答えは、たぶん聞かなくても分かっていた。
何よりも誰よりも、確かに彼女を隣で見ていたのだから。

痣と呼ぶか染みと呼ぶか、そんなふうに後に残る恋は初めてで、というかきっと恋自体が初めてで。
だけど強く感情を理解して欲しいとか、無理にでもこちらを向いてほしいとか、そういう押し付けるような気持ちじゃなかった。
横に並んで、笑い合って冗談を言い合って。
頑張る姿を眺めて。
いつも、真っ直ぐに見つめてくる瞳を守りながらいられたらそれでよかった。

知らなかったけれど、それが恋というものなのだと、誰に言われるでもなくそう思ったのだ。



だから、告げたのはただ単に、気付いてほしかったからだ。
誰かを、この場合彼を、そういう感情にさせているという自覚をしてくれさえしたらそれでいい。
それでいて、それでも彼女の心のままに、自由でいてほしいと思う。


「あのね、土浦くん…」

呼び出された喫茶店でコーヒーを啜りながら彼女が次の言葉を続けるのを待つ。
先程来た紅茶に香穂子は一度も手をつけていない。
テーブルの上で指を組み合わせてもじもじと忙しなく動かしている。
何を言わんとしているのかは、そう、明白なのだ。

「……あの、ね」
「おい、これうまそうじゃないか?おまえ、食う?」

テーブルにメニューと一緒に置いてあるポップ広告のサンドイッチを指しながら土浦が言った。

「え?あ、えーと」
「朝飯食ってないんだよ。少しならやるけど。あ、すいません」

通りかかったウェイトレスに注文する。
土浦が目配せでどうする?と訊いたので香穂子は首を横に振った。

「あのさ」

ウェイトレスが去ってから、土浦はおもむろに口を開いた。

「今日一日は、俺に付き合わねぇか?」

行きたいところがあるんだ、と言うと香穂子は少し困ったような顔をして、それでもこくりと頷いた。





++++++++++






「遊園地…?!」

土浦が連れてきたのは、以前月森、土浦の元恋人と共に来た遊園地だった。
最初からここに来る予定だったように土浦は何も言わず中へ入っていく。

「え、ちょっ、土浦くん、ここ?」
「そ、ここ。ほら、早く来いよ」

歩幅の大きい土浦に追い付くように香穂子は足を速めた。
土曜の昼前の遊園地は家族連れやカップルで賑わっている。
はぐれないようしっかり隣を歩く香穂子を土浦はまた好ましく思ってしまう。
前でも後ろでもなく対等な位置にいようとする彼女を、どうしようもなく。
トロくさくてそそっかしくて、危なっかしくて後先考えないで、当たって凹んで八つ当たりして。
本当にいつも心配させる奴。
なのに気付いたら笑ってて、頑張ってて、一生懸命で助けてやりたくなった。
好きになるなって言うほうが、無理だった。

「……よし。じゃ、アレから行くか」

目についたジェットコースターを指差すと、土浦は香穂子の手を引いて目標へと向かうのだった。





++++++++++






日が暮れるまで遊んだ。
デートと呼ぶには色気の足りない、真剣な遊び方だった。
ただ香穂子の笑った顔が見ていたくて、切ない顔はさせたくなくて。
けれど、ここに来た以上覚悟はしていたし、それは香穂子だって同じだったろう。
いつか来る別れをいくら惜しんでも、その場しのぎにしかならないことを一番知っているのは彼女だ。
地平線に夕日の名残が紅く燃える中、土浦は香穂子を観覧車に誘った。
以前来たとき、香穂子は月森とここにいた。
この中で二人がどんな会話を交わしたのかは知らない。
よく考えたら、二人がどのように距離を縮めていったのかとか、どこに想いを寄せたのかとか、そんな決定的な出来事は何ひとつ第三者である土浦には思い当たらなかった。
ただ言えることは、彼らを繋いでいたのは紛れもなく細く強い音楽の糸であったということ。

「悪かったな、付き合わせて」

香穂子は首を横に振った。

「おまえの言いたいことはさ、分かってたよ。ずっと前から」
「……土浦くん」
「おまえ、お化け屋敷苦手だったんだな。素直に言ってれば、あの時も一緒に入ってやったのに」

そうしたら何か変わっていたのか。
ありもしないもしもを何度繰り返したところで何も変わりはしない。
だけど、といつも考える。
もしもあの時ああしていたら。
そう思うなら、間に合うのなら、これからまた変えていけばいい。
今は変わらなくても、これから変わるかもしれない。

「…あのね」

香穂子が俯いた。

「…目標ができたの。これまで、ただヴァイオリンが上手くなりたくて、上手くなったらきっと楽しいだろうなって漠然と思ってて。だけどちゃんと考えたんだ。これから自分がどうヴァイオリンと付き合っていきたいのか」

香穂子が顔を上げる。
真っ直ぐで、人に簡単に影響されてすぐ揺らぐ癖に、一度決めたらもう梃子でも動かないって顔して。

「遠くても、わたし……月森くんと同じ場所に立ちたい」

香穂子が求めたのは、いつもすぐ側で引っ張ってくれる手じゃなく、勝手に先へ行ってどんどん置いていってしまう背中だった。
泣いたって転んだって関係ない厳しさ。
時々振り向いて、『何をしてるんだ』と一言かけてくれるだけでいい。

「……土浦くんとは、今までみたいに、一緒に頑張れる関係でいたいっていうか…上手く言えないんだけど」

もう揺らがない強い眼差しは、土浦の初めて見る種類のそれだった。

「…気持ちに応えられなくて、ごめん」


分かっていた。
いつも。
香穂子を揺らすのは月森だった。
月森の言葉で凹んで、考え込んで、喜んで前を向いてそして挫けそうになってもまた進む。
月森の言葉をきっかけに、心を決める。

彼女にとって彼とは、そういう存在だった。

「……厳しいぜ」

土浦が言う。
香穂子は苦笑した。

「…うん。想像以上に大変なんだろうなって、ちょっとビクビクしてる」
「それでも―――アイツを選ぶんだな」
「………うん」

もう決めたの。

観覧車が一周を終えて二人は地上に戻ってきた。
先に降りた土浦が香穂子に手を貸して、そしてそのまま歩き始める。
遊園地を出るまでは。

「あのね…土浦くん」
「ん?」
「土浦くんが崎本さんと一緒にお化け屋敷に入ったとき、ちょっとだけ、妬いたよ」
「……バーカ」

遊園地の出入口はこれから帰宅する人でごった返していた。
どちらともなく、二人は手を離した。

好きになってほしかったわけじゃない。
そう言えば、ただの強がりに聞こえるけれど。
もちろん同じ気持ちを返してもらえたなら、きっとどんなにか浮かれた気分になってありったけ感情を示したに違いない。
だけど、そうじゃなくても。
心は変わらないままなんだ。
叶おうが叶うまいが想いが消えたり制御できなくなるような恋の仕方じゃない。
痣と呼ぶか染みと呼ぶか。
そんなふうにぽたりと落ちては跡になってそこに在り続ける、気付いたらいつの間にかそこにある、恋だった。
好きだった。
今も。


「……日野」

香穂子が顔を上げる。
戸惑う顔。
そんな顔、させたいわけじゃないんだよ。
土浦は安心させるように笑った。
『そんな顔』をしてくれたことに、ほんの少しだけ優越を覚えながら。

「帰ろうぜ」

香穂子も笑い返した。

「うん」

隣を歩きだす香穂子に、せめてこの位置は自分だけにしてほしいと、僅かな願いを抱きながら。















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