでしたので、お会いできないかと」 「はい!スーパーシングルに向けて特訓中なので、今日は気分転換にダブルトレインに――って、あぁ!クダリさん?!」 自分の言葉にハッとしてナマエ様が慌てて後ろを振り返る。 しかし既にそこにはクダリの姿はございません(――と言うかやはり、見間違いではなかったようですね) 「……クダリが、なにか?」 「あっ、えっと…クダリさんもちょうど休憩だから、外まで送ってくれるってことになって……!」 「……なるほど」 単に気を利かせたのか――それとも何か、別の理由があるのか。 考えるのは、あわあわと慌てるナマエ様にフォローした後にいたしましょうか。 「あれもサブウェイマスターですからね。大方急に呼び出しがかかったのでしょう」 「そう、でしょうか……あの、もしよければ後でクダリさんに『すみませんでした』って伝えてもらえませんか?」 「ええ。かしこまりました」 わたくしが微笑んで見せれば安心された様子のナマエ様の肩の力が抜ける。 そんな時、ナマエ様の腰に下げていたモンスターボールが小さく揺れて、中からイーブイが飛び出してきました。 「わっ、こらイーブイ!」 「♪♪」 「もうっ、どうしたの?悪戯しちゃだめだよ!」 飛び出したイーブイがナマエ様の制止を聞かず私のコートにしがみついてフンフンと鼻を鳴らす。 ――ああ、きっとこの子はコレに気がついたのですね。 「ナマエ様が気に入ってくださったようでしたので、お会いした時に渡そうと用意しておいたのです。ほら、あなたもお一つどうぞ?」 「♪」 コートのポケットに入れておいた包みを取り出し、中のクッキーを一つ差し出すとナマエ様のイーブイは嬉しそうに鳴き声を上げてそれを頬張る。対して、ナマエ様は申し訳なさそうに眉を下げてわたくしの顔を見上げました(う、上目づかいとは…!効果は抜群でございます!) 「すみません…なんだかこの子、ノボリさん(のくれるお菓子)のこと好きになっちゃったみたいで」 「いいえ。むしろわたくしは嬉しいですよ。はい、どうぞ」 「(ノボリさん、イーブイ好きなのかな)……ありがとうございます」 包みを手渡すと、戸惑いながらも若干嬉しそうに表情を緩めるナマエ様。 目当てのものを手に入れて満足したのか、イーブイも自主的にボールに戻り、ナマエ様はやれやれと小さく肩を竦め、改めてわたくしを見上げました。 「ノボリさんもお仕事中ですよね?邪魔しちゃ悪いので、そろそろ帰ります」 「でしたら、クダリに代わりましてわたくしが外まで送りましょう」 「いいんですか?」 「勿論でございます」 あなた様より他に優先すべきことなどございませんので。 心の中でそう付け加えて、もう一つ――クッキーの包みを入れていたのとは反対のポケットに忍ばせておいたソレに、そっと指先で触れる。 きっと、今がチャンスでございます。 ナマエ様と並んで長い階段を上りながら、密かに手を握り締めて己を鼓舞いたしました。 「――それじゃあここで、」 「ナマエ様!」 「ぅはいっ?!」 いけません。緊張で思わず大きな声を出してしまいました。いえですがビックリした顔のナマエ様も可愛らし……いけませんいけません、そうではなくて。 「し、知り合いに、ポケモンミュージカルのチケットを2枚頂いたのです。ですので……よければ、一緒に」 「私と…ですか……?」 それ以上は声が裏返ってしまいそうでしたので、無言で頷いて返事をしますと、零れそうなほどに目を大きく見開いたナマエ様の頬がじわりと赤みを増しました。 「ぇっ、あ…」と、言葉を詰まらせ、差し出したチケットと私の顔を交互に見やり、唇を引き結ぶ。 ひとつひとつの表情の変化にわたくしの心臓は面白いほどに飛び跳ねて、内側から身体を叩きます。 どうか、どうか、受け取ってくださいまし。 堪えきれずに強く目を閉じた時、祈りが通じたのか、指先からチケットが離れていきました(あ、あ…!) 「――行き、ます…!」 「!!ではッ、また後ほどご連絡さしあげます!今夜のご予定は?」 「大丈夫、です」 「!」 わたくし、気づいてしまいました。 俯いたナマエ様の、横髪から覗く小さな耳が赤い。 なんと可愛らしい。なんと愛おしい。 ダメです、わたくし――もう、我慢が、 「っ、それじゃ、また!」 わたくしの理性がログアウトする寸前、ナマエ様がくるりと背を向けて、日の沈んだ藍色の空の下へ駆け出す。 その背中を一瞬ぽかんとして見つめて、慌てて心の中でセーフサインを切りました(いえ、本当に今のは…我ながら危なかった) 「お気をつけて!」 張り上げた声に、ナマエ様が顔だけ振り向いてぺこりと小さく頭を下げ、控えめに手を振る。 そんな姿にわたくし思わず、全力で手を振り返しました(通りすがりの方々が驚いたようにこちらを見ておりましたが、そんなの知りません) ああ、ああ、どういたしましょう。 これは、デートのOKを頂いたということで、かまわないのですよ、ね? 「(早く――早くこの事をクダリに報告しなけれ、ば……)」 (あ――……) 何も言わず、人混みの中に消えていった後姿。 それを思い出した瞬間、喉を絞められたように息苦しくなる。 わたくしと瓜二つの、双子の弟。 夢中になるものは二人、いつも同じ。 「――……まさか、」 強張った掠れた声は、ひやりと冷えた空気の中に溶け込んだ。 (11.11.11)
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