『ボスがクレームに捕まった』 インカムにその情報が流れた時、冗談抜きで震え上がった。 最悪だ。最悪の事態だ。 クレームが発生したことがじゃない。 問題は、それを受けたのがあのボスだということだ。 バトル以外では滅多に人前に出ないお方だから、必然的にボスは現場でクレームを処理する確率も低い。 だけど、限りなくゼロに近いからと言って、ゼロではないのだ。 先輩の話では平均的に見て年に数回程度、ボスも直接クレームを受けることがあるらしい。 私も入社してから一度だけ、クレームを受けた後のボスを目の当たりにしたことがある――と言うか、その後のボスの『ご機嫌取り』をさせられたことがある。 要するに、その『ご機嫌取り』こそが、私にとって震え上がるにたるほどの恐怖なのだ。 (どっ、どうしよう今からでも有給使って、) 『――ナマエ。3分以内にワタクシの執務室に来なさい』 そらきたもう逃げられない!! 要件だけ告げてブツリと切られた通信に心の中で膝をつく。 それでも言うことを聞かないと後でもっと酷いことをされるのはわかりきっていて、フラフラとボスの執務室に向かって歩き出した私を遠目に眺める先輩達の哀れみの視線が心底恨めしかった。 ・ ・ ・ 「……失礼しまーす」 「遅い。お前のグズは一体いつになったら治るのですか」 ノックして室内に入った途端、早速お小言で迎撃された。 もうやだ。わかってたことだけど、ボスの機嫌はすこぶる悪い。目が据わってる。 クレームの詳細は知らないけど、たまに来るクレーマーさんが相手だったらしい。 ボスはまぁ、私たち従業員に対しては傍若無人な暴君様ではあるけど、お客様に対してはギアステーションの責任者として、一応最低限の対応をしてくれる。 想像しただけで身の毛もよだつ話だけど、あのボスが、頭を下げたりもするのだ(ただしまるで仇でも見るように床を睨みつけるその眼光の禍々しさは筆舌に尽くしがたい) そして想像に難くない話だとは思うけど、そこで抑えた鬱憤の反動が向かうのはやっぱり、私たち従業員なのだ。 「えぇとあの…用件は……」 「フン」 延々続きそうなお小言を遮って引き攣る笑顔でお伺いすれば尊大に鼻を鳴らしたボスがクルリと椅子を回して、自分の太股を軽く掌で叩いて見せた。 その視線は無言のまま私に『ココに来い』と命令している。 当然、この暴君を前に拒否権なんてものがあるはずもなく、正直な胃がキュッと痛むのを耐えながら私はおずおずと指示された通りボスの目の前まで移動した。 「……あのぅ、」 「――チッ」 前回ボスがクレームを受けた時も同じように膝の上に座らされたわけだけど、やっぱりどうしても自分からそこに座るのは抵抗があるわけで。渋る私に業を煮やしたのか、舌打ちしたボスがいきなり伸ばしてきた手で私の腕を掴み、強く引かれたかと思うとあっという間ボスの膝の上にぺたんと腰を降ろしてしまっていた(う、うう……!) (や、やっぱりこれ…居心地悪すぎ……!) お世辞にもほっそりしているとは言えない私の太股が、黒いスラックス越しにボスの太股の硬さだとか体温だとかを感じ取ってしまって、安易に身じろぎすらできないほど緊張する。 こないだは確かボスがバトルで呼び出されるまで2時間くらいはこのままだったんだけど、今回は一体何時間我慢すれば良いんだろう。 そうやってガチガチに固まってる私をよそに、頭上のボスは(膝の上に座ってるのにまだボスの方が座高が高いとかほんと欧米人てどうなってるの)私のお腹に片方の腕を回してガッチリホールドを固め、空いてる方の手で徐に煙草を取り出した。 「……フゥ」 「………」 シンと静かになった部屋で、ボスが紫煙を吐き出す僅かな息遣いだけが聞こえる。 ああ、やだな。また髪にボスの煙草の匂いがついちゃう。 前回そのことで先輩達から散々からかわれたことを思い出して、自然と眉間に力が入る。 だけどもちろん、私がこのお方に文句なんて言えるはずもなく。 5分が経ち、10分が経った。 ボスが3本目を吸い終った頃から、お腹に回っていたはずの手はゆっくりとその下に落ちて、現在はやわやわと私の太股の上を撫で擦るような動きを見せている。 