あのこは とっても すてきなこ やさしくて、あったかくて、いいにおい えがおが すっごくかわいくて あたまを なでられると、むねがぽかぽかする
いつか おやまに あのこをつれてかえって だいすきなノボリと、だいすきなあのこ、それから ぼく さんにんで ずっとずっと いっしょにくらすの
そしたらどんなに すてきなことか!
「うわぁ……!」
長く続いた雨があがったある日の朝、子狐のクダリは一面のお花畑に辿りつきました。 気まぐれに追いかけていた白い蝶々がひらひらと舞って、仲間と一緒に踊りだす。 やわらかな陽射しに照らされた色とりどりの花が風に揺られ、ふわりと甘い香りがクダリの小さな鼻をくすぐりました。
「すごい!すっごい!こんなの、はじめてみた!」
身体の奥がうずうずしてきて、クダリは跳ねながらお花畑に飛び込みました。 足の裏にひんやりと濡れた若葉の感触。揺れる花弁同士が触れ合った時のさわさわと軽やかな音。 ご機嫌なクダリにはすべてが新鮮で、とても気に入りました。
「そうだっ!ノボリにもおしえてあげなきゃっ!」
ごろごろとひとしきり寝転がって遊んだあと、お花だらけになったクダリはぴょこんと起き上がって目を輝かせました。 ノボリは、クダリの大切な双子のお兄ちゃん狐です。 もちろん、二匹の間に秘密なんてありません。
こんな素敵な場所を見つけたのだから、早く教えてあげたい。 大好きなノボリと一緒なら、きっともっと楽しくなる。
「……あっ!」
そう思った時、クダリの視界の端で小さな花が一つ、静かに揺れました。
お椀型にふんわりと広がった花弁は先にいくほどほんのり薄桃色に染まり、中心は、まるで明かりを灯したように淡い黄色に色づいています。 その儚げで可憐な花が風に揺れるのを見ていると、クダリの頭に一人の女の子が思い浮かびました。
(……このおはな……ナマエににてる……)
「――いいことおもいついたっ!」
大きな狐の耳をぴこんと尖らせ、クダリは立ち上がるのと同時に人間の姿に化けました。 きゅっと閉じていた目を開けて、五本の指になった掌で頭を撫で、お尻をパンパンと叩く。 変化は大成功。耳も尻尾も上手に隠せて、これでクダリは、どこからどうみても可愛らしい人間の男の子です。
『わぁ、ありがとう!クダリ君!』
「……えへっ!」
大好きな大好きなあの子の笑顔を想像して、クダリはくふふと肩を揺らしました。
* * *
こんこんこん。握りしめた掌で木製のドアを叩き、クダリは中に向かって声をかけました。
「ナマエ!ぼくだよ、あけて!あけて!」
はやる気持ちを抑えきれず、クダリはもう一度ノックしようと腕を振りかぶりました。 けれどその前に扉に向かう聞きなれた足音が聴こえてきて、ぱっと笑顔になったクダリは左手に持っていたものを素早く背中に隠し、ドキドキしながら扉が開くのを待ちました。
「――こんにちは、クダリ君。あれ?今日はひとりなの?」 「こんにちはっ、ナマエ!そうだよ、きょうは、ぼくひとりできたのっ!」
扉の向こうから現れた女の子に得意げに言って、うふふと堪えきれないような小さな笑みをこぼす。 そんなクダリの様子が、なにか悪戯を企んでいる子供のそれとよく似ていることに気が付いて、ナマエと呼ばれた女の子は膝を折ってしゃがみながら優しく首を傾げました。
「ノボリ君と一緒じゃないなんてめずらしいね。今日はどうしたの?」 「あのねっ、あのねっ!ナマエにね、わたしたいものがあるの!」 「私に?」 「うん!はい、これ、どーぞっ!」
元気よく答えて、クダリは背中に隠していた、あの薄いピンクのお花を差し出しました。 ――けれど、あれれ?これはどういうことでしょう。
「……あれ?」
クダリが差し出したお花は、強く握りしめてしまったせいで茎の部分がくにゃりと曲がり、綺麗に咲いていたお花は、くったりと項垂れて元気をなくしていました。
