突然、読み返してみて思ったことを。
ネタバレというか、これから本編読む予定の方は少し注意です。
めっちゃ自画自賛になるかと思いますが、レイルとグレイのシーンは個人的にかなり好きというか、やや強引なところもあるんですが2人の心理描写は本当に満足しています。
グレイはレイルに対してはアンビバレンスなんですよ。愛憎、といえばいいのでしょうか。レイルへの思いは友愛に近いもので、とにかくリディアとは違う意味での掛け替えのない愛を抱いていますが、それと同時に今のグレイを脅かす存在でもあるため疎ましいです。
殺したくないけど殺さなければ自分が死ぬ。愛しているけど愛のために彼女を殺す。矛盾する気持ちに苛まれながらもグレイは「今」を選びます。
そしてアンビバレンスなのはレイルも同じです。グレイをこの世から消滅させなければ自分が千年孤独であった意味がなくなります。しかし、グレイが自分を見てくれる、自分を殺してくれるということにどうしようもない思いを抱きます。殺さなければならないのに殺されたい。
アンビバレンスな二人が選んだ決断は本編の通りです。
二人はお互いの最良の道に気付きながらも、道を違えてしまいました。けれどレイルがいうように、遠回りでも希望は失われたわけではないということを、どうか忘れないで下さい。
……まぁ色々考えたんですが、私がリディアという物語に対してどんなモチーフをもって描きたいのか、それは非常に変化しています。
作りたての中学生のときはただ王道ファンタジーが書きたい、というものだけでした。けれど高校生になり、特に2巻が終わった頃には、青年少女の思春期の自我の話にしたいと思い、それが大学2年の半分が過ぎたいまとなっては、もっと違う、人間ってなんだという、神話ってなんだ、リディアという物語はなんだ、とかなり試行錯誤しています。
あくまで主人公はシエラなので、彼女の揺れ動く心を描くという意味では、思春期の青年少女の自我、というモチーフは変わらないのかもしれません。
長々と色々書きましたが、グレイとレイルというキャラクターには思い入れがある、ということです(笑)