(………おや) 来客用のソファで仮眠を取っていたはずが、目覚めてみればとんだ事態になっておりました。 (これは……) ソファがやけに大きく感じられる。 そしてその上には、抜け殻状態のワタクシの衣服。 落とした視線の先にはまるでポケモンのような、小さな獣の前脚。 思わずマジマジとそれを見つめてから、とりあえずソファを降りてみることにしました。 案外高さがあるように感じられましたが、いつもより断然軽い身体は我ながらしなやかな動きで見事に着地し、そのまま四足歩行で姿見の前まで移動してみましたところ、やはりと言うか何と言うか。 (チョロネコ、ですか) 見事にチョロネコの姿になっておりました。 (一体なぜ……) エメットあたりに何か盛られたか。それとも何かしらポケモンの影響か。はたまた夢を見ているのか。 一通り原因を考えながら自分の姿を凝視すること数秒。早々に考えることは放棄いたしました。 まぁなるようになるでしょう。幸い本日のワタクシの業務は終了しておりますし、後はエメットが書類を提出しにくるのを待つだけ。 見かけに違わぬ軽薄ぶりではありますが、あれでもワタクシの双子なだけあり聡い部分もございます。 おそらくワタクシの正体に気づくでしょうから、後は任せておけば良い。 こんな姿になってしまった以上、ワタクシにはどうしようもございませんので。 (……さて、指針も決まったところでもう一眠りいたしますか) くあと欠伸をしてソファに戻ろうと振り向いた丁度その時、ノックの音と共に聞こえたのは聞きなれた部下の声でした。 「ボスー、エメットさんから書類預かってきましたよー……って、あれ?」 「………」 「………チョロネコ?」 返事を待たずに音を立てて開かれたドアから現れたのはナマエ。 ワタクシを見るなりきょとんと目を瞬かせ、それから訝しげに室内を見回す。 しかしそこに(本来の)ワタクシの姿がないことに気づくと、ナマエは困ったようにため息をついて手にしていた書類をテーブルに置き、しゃがみこんでワタクシと視線を合わせました。……フム、今日はピンクですか。 「君、どこの子?ひとりでどうしたの?」 「………」 「誰かの手持ちかなぁ…チョロネコ持ってる人いたっけ。いやでもこんな珍しいもみ上げつけたチョロネコ見たら忘れるわけないし……」 「………」 「ボスの手持ち……じゃないよねぇ。ボスとチョロネコって相性最悪っぽいし」 一人でベラベラと喋った末に何がおもしろいのか小さく笑い、徐に伸ばした手でワタクシを優しく抱き上げる。 別段抵抗せず、なされるがままにしていると、そのままワタクシを腕に抱いたナマエがもう一度キョロキョロと辺りを見回し、その視線がふとソファに止まった。 「――え、ボスの服……?って、ことは……」 (ッ!まさかこの鈍感娘がワタクシの正体に――?) 「ボスったら裸でギアステーションの外に…ッッていたあああ!!!」 例え一瞬でもこの愚鈍を見直しかけたワタクシがバカでした。 さすがに少々腹が立ちましたので、目の前にあった大層慎ましやかな胸の膨らみに服の上から噛みついてやりますと、大げさな悲鳴を上げたナマエが涙の浮いた目を見張ってワタクシを見下ろす。 ……ですが、そこでワタクシを振り落とさないところに、僅かながらも関心したという事は伏せておきましょう。 「い、痛いよ!人を噛んじゃダメ!!」 「(知ったことですか)」 「……うわぁその態度、なんか誰かを彷彿とさせるなぁ……」 フイと顔を背ければひくりと笑みを引き攣らせたナマエがそうごちる。 そんな時、慌しく通路をかけてくる足音が聞こえ、頭上についた大きな耳が無意識にクルリと動きました。 「インゴごめーん!さっきの書類なんだけどさ、サインするの忘れて――What?インゴは?」 ノックもなしに飛び込んできたエメットがワタクシとナマエの姿を見て首を傾げる。 この様子から察するに、犯人はエメットではなかったようですね。 「エメットさん、それがボスったら着替えてどこかに行っちゃったみたいで……」 「えぇー?」 「それで、なぜかこの子がここにいたんですけど、どこの子か知りませんか?」 「チョロネコ……?」 ワタクシと同じ作りをした顔が、チョロネコになったワタクシを無遠慮に覗き込む。 イライラと不快感を募らせながら無言のままそれを見返せば、エメットの表情が僅かに変わりました。 「……なるほど、そういうことネ」 ナマエには聞こえないほど小さな声で呟いたその口角がますますつり上がる。 ……この愚弟、良からぬことを企んでいやがります。 