「っ、あれ?あれ?ちがうのっ!あのねっ、ほんとはもっと……っ!」
見る見るうちにクダリの大きなおめめに零れそうな涙が浮かびました。 だって、こんなはずではなかったのです。 クダリは、クダリが見つけたとっても綺麗なお花を、ナマエにプレゼントしたかったのです。
「っ…ふ、ぇぇ……!」 「――クダリ君」
とうとう泣き出してしまったクダリの掌を、あたたかい掌が優しく包み込みました。
「ありがとう。一生懸命持ってきてくれたんだね。とっても嬉しいよ」
白い指が、硬く握りしめるクダリの指をやさしく解いてお花をそっと受け取りました。 それでも、ナマエの笑顔を見ると胸がぎゅうぎゅう締めつけられるようで、クダリの涙は止まりません。
「ひっ…で、でも……っおは、な、かれちゃ……っ」 「大丈夫。クダリ君、おいで」
にこりと微笑んで腰を上げたナマエがぐずるクダリの手を引き、お店の中に入って行きます。 キラキラ綺麗な食器が並べられた棚の中から小さなグラスを一つ選んだナマエはそこに水を注ぎ、クダリが握りしめて潰れてしまった茎をチョンとハサミで切って、お花をそっと生けてあげました。
「――はい!これで大丈夫。きっとすぐに元気になるよ」 「……ほんとうに?」 「うん。だって、魔法のお薬を使ったからね」 「まほうの、おくすり?」
最後にナマエがグラスに入れた、あの白い砂のことでしょうか。 イスに腰掛けたナマエの膝によじ登り、クダリはくんくんとナマエの指先の匂いを嗅ぎました。 なんだかとっても、甘い匂いがします。 その正体が気になって、小さな舌をのぞかせたクダリは、その指先をチロリと舐めてみました。
「!?クダリく」 「……あまーい!!これっ、おさとうだぁ!!」 「あはっ、正解。すごいね、クダリ君」 「おはなも、あまいのがすきなの?」 「そうそう、クダリ君といっしょ。じゃあこれは、正解したご褒美ね」 「『くっきー』!!」
すっかり元気になって、クダリは嬉しさのあまり出てしまった狐の耳をピョコピョコ動かしながら、差し出された『くっきー』を口いっぱいに頬張りました。 さくさく、ほろほろ。ナマエの作る『くっきー』は、クダリの大好物です。 その嬉しそうな、幸せそうな顔を見て、ナマエがクスクスと笑い声をこぼせば、口の周りにたくさんの『くっきー』をつけたクダリが不思議そうに振り返ります。
「……ナマエ、どうしたの?」 「ううん。ただ、嬉しいなぁって。クダリ君が、こんなにステキなプレゼントを持ってきてくれて」
親指で口の周りを拭ってあげながら言うナマエに、クダリの目が星空のように輝きました。
「あのねっ!ナマエ、おはなすき?」 「うん、大好き」 「っ……だったらね!こんどは、もっと、もっといっぱい、もってきてあげる!おやまのおくにね、たくさんさいてるのっ!ぜんぶあげるよ!ぜんぶ、ナマエのもの!!」
いつの間にか尻尾まで出して、クダリは興奮しながら言いました。 その様子に、ナマエはにっこり。 お花よりももっと優しく、蜂蜜みたいに甘く、綺麗に微笑みました。
「ありがとう、クダリ君。でもね、そんなにいっぱいは飾りきれないし、私には今日クダリ君が一生懸命持ってきてくれた、このお花があれば十分嬉しいよ」 「っ……でも、」
狐の耳をへにゃりと垂れさせ、クダリはしぶるように眉を寄せます。 その小さな手を掬い、ナマエはそっと、お互いの小指を絡ませました。
「だったら、今度そのお花畑に私も連れて行って?クッキーをたくさん焼いて、ノボリ君も一緒に、三人でピクニックがしたいなぁ」 「――!!うんっ!わかった!!」
「「『やくそく』だよ」」
二人声を合わせて、うふふと笑う。 テーブルの上では、グラスの中の月見草もふんわり微笑んでいました。
(13.09.24)
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