ポケモン | ナノ


『――今日、シングルトレインに素敵なお客様がいらっしゃいました』

帰り道、珍しく自分からそんなことを言い出したノボリの顔を見て、なんとなくだけど、予感はしてた。
その子はきっと、ノボリの『特別』になるって。



「やぁ、ナマエちゃん。ダブルトレインは久しぶりだね」
「はい!負けませんよ、クダリさん!」
「そうこなくちゃ。それじゃ、はじめようか――!」

学校の制服を着た、普通の女の子。
追い詰められると冷静でいられない癖があるけど、バトルセンスは悪くない。
なによりこの子は負けず嫌いだ。きっと今に、どんどん強くなる。負けた悔しさを、勝利へのバネにできる子だから。
もしかしたらノボリも、そんな彼女の可能性に惹かれたのが始まりだったのかもしれない。

「――また強くなったね、ナマエちゃん」
「スーパートレインに向けて特訓中ですから!」

今回の戦い、僕の手持ちを知っているだけあって完璧に対策を練られていた。
それでも簡単には負けてあげなかったけど、ナマエちゃんも伊達に連勝してるわけじゃない。
褒められたことにはにかみながらも、にこにこ笑って戦ったポケモンを撫でてあげてる彼女の隣に腰を降ろして、嬉しそうな横顔を眺めた。

「……今日はこれからどうするの?シングルに行く?」
「あ、いえ。今日はこのまま帰ります。遅くなると心配かけちゃうし」
「ああ、こないだの…もしかして怒られた?」
「いいえ!ノボリさんが家まで送ってくれたので…!心配はされなかったですけど、『迷惑かけるな』とは言われちゃいました」
「いいんだよ、あれは。僕たちがムリに引き止めたんだから」

それにノボリは『ナマエ様のご自宅の所在地知ってしまいました!!』とか大興奮して喜んでたし(言わないでおいてあげるけど)

「……でも、そっか。じゃあ今日はノボリの愚痴聞かなきゃなぁ」
「愚痴ですか?」

きょとんとしてこっちを見るナマエちゃんににっこり笑ってみせる。

「ノボリはさ、ナマエちゃんがシングルトレインに乗らなくなってからずっとそわそわしてるんだよ。今週は会えるかな、会えないかなって」
「っ、え……わ、わたし、に?」
「うん。だからね、自分は会えなかったのに僕は会っちゃったなんて知ったら、きっとすごーく機嫌悪くなる!」

こんな風にね、と怒ったノボリのマネをして口をへの字にして思いっきり顔を顰めるとナマエちゃんが小さく噴出して笑った。
小さな肩を揺らして、「あはは」と笑う。――ああ、やっぱり、この子は笑った顔が可愛いなとふと思った。

「うそ!ノボリさん、そんな顔しないですよ!」
「するって。ほんとに、ノボリはきみのことになると別人なんだから」
「また、冗談ばっかり」

あ、ダメだほんとに信じてない。
クスクスとおかしそうに笑い続ける姿を見て、ほんのちょっとだけノボリが哀れに思えた。
まぁ、ナマエちゃんの前では紳士な態度を崩さないようにって言ったのは僕だし、あの暴走ぶりを知ってるのも僕だけだから、伝わってなくてもしかたがないけど――少しくらい報われてくれないと、普段あの相手をさせられる僕としても切ない。

「――ナマエちゃんはさ、ノボリに会えなくても全然平気?」

居住いを正して、真剣なトーンで、思い切って訊いてみた。
僕を見て、ナマエちゃんはまたきょとんと目を瞬かせる。
その視線を逸らさないまま、「平気?」と繰り返して訊ねると、絡んだ視線が解けた。

「私、時々すごく……ノボリさんに、会いたくなるときがあります」

「勝てなくて落ち込んでるときとか、特に」小さく付け加えられた言葉に心臓が騒ぐ。
これは――ねぇノボリ、脈有りなのかも、しれないよ。
今の、このナマエちゃんの表情、恥ずかしそうに伏せた視線に薄っすら赤いほっぺを見たら、きっとノボリは紳士の皮をかぶっていられなくなるだろう。それくらい、ドキドキする――恋してる女の子の、顔。

「恥ずかしいから、ノボリさんには内緒にしてほしいんですけど――私、ノボリさんの、こと」

――来るか。
ドクンと痛んだ心臓に目を細めて、次の言葉を待つ。
自然と握り締めていた掌の中で手袋が擦れた僅かな音。その音に、ハッとした。

(あ、れ ?)

今僕は、何を恐れて―― ?


「ノボリさんのこと、『お兄ちゃん』みたいだな、って」


「……え」

え。
ぽかん、としか表現できない顔で固まった僕に、ナマエちゃんが慌てて取り繕うように胸の高さまで上げた両手を振る。
ドクリドクリと重く脈打っていた心臓が、急に静かになった。

「ごめんなさいっ!クダリさんの前でこんなこと言うのもどうかと思うんですけど、だけど、ほら…!ノボリさんって絶対的に『お兄ちゃん』じゃないですか!優しくて、頼りになって、それに強くて、ご飯もおいしくて……!だから私…私、一人っ子だし、ノボリさんみたいな『お兄ちゃん』がいたらいいなぁって、憧れてて……!」

あわあわと急いで弁明を並べるナマエちゃんの言葉の途中で電車が止まり、自動ドアが開く。
そうすると、ナマエちゃんは一層慌てて「降りなきゃ!」と立ち上がり僕を振り向いた、

「それじゃあクダリさん、また、」


「――待って」


その手を、思わず掴んでしまった。

「ぼ、僕も今から、ちょうど休憩だから!」









(何やってるんだろう……)

ナマエちゃんと並んで、ギアステーションを歩く。
外まで送るよとしどろもどろに言えばナマエちゃんは一瞬不思議そうな顔をして、けれど断られはしなかった。
たったそれだけのことに心底ほっとしている自分がいる。
並んで歩けば僕よりかなり下にある小さな頭が視界の端で揺れて、チラリと盗み見た横顔はどこか落ち着かないように、瞳だけキョロキョロさせてギアステーションを見渡していた。

(誰か――いや、ノボリを探してる、のか)

ツキン。まただ。胸が、痛む。そんな自分に呆れないはずがない。

(いや、確かに可愛いとは思う。思う、けど――この子は、ノボリの)


「ナマエ様ッ!!」


地下鉄内に木霊しそうなほど大きな声がナマエちゃんを呼び止めて、僕とナマエちゃんの肩が殆ど同じタイミングでビクリと跳ねる。
――だけど、次に浮かんだ表情は二人真逆だった。

「ノボリさんっ!」

ぱぁ、と喜色を隠し切れずに、少し上擦った声でノボリを呼んだナマエちゃんが振り向いて、呼ばれた方へ――人波の向こうにいるノボリに向かってタッと駆け出す(ていうかノボリ、この距離でよく見つけられたね)
対して僕は、鉛のように重い身体をゆっくりと動かして二人を振り向き、帽子のツバをそっと引き下げた。

「――参ったなぁ」


これは、とてつもなくベタで、それでいて厄介なことになったかもしれない。




(11.11.06)