「あーそうそう!思い出した!この子、インゴが預かってるんだ!」 「!!」 「えっ、そうなんですか?」 何を言い出すやら。 警戒して毛を逆立てるワタクシに意味深なウインクを投げかける。寒気がしましたよ寒気が。 「きっとインゴったらお世話するのが面倒になって逃げたんだネ!だからさ、ナマエ!」 「悪いけど、君が一晩この子を預かって!」 * * * 「もう、本当に誰かさんそっくりなんだから!」 あろうことかこのワタクシにポケモンフーズを食べることを強要してきたナマエの食事を掠め取り、食欲が満たされたところでその膝の上に寝そべって欠伸をしたワタクシの額をナマエがぺチリと叩く。 痛くはありませんでしたが、生意気な態度に腹が立ちましたので服越しに爪を立ててやれば「痛い痛い!」とキャンキャン騒ぎ慌ててワタクシを抱き上げて眦を吊り上げました。 生憎そんな顔をされてもちっとも恐くなどありませんので、効果は欠片もございませんよ。 「こら!スカートダメになっちゃうでしょ!」 「(口煩い女性は嫌われますよ)」 「……なんかまた可愛くないこと考えてそう」 はぁ、とこれ見よがしなため息をつき、諦めたようにワタクシをフローリングの床に降ろす。 椅子から立ち上がったナマエを見上げると、それに気づいてしゃがみ込んだ彼女の手が、ゆるく頭を撫でました。 「私、お風呂に行って来るから。その間良い子にしててね」 「………」 ……このグズのことです。風呂場で転倒なんてこともありえるかもしれません。 (仕方がないですね。一宿一飯の恩義ということで、ここはワタクシが同行してやりましょう) 着替えを抱えて脱衣所へ向かうナマエの後を追いかける。 ドアが閉まる前にスルリとその中に入り込むと、ワタクシを振り向いたナマエが「え?」と目を丸くした。 「なに?君もお風呂入りたいの?」 「………」 「んー……そんなに汚れてる感じもないけど…綺麗好きな子なのかな」 そのようなことはどうでも良いのでさっさと服を脱いだらどうです。 無言のまま視線で念を送り続ければ、少し考える仕草をした後に「よし」と小さく頷く。 にっこりと笑った彼女に再び腕に抱えられ、かくしてワタクシは思惑通り白い湯気の立ち込める浴室に――入ったのは、良いのですが。 「じゃあ、先に君だけ洗っちゃおうね!」 「……………」 洗面器の中に湯を張り、手早くワタクシの身体を洗ったナマエはもちろん服を着たままでした。 この外道。ワタクシをもてあそぶとはいい度胸です。元に戻ったら覚えていなさい。 「っわあ!ブルブルってしないで!服が濡れちゃう!」 「(だったら脱ぎなさい)」 「〜〜もう!っほら、はい終わり!ちゃんと大人しくしてるんだよー」 「………」 ナマエと同じ甘ったるい香りのするソープで洗われたツヤツヤのワタクシはその後、ひょいと脱衣所の外につまみ出され、いくらドアを引っかいて抗議しても再びその中に入ることは叶いませんでした。 * * * 「なに拗ねてるの?」 「………」 拗ねてなどおりません。言いがかりはやめなさい。 そっぽを向いて身を丸めれば、やれやれと言わんばかりに鼻で息をつくのが聞こえました。 ……それでも、そっと伸ばされた手でワタクシの背を撫でる手つきはやはり、どこまでも優しいのですから調子が狂う。 「今日はもう寝ようね。おやすみ」 言って、部屋の明かりが消される。 暗闇に包まれたのは一瞬のことで、すぐに暗順応した目には明るい時と比べても大差ないと感じられるほど周りがよく見えました。 なるほど、ポケモンの目とはなかなかに便利です。 物珍しさに視線だけ動かして寝室を観察しておりますと、なにやら隣のナマエがゴソゴソと動く気配。 シーツの擦れる耳をそばだて、チラリとそちらを盗み見れば、ナマエはライブキャスターをいじっていました。 全く、明日も早いというのにこんな時間まで誰とやりとりをしているのでしょう。 別に気になるわけではございませんが、おもしろくないのは確かです。生意気にも男相手だったなら今度は首筋に噛みついてやりましょうか。 画面を覗き見てやろうと静かに起き上がり、ナマエの枕元に忍び寄る。 そうすると、何かを感じ取ったのかナマエがこちらを急に振り向き、ワタクシのシルエットに向かってへらりと苦笑いしました。 「……ごめん、うるさかった?」 「………」 「あのね、君を預かる予定だった人に連絡しようとしてるんだけど、全然繋がんなくて……」 「!」 ドキリと心臓が跳ねる。 驚いてナマエの顔を凝視すれば、そこに浮かぶ微かな不安の色に初めて気づいた。 