ポケモン | ナノ


「っ……」

まどろみに沈んだ意識が浮上して閉じていた瞼をゆっくりと押し上げる。
白い灯りが目を刺して、眩しさに少しだけ怯んだ。

(ど、こ……?)

家の、いつものベッドじゃない。枕の感触も布団の匂いも違う。
眠ってしまう前、自分が何をしていたのかすぐには思い出すことができなくて、とりあえず寝返りをうとうとした途端、全身にズキリと走った衝撃。

「ッ――!!」

ビックリして、息を呑んだ身体の――腕の先。
私の掌をぎゅっと握り締めていたその人も弾かれたように顔を上げて、灰色の目を見開いた。

( 、あ)

すぐに、わかる。わかってしまう。
いつもの帽子も、コートもないけど、ノボリさん、だ。

ノボリさんだ。


「ナマエ、様……ッッ!!」


見開かれた瞳に涙の膜が張る。眉間には、まだ皺の跡。
掌に込められた力が一段と強くなって、少し痛いくらいだった。
そんな彼の反応に生まれた疑問が、意識を失う前の記憶を連鎖的に呼び起こす。

(そう だ、私――!)

プラズマ団の襲撃を受けたギアステーション。
泣き叫ぶ子供と、倒れた私のジャローダ。
私を庇おうとしたイーブイを、死なせたくなくて――

「イーブイ――ッ、う!!」
「まだ起き上がっては…!」

全部思い出して、布団を跳ね退けながら身体を起こした私を再び激痛が襲う。
そうすると、ノボリさんが慌てて私の背を支えながら、ゆっくりと息を吐き出した。

「イーブイでしたら、そこに――他のポケモンも、既に手当ては終わっております」
「、ぁ……っ」

言われてノボリさんが指差す方を見れば、私の腰の当たりで丸くなって眠るイーブイと、三つのモンスターボール。

よかった。
イーブイ、怪我してない。
他の子も、プラズマ団に連れて行かれてない。
震える手でイーブイを抱き上げて、変わらないあたたかさを腕に感じた瞬間、込み上げてきた涙で視界が歪んだ。

「そのイーブイが、わたくしを呼びに来てくださったのです」
「この子、が……?」
「えぇ――ですが、瓦礫の中でナマエ様を見つけた時は、本当に、生きた心地がいたしませんでした」

一言一言、ノボリさんがゆっくりと話すのは、声が震えるのを抑えようとしているから、だろうか。
もう一度私の両手を握り締めた手は隠しようもなく震えて、まるで祈るように額に導かれる。
その様子に、ノボリさんが本気で私のことを心配してくれたんだって――痛いくらいに伝わってきて、苦しくなった。

「プラズマ団、は……?」
「ご心配には及びません。運よく居合わせたカミツレ様にもご協力頂き、全て制圧いたしました」
「ッッ!!」

カミツレさん

その名前に、心臓がぎゅっと握り締められたように、さっきとは違う苦しみが押し寄せる。
視線は自然と、ノボリさんを避けて白いシーツに縫いつけられた。

「カミ ツ、レさん…は……?」
「?、ご自分のジムの方も心配だと、今はそちらに戻られましたが?」
「……っ」

なんでそんなことを訊くのか。
そう言いたげなノボリさんの顔を、やっぱり、見れない。
腕を引いて、ノボリさんの手から逃れて、代わりに握り締めたシーツは冷たかった。

「い、行かなくて……いいんですか……?」
「……既にライモンシティにはジュンサー様達が厳重な警備をしいております。それに、カミツレ様ほどの腕をお持ちなら、わたくし共の助けなど不要でございましょう」
「ッ――!!」

カミツレさんは、強い。
ジムリーダーなんだから、その実力は保証されている。
ノボリさんも、カミツレさんのことを認めてるんだ。
カミツレさんなら大丈夫だって。

それに比べて、私は――


「 い、って、ください……!」
「、ナマエ様…?」
「私なら、もう大丈夫だからっ…一人で、平気ですから……!カミツレさんの、ところに、!」


私は、結局何もできなかった。
プラズマ団にも勝てず、手持ちの子を傷つけられて。
イーブイを守りきることもできなくて。
弱くて、無力で、何の役にも立てない。

(も、やだ…っ)

泣きたい。

「――いくらナマエ様のお願いでも、それは聞けません」

大声で泣きたいの。
一人にしてほしいの。
お願いだから、これ以上惨めな私を見ないで。

そう思うのに、ノボリさんは私の傍を離れようとしないどころか、優しく――だけど強く、私の肩を掴んで顔を上げさせようとする。
それが今は、ただ辛い。

「ど、して……っ!」
「ッ――お慕いしている女性を、心配するのは当然でございます!!」

ビクリ、ノボリさんの怒った声に、肩が跳ねるのと同時に遂に涙が決壊した。
ボロボロと堰を切ったように溢れ出すそれが喉を塞いで、息が苦しい。
胸が痛い。痛い。
押し殺してきたほんとの気持ちをもう、抑えきることができなかった。


