「ナマエ、今日どこで寝る?」 「――あ」 そうか。寝る場所。 クダリさんと入れ替わりにノボリさんがシャワーに行ってる間、せめてこれ位はと思って夕食で使った食器を洗っている最中に後ろからにょきっと覗き込んできたクダリさんにそう訊ねられて手が止まった。 「あー、えと……ソファ、お借りしても良いですか?」 広いマンションだけど、さすがにゲストルームとか予備のベッドなんてものまではないだろう。 となるとやっぱりリビングのソファだ。やわらかいし、デカいし。俺一人寝るならなんの問題もないだろう。 そう思ってチラリとクダリさんを振り向くと、あからさまに「えっ」って顔してた。 「ダメダメ!ベッドで寝なきゃ!身体に悪いよ!」 「平気ですよ。俺結構どこでも熟睡できるタイプなんで」 「ダメったらダメ!ベッド!」 「いやほんとに大丈夫ですって」 「ダーメー!」 『ダーメー!』ってあんた、子供か。後から肩を掴まれてグラグラ揺すられながら洗い物再開。ノボリさんが戻ってくる前には済ませてしまいたい。 「ナマエ、今女の子!女の子をソファに寝かせるとかムリ!」 「〜〜〜だからっ!中身は男なんですから気にしな」 「そっか!」 「?!」 グイ。纏わりついてたクダリさんの手に急に顎を掴まれて強引に振り向かされる(痛ぇ!) 思わず息を呑んでしまうほど近くにあったその銀の目が得たりとばかりにキラキラ輝いていることに今更ながら気がついて、俺は直感的に自分の失態を悟った。 「中身は男の子なんだから、一緒に寝ても平気だよね!」 「――え゛」 「そうと決まれば全速前進!目指すは僕の部屋!」 「??!ちょっ、ちょっ!ちょっと!!」 俺の逃走を防ぐようにガッチリホールドして、クダリさんは俺の手から洗い終えたばかりの最後の一枚の皿をひょいと奪い取って乾燥機にしまうとズンズン歩き出した。行き先は多分、言葉通りクダリさんの部屋なんだろう。 咄嗟に思い切り踏ん張ってその場に留まろうとしたけど、力は圧倒的にクダリさんの方が強い。 フローリングの床で足が滑って、ズリズリ引き摺られていく(止ま、れ…ない!) 「クダリさん!俺ソファで寝ますから!!」 「ダーメ!男同士なんだし、一緒に寝ようよ!」 「いいいいやでもそういうわけには…!だって俺!」 「『中身は男なんだから気にするな』って、さっきのナマエのセリフ!」 「ぐぅ……!」 「それにナマエ、どこでも熟睡できるタイプなんでしょ?だったら問題ないよね!」 完っ全に揚げ足を取られた。 なんなんだこの人無邪気にみせかけて頭脳犯か!策士なのか!ほんと油断ならないな! (だからこそクダリさんと一緒っていうのは……!) いや、わかってる。悪い人じゃないってことはわかってる。 だけど僅か半日の間に胸揉まれたりパンツ見られたり乳首云々言われたら誰だって警戒するだろ! ほんともうこの人一切悪びれた様子なくそういうことするから恐い!面白がってちょっかいかけられてる内になんか大事なものまでしれっと持ってかれた挙句「ごめんねテヘペロ★」とかで済まされそうで恐い! 「ほっ、ほんとに勘弁してください無理ですって!お、俺寝相悪いしっ!」 「平気平気!僕これでも頑丈!」 「そういうことじゃないんですってば、ッや!ほ、本気で!!」 必死に粘ったけどもうリビングのドアがすぐそこに迫っていて、背中に冷や汗が滲んだ。 (あああああマジ!マジでかほんと頼みます神様!!と、父さん!母さん!) (ノボリさん――!!!) 心の中で、咄嗟にノボリさんの名前を呼んだ。 本当にその次の瞬間、クダリさんが手をかけようとしていたリビングのドアが急に外側から勢いよく開かれて、 バンッ!! 「へぶッ!!」 顔面にドアの直撃を受けたクダリさんから結構な衝突音と面白い奇声が上がった(う、わ) 「――クダリ……あなた何をしているのですか」 「「!!!」」 ゆらり。開かれたドアから現れたノボリさんが、なんか恐い。 物凄い蔑んだ目で蹲るクダリさんを見下ろしながら言ったその声は地の底から響いてきたように低く、クダリさんだけじゃなく俺の身体まで一緒に強張って、クダリさんのホールドから解放された身体は無意識に一歩下がっていた。 それを見たノボリさんの眉尻が、小さく跳ねる。 「……ナマエ様」 「!!ひゃ、い!(噛んだ!)」 「…そこの愚弟に何かされましたか」 「ぃ、いえ…っあの、そうじゃ、」 『そういうわけじゃなくて』 なんだかひどく怒っているようなノボリさんに事情を説明しようと発した言葉が途切れる。 俺の手を掴んだノボリさんの手が、湯上りのせいなのか妙に、熱くて。 クダリさんから庇うように俺の前に立った背中が、大きくて、男らしくて――不覚にも、胸が鳴った。 