「――ボスはね、意地悪で、セクハラばっかりする人だけど……あれでもちょっとは優しいところもあるし、責任感とか仕事にかけるプライドは、さすがだなって思うくらい、すごいんだよ」 「……」 「だからね、君のことも、一度預かったなら絶対放り出したりなんか、しない」 ライブキャスターを置き、伸ばされた手がワタクシを抱き寄せる。 ワタクシを安心させようと一定のリズムで背を撫でるその手はしかし、小さく震えているようにも思えました。 「っ……何か、事件とかに巻き込まれてなかったら、良いんだけど、」 「……――」 (お前、は) やはり、とんだバカです。 やけにライブキャスターを気にしているかと思えば、そんなことをしていたのですか。 お前の探し人は、こんなにもお前の傍にいるというのに。 お前が心配するようなことなど何一つないと言うのに。 なにを、泣くことがありますか。 「っ、ん!」 「……」 「あ、は!ふふっ…くすぐったいよ」 音もなく零れた涙の筋を追いかけて、頬を舐める。 生憎とチョロネコの舌ですのでサリサリと表面がざらつきますが、ナマエは痛がる様子もなくクスクスと笑う。 その笑い声に些か安堵して、顎を伝った分も丁寧に舐め取ってやり、そのまま首筋まで舌を這わせれば布団の中のナマエの身体がピクリと跳ねたのがわかりました。 「ン、こ…こらこら!もう平気だからっ!」 今のこの目を通せば、灯りの落ちた室内でもナマエの頬がカッと染まったのが見て取れる。 そんな反応にほくそ笑み、更に進路を下げて鎖骨に甘く歯を立ててやればナマエが息を呑み、ワタクシを引き剥がそうとしていた手が一瞬動きを止めた。 その隙を逃さず、長い尾をするりとパジャマの合わせ目の奥にもぐりこませて素肌をまさぐってやる。 先程抱きしめられた際、ナマエが下着をつけていないことは確認済みです。 狙いをつけて胸の突起を掠めてやればナマエから「ふ、ぁ!」と鼻にかかった甘い吐息が零れました。 「〜〜〜っも!ダメ、だってば…!!」 被っていた布団を乱暴に捲って起き上がったナマエが本格的にワタクシを退けようとする。 少々乱暴に首根っこを摘まれて鼻先でプランと持ち上げられ、屈辱的な扱いに思い切り睨みつけてやると、顔を赤くしたままのナマエも負けじと眉を顰めた。 「ほんとっ、こういうところもボスそっくり!」 『同一人物なのですから当然でしょう』 言ってやる代わりに、目と鼻の先にあった唇にガブリと噛み付く。 ――その瞬間、ドクンと脈打った自分の身体を眩い光が包み、思わず目を閉じた。 ドサッ。 「――あ、…ぇ……?ボス……?」 「ッ……!」 次に目を開けたとき、真っ先に目に入ったのはポカンとしてワタクシを見上げるナマエの間抜けな顔でした。
その横には、彼女を閉じ込めるようにシーツにつく慣れ親しんだワタクシの両腕。 何が起こったのかほぼ一瞬で理解したワタクシと異なり、ナマエはひたすら呆然としてワタクシを見つめる。 なるほどこれは、いわゆる『おいしい状況』というヤツでしょうか。 「えっ…なんっ、なんでボスが……!?ちょ、チョロネコはっ!!?」 「――随分と世話になりましたね、ナマエ?」 「ひ、ぇ?なに言って…ッ!!って言うかボス、服…!服着てくださっ」 「おや。今からすることを考えれば、むしろこの方が都合が良いでしょう」 必死にワタクシから目を背けようとするの顎を捕まえ、潤んだ眼差しを絡めとって目を細める。 本能的な危機感からか、ナマエの喉がヒクリと鳴った。 「ポケモン相手に、随分とイイ声で鳴くのですね」 「――ッッ!!?ま さか……っ」 ええ、そのまさかです。 ようやく気がついたのですか、おバカさん。 「……そんな『イヤラシイ』部下には、とびきり『イヤラシイ』ご褒美を差し上げましょう」 だからもう、泣くのはよしなさい。 (お前はただ、ワタクシの下で『鳴いて』いれば良いのです) 『Good morning!ナマエ!インゴもとにもどった?』 「いいいいいから早くボスの服持ってきてください今すぐ!早急に!!」 「――おやおや。朝からベッドを抜け出して他の男に連絡とは、見過ごしてはおけませんね」 「!!!ぼ、ボス…ッ」 「来なさい。しっかりと躾け直してやりましょう」 「あっ、ゃあ!そ、な…っあ、だ、めぇ……!」 『……オーイ。まだ通話繋がってるんだケドー……(って聞こえてないか)』 (12.04.07)
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