(ふ、二人きり、とか……!) 二人乗り観覧車の、ゴンドラ。 憎らしいくらいにゆっくりと空を目指すその中はまるで世界から切り離されたようにただ静かで、身じろぎ一つするのさえ躊躇ってしまう。 このままだと沈黙に肺が押し潰されてしまいそうな気さえして、私はさっきノボリさんに掴まれた腕を服の上からそっと押さえながら、思い切って閉ざしていた口を開いた。 「く、クダリさん、ほんとに帰っちゃうみたいですよ?」 「えぇ。そうですね」 「……良いんですか?」 「あれも子供ではありませんから。クダリが決めたのなら、わたくしは止めません」 言葉だけ聞けば突き放すような、少し寂しい印象を受ける。 だけど、窓ガラスの向こうで小さくなっていくクダリさんの姿を見つめるノボリさんの瞳は、まるでなにか吹っ切れたかのような穏やかささえあった。 (あ……『お兄ちゃん』の、顔だ……) やっぱり、ノボリさんは『お兄ちゃん』なんだなぁ。 そう思った時、窓の外に向けられていたノボリさんの視線が、急にこちらに切り替えられた。 それがまた、痛いくらいにまっすぐ私の目を捉えるものだから、自然と肩に力が入って背筋が伸びる(な、に…?) 「――気になりますか?」 「っ、へ…?」 「クダリの、ことが」 何を、言い出すんだろう。 そんな、真剣な、顔で。 心臓がドクンと重く脈打って、思わず視線を逸らしてしまう。 それでもまだノボリさんが私をじっと見つめているから、自分の頬がじわりと熱を持ったのがわかり、慌てて言葉を探す。 さっきジュースを買ってきたばっかりなのに、もう喉が渇いていた。 「あ、ぇっと…!その、クダリさん…今日はちょっと、元気ないみたい、だったので……」 「……よく見ていらっしゃるのですね」 「っそんな、ことは……」 なんで、だろう。 ノボリさん、怒ってる、の? 声が、いつもよりも低くて、感情を抑えているような……。 それに心なしか、私を見る目がさっきまでよりも鋭い気がして、尚更恐い。 わ、私なにか…怒らせるようなこと、言った…? 「ナマエ様」 「は、い!」 ぐるぐる考えていると不意に名前を呼ばれて、今度こそ隠しようもなく肩が飛び跳ねた(それに声も裏返ってた) だけどノボリさんはそんなこと眼中にないみたいに、一呼吸置いてからゆっくりと続ける。 「失礼ながら、お訊ねします。ナマエ様は、クダリのことをどう思っていらっしゃいますか?」 「ど、う…って…?」 「単刀直入に言わせて頂きますと、『好き』か、『嫌い』か」 もしかして、これは――これは、あれなのだろうか。 ノボリさんは、私がクダリさんのことを異性として好きなのかどうかを確認したいのだろうか。 兄として、弟のことを心配しているのだろうか。 (それって――……) なんで、かな。 今一瞬、すごく、苦しかった。 「――もちろん、『好き』です。でも、だけどそれはそういうのじゃなくて、」 「では、わたくしのことは?」 「っ、え?」 私の言葉が終わる前に重ねて問いかけられた同じ質問に、今度こそ言葉が詰まる。 「え、ぁ…の……!」
ノボリさん、は バトルサブウェイの、サブウェイマスターで、私の目標で、憧れで、クダリさんのお兄さん。 いつも口をへの字にして、無表情だけど、無感情じゃない、不思議な人。 たまに見せてくれる微笑みが、ドキッとするくらい綺麗な――やさしい、ひと。 (ノボリさんのこと、『好き』か、『嫌い』か……) そんなの、考えなくてもわかる。 『好き』に決まってる。 『嫌い』なわけがない。 そうじゃなければ、ノボリさんからの連絡を待ったあの一週間が、あんなにも辛かったはずがないんだから。 「わ、たし……っ」 そう、答えは簡単。 ――簡単、なのに。 どうして、言葉が喉の奥で絡まって、声が出ない。 なんで なんで なんで たった一言が、言えないの。 それがこんなに、苦しいの。 「――ナマエ様、わたくしは」 「ッッ――!!」 だ め 「のっ、ノボリさん、あの!っ、あの、わたし、そろそろイーブイを進化させようって、思ってて、それで…!」 言わないで。 その先を、聞きたくない。 確信なんてない。 勿論私に予知能力があるわけでもない。 だけど、なんとなく、わかる。 昨日の夜、ノボリさんの唇が触れた頬が、焼けるように熱い。 叫んで暴れる心臓を服の上から押さえて、懸命にノボリさんの声を掻き消そうとその場しのぎに飛び出した言葉をどうにか繋げていく。 ――だけど、そんな悪あがきが通用するはずはなかった。 「ナマエ様」 ここは観覧車の、ゴンドラの中。 世界から切り離されたこの空間に逃げ場なんてない。 ノボリさんの手が優しく――強く、私の肩を包んで、もう一度名前を呼ばれる。 それだけなのに、ひくりと喉が震えて涙が浮かび上がった。 「回りくどい言い方をして申し訳ございませんでした。ですが、わたくしが今日あなた様に伝えたいことは、ただ一つでございます」 「っ……!」 いわないで 「愛しております、ナマエ様。あなたを、他の誰よりも」 肩を包んでいた手が、いつの間にか昨日と同じように、優しく頬に添えられる。 滲んだ視界の中でノボリさんの顔が歪む。 ――それを見ていられなくなって、力なく首を振りながら、顔を伏せた。 「ご め、んな……さぃ……っ」 ゴンドラは頂上を過ぎて、後は緩やかに下っていくだけ。 せめて涙だけは零さないようにとスカートの上で掌を握り締めて、沈黙の中、切り離された二人だけの空間が、再び地上に溶けて消える瞬間をひたすらに祈った。
(11.12.06)
|