どう見てもセクハラですジュンサーさん助けて! なーんて、やっぱり言えるはずがなくて心の中でだけ叫んで、ただひたすらにボスの気が済むのを待つことしかできない。 (私、何してるんだろうなぁ……) そりゃあボスと比べたら私なんて下っ端の下っ端だけど、だからと言って暇なわけじゃない。 むしろ雑用を言いつけられることが多くて(主にボスから)定時でまともに帰ることができたのなんて数えるほどしかない。 今だって、今日中に仕上げなければいけない書類を放り出して駆けつけたんだ。正直なところ早く解放してもらって仕事に戻りたい。 「――ぼ、ボス……?」 「…何か?」 「えっと、その……そ、そろそろ持ち場に戻りたいんです、けど…」 意を決して、だけどボスの顔を見る勇気はなくて、前を向いたまま俯いて、控えめにお伺いを立ててみる。 そうすると、視界の端でボスの手が吸いかけだった煙草を灰皿に押し付けたのが見えた。 「――ワタクシに意見するとは、お前も随分えらくなったものですね」 するり。長い指先に、背後から顎を掬い上げられる。 煙草の匂いが染み付いた白い手袋を嵌めた手に導かれるまま後ろを振り向くと、間近にあったボスの瞳はスーパートレインのバトル前みたいにギラギラしてて思わず息を呑んだ。 しまった。そろそろ機嫌もなおってきた頃かと思ったのに、私は完全に読み間違えてしまったらしい。 余計なことを言ってしまったと早くも後悔するけど、一度口から出てしまった言葉は当然取り消すことなんてできない。 「ぅ あ、の……!急ぎの書類が、あって……!」 「なるほど。それで?」 「え、いや…だから……っ」 「その書類が、このワタクシよりも優先すべきことだと仰いますか」 「ッ……!」 もう…もう――なんなんだこの人は。 あんたそれでもここのボスか!そう怒鳴ることができたならどれほど良かったか。 だけど、典型的ジャパニーズな私はこんな恐ろしい上司に向かってそんなこと言える度胸なんかもちろん持ち合わせていないわけで、押し黙って視線を下へ逃がすだけでいっぱいいっぱい。 訪れた沈黙が物凄いプレッシャーを放っている。 それを崩したのはボスのため息だった。 「――よろしい。でしたら、交換条件といたしましょう」 その言葉に続いた言葉に、私は本気で耳を疑った。 「お前の処女をワタクシによこしなさい」
「――……はぁ!!?」 しょっ……な、え、えええ!? い、ぃ…今この人…この人なんて……!しょ、『処女』、って…言った……!?
そりゃもう上司相手に「はぁ!!?」も出てくる。 ビクリと身体を跳ねさせて叫んだ私に、目の前のボスはニタリと物騒な笑みを浮かべた。 「光栄に思いなさい。このワタクシが、お前を一人前の女性にしてやりましょう」 「ッ――結構、です!!全力で遠慮します!!」 何を…何をバカな事を言い出すんだこの人は! 怒りと羞恥で自分の顔にカッと熱が昇るのを感じて、咄嗟にボスの手を振り切って顔を逸らし、とにかくボスから逃れようと身を捩るけど、床に足がついてないこの状況では思うようにいかない。 加えてボスの腕は未だに私の身体に絡んだままで、むしろその力は逃がすものかとばかりに徐々に強められていた。 「遠慮深いのはお前の国のお家芸ですね。そんな習慣、処女と一緒に捨ててしまいなさい」 「〜〜っそうじゃ、なくて……!!」 「そもそも私、しょ、処女じゃ、ないんで……!!」 あんまりないい様に腹が立って、つい啖呵を切ってしまった。 その瞬間、上半身に衝撃が走って、一瞬息が詰まる。 「ッ!!?」 ガタンと響いた大きな物音。 思わず閉じてしまった目を開けると、目の前には書類の束と、さっきの灰皿。 ――机の上に、押し付けられている。 それを理解したのは、背中を更に強く押さえつけられて肺が押し潰されそうになった時だった。 「 ボ、」 「――冗談はよしなさい」 ヒクリと喉が鳴った。 だって、ボスの声が、恐い。 いやボスの声はいつも不機嫌そうで恐いけど、でも、そうじゃなくて。 多分、これは――本気で、怒って、る。 「………お前が、ワタクシ以外の男を、ココで、」 「ッッ!!」 「――咥え込んだ、と?」 『ココ』と、私の耳元で低く囁きながらボスの指が触れたのは、下着越しの割れ目で。 驚愕と恐怖に抗うことを忘れていた私のそこに、添えるように一本、指が押し付けられる。 