「ノボリ!違う!ナマエがソファで寝るって言うから、一緒にベッドで寝ようと思っただけ!」 「一緒に――?」 「そう!ナマエと一緒に寝たらきっと楽しい!」 (楽しいのはクダリさんだけだ……!) と言う内心を視線に込めて、ノボリさんの背中の影からジト目でクダリさんを見ていると、ふとノボリさんの視線が俺に向けられていることに気がついた。 「――ナマエ様、確かにクダリの言い分も一理あります」 「 へ?」 「内面は別とは言え、女性の身体。そんなあなた様をソファで寝かせるとなると我々の胸も痛みます」 「!!え、や、そんな!本当にお気遣いなく!!」 こっちとしては雨風を凌げるところで寝ることができるってだけで十分すぎるくらいだ。 これ以上迷惑をかけたくないし、気を遣わせたくもない。 ていうかあのソファならベッドとして代用したってなんの遜色もないだろうに。 「そういうわけには参りません。ナマエ様、どうぞ今夜はわたくしの部屋においでくださいまし」 「ッえぇ?!」 なんでそういう話になった! や、確かにクダリさんと一緒に寝るよりは断然安心できるけどでも!俺本当にソファでいいんで! 「ッノボリさ、」 「ソファで寝たとしても、確実に愚弟がちょっかいをかけに来ます。でしたらわたくしの部屋にいた方がよろしいのでは?」 「〜〜〜〜っ」 「ね?」 『ね?』 と、やわらかい調子で首を傾げたノボリさんが、心なしか微笑ってるように見えるのは気のせいだろうか。 それでも、確かにノボリさんの言う通り、粘ってソファで寝れたとしてもこの調子だと確実にクダリさんがちょっかいかけにくるだろう。それは勘弁してもらいたい。
――そんなわけで、ギャンギャン文句を言っているクダリさんをBGMに、俺はノボリさんの言葉に小さく頷くしかなかった。 ・ ・ ・ (ベッドでけぇー……) 金持ちってすごいな。俺のベッドの2倍はあるんじゃないだろうか。 スッキリと片付けられた広い部屋の奥にあるベッドを前に感嘆の息をつくしかない俺の背後で、カチャリと鍵の音がした(――ん?) 「え…鍵……?」 「ええ。クダリが忍び込んでくるとも限りませんので」 「(マジで容赦ないな…)」 仲が悪いってわけじゃないんだろうけど、なんか。過剰に守られてる感が。 中身が男なままなだけに複雑だ。そう思いながら突っ立っているとノボリさんにベッドに入るように促されて、おずおず片足を乗り上げてみた(う、おお…!沈む!やわらかい!!) 「今日は色々とあってお疲れでしょう。ゆっくりとお休みください」 「 ぇ…?あの、」 「何か?」 ベッドの中に入った俺にふわりと上掛けをかけて、ノボリさんが軽く首を傾げる。いや、傾げたいのは俺です。 「ノボリさんは、まだ寝ないんですか…?」 「――ああ、大丈夫ですよ。わたくしは床で寝ます」 「っえええ?!」 なんで!家主差し置いてベッドで寝るとかできるわけないだろ!! 「いやいやいや!だったら俺が床で寝るんでノボリさんベッド使ってくださいよ!」 「それは致しかねます。不本意でしょうが、あなた様の身体は女性のものなのですよ。冷やしたり痛めたりしてはなりません」 「ッだったら!」 「い、一緒に寝ればいいじゃないですか……!!」 あ れ? 「――ッッそれは…!」 の、ノボリさん、そこで赤くなるの止めましょうよ俺までなんか恥ずかしい! ていうか俺もほんと何言ってんだクダリさんに言われた時は自分が拒否したくせに…! (いやでもノボリさんは別にクダリさんみたいなセクハラしてこないし当然だけど俺に対して下心なんて微塵も持ってないだろうしそもそも俺男だし!!ノボリさん差し置いて一人でベッドに寝るとかやっぱありえないしうん…!だ、だったら、そうするしか、ないだろ……!!) 「ほ、ら…!ノボリさん、湯冷めしちゃいますよ!」 「いっ、いえですが…!ナマエ様がお嫌では、ッ」 「大丈夫ですから!!」 もうこうなったらヤケだとばかりにノボリさんの手を引いてベッドに引っ張り込んで、バサッと布団を被って寝返りを打つ。 そうすると、静かになった部屋の中で時計の音だけが響いて――少しの間の後、ノボリさんがごそごそと布団に潜ったのがベッドの振動で伝わってきて、心臓が飛び跳ねた。 「――おやすみなさいまし、ナマエ様」 「っ……お、やすみ、なさい…!」 少し冷たかったシーツの中が、二人分の体温でじんわり温められていく。 いつまでも頬が火照ってなかなか寝つけなかったのはきっと、久しぶりに誰かと一緒に寝ることに緊張していたから。 ……それだけに、決まってる。 (12.01.22)
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