「ノボリさんはっ!私のこと勘違いしてる、だけですっっ!!」


ノボリさんが、私を評価してくれるとしたらそれは――負けても負けてもバトルサブウェイに挑戦し続けた、その一点しかない。
だけどその打たれ強さも負けん気も、『本物』なんかじゃない。

「私、ほんとは……っほんとはずっと、負けるのが恐かった!負け続けるのが辛くてしかたなかった!!『もう諦めよう』って、何回も、何回も…っ、負けるたびにずっと、そう思ってた!!」

本当の私は打たれ弱くて、諦め癖があって、いつもいつも自己嫌悪ばかりで――それなのに、戦い続けたのは、

「――だけどっ…ノボリさん、が…!あの日ノボリさんが、言ったから……!!」


『――わたくしはそれが、残念でなりません』


「っ ここで、諦めたら……ノボリさんに、失望されるって…!私も他の人たちと同じなんだって、思われるのが嫌で――恐くて……!だか、ら……っ」

挑戦し続けた。
辛くても、諦めてしまいたくても、ノボリさんに嫌われたくなかったから。
私が最終車両にたどり着くたびに、ノボリさんが嬉しそうに微笑ってくれたから。
私はきっと、いつの間にかそのためだけに強くなろうとしていた。

いつかノボリさんに認めてもらえるくらい、強い女の子になりたかった。

――でも、やっぱりダメだ。
私はなにも、変わることなんてできなかった。

「プラズマ団を、見た、ときだって……っ、逃げようと、思った…!足が、震えて……でもっ、戦わなきゃ、ポケモン、連れてかれちゃう、から……!」

だから、戦うしかなかった。
私が率先して、勇敢に立ち向かったわけじゃない。
そうするしかなかったから、かっこ悪く震えながら、悪あがきをしただけ。

それが『本当』の私。
無力で臆病な、惨めな正体。

ずっと、ノボリさんにそれを知られるのが、何よりも恐かった。


「――確かにわたくしは、あなた様を少し、勘違いしていたようです」
「ッ !」

興奮状態の私の告白を黙って聞いていたノボリさんの声が、静まり返った室内に響いた。
ただそれだけで、また大粒の涙が零れ落ちる。

(もう、ダメだ…ッ)

全部言ってしまった。
隠し続けたこと、私の口から、全部告げてしまった。

だからこれで、終わったんだ。

私と、ノボリさんの関係が――



「――失礼、いたします」

「 、ぇ 」


ふわり。
ぬくもりに包まれて――何が起こったのか、わからなかった。
胸がトンと、優しくぶつかって、頬に感じたのは自分以外の体温。
背中に回ったそれが、怪我を労わるように、包み込むように私の身体を抱く。
視界の端には、撫でつけられた綺麗な、銀髪。


「ナマエ様」


囁いたノボリさんの吐息が首筋に触れる。
その時になってやっと、私はノボリさんに抱きしめられているのだということに気がついた。


「――あなた様は、わたくしが思うよりもずっと、臆病で、勇敢な方だったのですね」

「っ、な…」


何を、言っているんだろう。
今、言ったばかりじゃない、ですか。
私は、わたし、は


「負けないことだけが、『強さ』ではございません。むしろわたくしは、負ける事の悔しさを――恐ろしさを、理解してなお戦い続けることこそが、本当の『強さ』ではないかと、そう思います」
「ッ……!!で、っも……!」

どうして
どうして、そんな優しいことを、言ってくれるの。
私は、負けたのに。
自分の手で何一つ、守れなかったのに。

「勝ち目がないとわかっていても、か弱きものを守るべく戦い、身を挺して大切なものを守ろうとしたナマエ様を――誰が『弱い』などと言えましょうか」

「っ、……ぅ」



「――よく、頑張りましたね」



「〜〜〜っう、ぁ、あ…っ!」

ダメ押しみたいにノボリさんの大きな掌が、ポンポンと、優しく頭を撫でて、私はもう、小さな子供みたいに声を上げて、ノボリさんの背中にしがみついて泣きじゃくった。

恐かった。
痛かった。
辛かった。
悲しかった。

その一つ一つをノボリさんが受け止めて、昇華してくれる。
いつの間にか、あたたかい海の底みたいな、途方もない安心感に包まれてる。
それが、嬉しくて、愛しくて、なによりも愛しくて。
零れた涙でヒヤリと冷たく湿ったノボリさんのシャツに頬を寄せたまま、私はその日、泣きつかれて眠ってしまうまで、ずっとずっとノボリさんに抱きしめてもらっていた。





(11.12.20)