「ノボリー、ライブキャスター鳴ってるよー」 「!!い、今出ますッ!!」 タオルで拭いていた髪を急いで手櫛で整え、慌しく脱衣所を出たノボリはテーブルに置いておいたライブキャスターの元へ走った。 向かいのソファでデンチュラを抱えたクダリが面白そうにその様子を眺めているが、それさえも目に入らないほど気持ちをはやらせ、緊張で僅かに震える指で通信ボタンを押す。 黒い画面がパッと明るくなり、その中に見知った少女の顔が映し出された。 『――こっ、こんばんは!ナマエです!』 「ッ…こんばんは。お待ちしておりました、ナマエ様」 (部屋着!!ナマエ様の部屋着姿…!!あああ録画しておきたい!!) もんどり打ちたい衝動を堪え、表面上では平静を装いながら普段の制服姿とは違うナマエの姿を凝視する。 そうすると、画面の向こうの少女は僅かに顔を赤らめて照れ隠しのように小さく笑った。 『すみません、なんだか緊張してます。帽子とコート着てないノボリさんを見るの、初めてです』 「え?ああ、そうですね……おかしいですか?」 『いいえ!ちょっと見慣れなくて違和感あるけど…でも、そっちのが親しみやすい、かも…です』 「ッ!!さ、左様でございます、か…!」 【ノボリ、顔、顔!】 どこからかスケッチブックを取り出してきたクダリに筆談で指摘され、慌てて緩みかけていた表情を引き締める。 ドクドクと痛いほどに高鳴っている心臓を密かに掌で押さえながら、ノボリはどうにかいつも通りの自分を演じることに集中した。 「…昼間の件ですが、ナマエ様のご予定も確認しないまま突然あの様なことを申し上げてしまい、大変失礼致しました」 『へっ?い、いえ!私は全然平気です!明日も別に、特別用事があったわけじゃないですし……と言うか、私の方が申し訳ないです。折角のお休みなのに、私なんかに使っちゃって良いんですか?』 「それは問題ございません!むしろそれ以上に有意義な休日の過ごし方などございません!!」 【おちつけ】 思わず勢いづいて前のめりになったノボリをすかさずクダリがたしなめる。 ハッと我に返ればナマエも少々驚いたのか、大きな瞳をパチパチと瞬かせて固まっていた。 しまったと冷や汗をかきつつ内心で猛省し、一度コホンと咳払いをして話を戻す。 「――そ、それで、明日の件ですがどういたしましょう?どこかで待ち合わせをして…」 『?、ギアステーションじゃダメなんですか?』 「ダメではございませんが、さすがに職場では目立ってしまいますので…」 サブウェイマスターのことはバトルサブウェイを訪れる誰もが知っている。有名人だと言っても過言ではない。 事情を説明するとナマエは納得したように頷いて、うぅんと小さく唸りながら眉を寄せた。 (ちょっ、なんですかそのお顔!!可愛い!!ブラボーでございますナマエ様!!) 【ノボリ、顔!内心ダダもれ!】 「(ハッ!)ど、どこか行きたい所がございましたらお付き合いいたしますが?」 『えっと……すみません、思いつかないです』 「そうですか、でしたら――」 「だったらうちに来なよ」 とりあえず近所の喫茶店にでも誘おうかと思ったところで急に肩を押され、クダリが割り込んできた。 「!!クダ、もが!」 『あれ、クダリさん?』 「こんばんはー。久しぶりだね、ナマエちゃん」 突然の乱入に抗議しようとしたノボリの口を片手で塞ぎ、もう片手でひらひらと手を振るクダリがニッコリと笑う。 彼はそのまま殆ど口を動かさず、ノボリにだけ聞こえるような小さな声で『良いから任せて』と呟いた。 「大丈夫。うち広いし、ノボリがいつも綺麗にしてるし」 『え……で、でも…』 「それに、ここなら時間も周りの目も気にしなくていいしね」 『周りの目』という言葉にピンと来たのか、渋り顔だったナマエの表情が変わる。 その好機を逃さず、クダリはモガモガと何か言いたげなノボリを押さえ込んだまま笑顔で話をまとめにかかった。 「じゃあ決定!13時にライモンシティ駅までノボリを迎えに行かせるから。OK?」 『そ、それじゃあ…ご迷惑でなければ、』 「もちろん!ノボリ楽しみにしてるから、思いっきりオシャレしてきてね!おやすみー!」 プツッとクダリがボタンを押したライブキャスターの画面が再び黒く染まる。 一瞬静まり返った室内で、ようやくノボリの口を塞ぐ手を離した瞬間、顔を真っ赤にしたノボリが勢いよくクダリのシャツの襟首を捕まえ、激しい剣幕で捲くし立てた。 「勝手に何をするのですッ!!この愚弟!!ナマエ様に『おやすみなさい』を言い損ねたではありませんか……!!」 「え、涙目でまずそこなんだ」 「うッ…!」 「いやごめん。ごめん僕が悪かったからお願いだから僕と同じ顔で泣かないで!」 怒り心頭を通り越してもはや泣きそうな兄をどうにか宥めすかしつつ、クダリは改めて思った。ダメだコイツ、早くなんとかしないと。 「ほら、これでナマエちゃんの番号もゲットできたんだしさ!それに明日はうちに来るんだよ?」 「ハッ!そ、そうです…!あなた何を考えているのですか!う、うら若い年頃の女性を男の部屋に呼ぶだなんて……!!」 「えぇ?もしかしてノボリったらヤラシイことでも考えてるの?うわ、やだぁ!エローイ!ノボリのエロスー!」 「そッッ…!!そんなことありま……すん」 「どっちなの」 いい年したいい大人が顔を真っ赤にして、全く持って恥ずかしい兄だ。 だが、これでお膳立ては整った。後はなるようになるだけ。 明日一日全トレインを駆けずり回る代わりに、自分は高みの見物をさせてもらおう。 「――ねぇ、明日に備えてもう一回シャワー浴びときなよ。何が起こるかわかんないしさ」 「??!な゛ッ…ゃ、そ、そうですね!ちょっと湯冷めしてしまいましたので、もう一度温まってくることにいたします!」 明らかに不健全な想像をしましたとばかりに赤面した顔を隠し、ノボリがそそくさと再び脱衣室に向かう。 行ってらっしゃいとその後姿を見送って、クダリはニッコリ微笑んだ。 (リビングにキッチン――ああ、念のために寝室にもつけとこうかな) 「こんな面白いイベント、見逃すわけにはいかないよね!」 イソイソと楽しげに部屋のいたる所に小型のマイクやらカメラを仕掛けるクダリに笑いかけられたデンチュラは、大きな複眼で不思議そうに彼を見つめ返した。 (11.10.28)
|