ぴたりと閉じていたその場所を開かれた感覚に息を呑んで、咄嗟に脚を閉じようとしたけど、間に入っていたボスの膝に邪魔されてそれもできない。 (やっ…!どうし、よ……!) 恐い。ほんとに、恐い。 だって、処女じゃないなんて、嘘だ。 今まで他人にそんなところを触られたことなんてない。 散々セクハラまがいなことをしてきたボスにも、ここまでされたことなんて一度もなかった。 なのに、どうしよう。 どうしよう。 「ボ、ス……!」 そこに触れる指が、二本に増やされた。 それだけでただでさえ震える声が裏返ってしまう。 早く、さっきの言葉を訂正しなきゃいけないのに、それ以上声が出ない。 視界が、ぐにゃぐにゃに歪む。 「――ナマエ、」 「っ、……!」 ボスの生温かい吐息を纏った唇に耳を挟まれて、内側を辿るように舌が動く。 それと同時に二本の指に割れ目を更に開かれ、身体の奥から溢れた熱いものが下着に染みたのを感じた瞬間、声を失くした私の両目からも熱い涙がボロリと零れ落ちた。 「っ ぅ、……く…!」 「――……」 嗚咽を堪え切れなくて、しゃくりあげる拍子に肩と背中が跳ねる。 それにボスが気がつかないわけもなくて――いつの間にか、私の身体を押さえつけていた力はなくなり、下着に触れていた指も最後に内股を掠めただけで静かに離れていった。 「……生娘が、見栄を張るからこういうことになるのです」 さっきとは違う、いつもの呆れたようなボスの声。 クシャリと私の頭を撫でた手が、こちらを怯えさせまいとしているのか、妙に優しく私の身体を起こして、今度は向かい合わせの体勢でもう一度ボスの膝の上に降ろされる。 ああ、良かった。 いつものボスだ。もう、恐がらなくていい。 そう頭ではわかっているのに、身体はまだ強張ったまま、涙も止まらない。 マジ泣きしてる顔を見られるのが嫌で手で隠そうとすると、ボスの手がやんわりとそれを外して私の頬を包んだ。 その手つきが、普段からは考えられないくらいに優しくて、余計に泣きやめない。 「ぼ、すの、ばか…っこわ、 こわか、った……!」 「つまらない嘘をついた罰です」 「〜〜〜ど せ、わかって た、くせ、に!」 「ええ。当たり前でございます」 しれっと言うボスが本気で憎たらしくて、握り締めた拳でボスの胸を叩く。 普段の私ならありえない暴挙だけど、ボスは何も言わずに私の手を取り、握り締めていた掌を解くと自分の指と絡めてしまった。 「――しかし、そこまで泣かせるつもりはなかったのですが」 「!わるか、った…です、ね、ビビりで…!」 「フッ、いえ――では、お詫びの証に交換条件を良くしてやりましょうか」 頬を包んでいた手で涙に濡れた私の目尻をゆっくりとなぞり、すこしクリアになった視界の中で、ボスがまた笑う。 「お前の処女をワタクシによこしなさい。代わりに、ワタクシの『コレ』は今後、お前だけのものとしましょう」 『コレ』と、そう言ったボスは絡めていた私の手を、あろうことか自らの股間に導いてニヤリと口角を上げた。 不意打ちで触ってしまったソコが、スラックスの向こうで僅かに脈打つのを感じてしまって、再び顔に熱が昇る。 何を言われたのか理解できなくて、固まる私の額にボスの唇が音もなく落とされた。 「――どうです?悪い条件ではないでしょう?」 「っえ あ、ぅ……!」 そ、れって 私だけのものにするって、それって、つまり…… 「――!!!」 い、や…あるわけ、ない!ありえないそんなこと! だ、だってボスが…あの来るもの拒まず去るもの追わずのボスが、よりによって私なんかに、そんな……! (また、からかってるだけに、決まってる……!) そう、そうだ。 ボスのおふざけにこんなにドキドキする必要なんてない。動揺する必要なんてない。 考える必要なんてない、のに、 「いいお返事を、期待しておりますよ」 普段は絶対、私の返事なんか聞かずに好き勝手するくせに、今日に限ってボスがそんなことを言うから。 だから私はまたバカな想像をして、固まることしかできなかった。 (12.03.10)
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