桜の蕾などまだまだ膨らみそうにない三月中旬。
ここ星奏学院でも新たに卒業生を輩出するため、厳かな式が行われた。
卒業証書授与、祝辞、答辞、校歌斉唱。
いつもは退屈なだけの校長先生の長話すら、これでもう聞くことはないのだと思うと少し感傷的な気分になる。
何事にも動じることなく常に物事を一歩引いたところから見ていた柚木にも、人並みに、あるいはそれ以上に思い入れのある三年間だった。
あくまで通過点としか考えていなかった高校生活で、まさか人生設計を狂わされるとは。
選んではみたものの、これで本当に良かったのだろうか。
そんなことは進んでみなければ誰にも分かりはしない。
ただ。
式の途中から堪えきれなくなったのか、派手に啜り泣く声を講堂中に響かせていた親友。
彼と一緒ならとりあえずは後悔とは縁遠い生活を送れるだろうと、根拠なく思っていた。

春。
別れと出会いが交差し、終わりがあり始まる季節。
そんなふうに、自分を取り巻く環境が変わることにあまり感慨がわかなかった。
それなのに今はこの別れが、終わりが、寂しいと思う。
自分が特別大きく変わったとは、柚木は思わない。
強いて言うなら多少の感化、毒されたと言ってもいいかもしれない。
根幹は変えられない。
けれどほんの少しだけ、自分を許してみようかと、そういう気になったのだ。

屋上から中庭を見下ろす。
柚木の好きな光景だった。
さすがにこんなときに屋上には誰もいない。
最後のホームルームが終わった後もまだ教室でクラスメイトたちがやれ打ち上げだのアルバムにメッセージだの写真だの大騒ぎしている頃だろう。
混ざるのが煩わしいのももちろんある。
けれど、最後くらい付き合ってもいいと思う程度の人情はあるつもりだ。
それでも誰にも言わずここに来たのは、予感があったから。

「あっ、柚木先輩?こんなところで何やってるんですか」

いつものようにヴァイオリン片手にガチャリと大きな音を立てて扉を開ける彼女。
なんのてらいもなく、中庭を見下ろす柚木の背中に掛ける明るい声。
『お前を待っていたんだよ』とは言えなかった。
不器用な親友のことをどうこう言えたものじゃないな、とにわかに自嘲する。

「一人で物思いに耽ってるんだよ」

ヴァイオリンをベンチに置いた香穂子が柚木の隣に立った。

「最後なんですから、親衛隊の皆さんにサービスでもしてきたらどうですか?きっと探してますよ、先輩のこと」
「今まで散々サービスしてきたんだ、もういいだろう」

肌寒い風に肩が冷える。
屋上と彼女には何かと縁があったなと思いながら肘を手摺りに乗せた。
たった一年前までは存在も知らなかった彼女。
彼女が特別だとか、彼女がいたからどうだとか、そんな風には思ってやらないけれど。

「卒業、おめでとうございます。先輩」
「…ありがとう、日野さん」
「寂しくなりますね」

横目で彼女を見た。
香穂子は寂しそうに口元だけで微笑んでいた。
寂しくなる。
それが彼女だけの感情ではないことが柚木はいささか複雑だった。
彼女のように、もしくは自分の親友のように、もう少し他人の心の機微に疎い人間であればもっと素直にその感情を吐露することができたのに。
見えてしまう分、制限されることが増える。
でも仕方ないのだ、見えてしまうから。
彼女は諦めないと言ったが、やはり柚木には諦めるべきことがたくさんあった。
だからそのうちのひとつだけでも諦めなくていいように。
それでいい。
それでいいのだ。

「まあ、俺たちが卒業して、月森くんも留学中。学院の話題のネタは一気に減って寂しいだろうな」
「そういう意味じゃ、」
「じゃあどういう意味?」

わざと面白可笑しく訊ねてみる。
拗ねた顔の彼女は嫌いじゃなかったから、時々こうしてからかった。

「…だから、柚木先輩や火原先輩に会えなくなるのが寂しいんですってば」
「ふぅん、俺にいじめられなくなるのが寂しいわけ」
「そんなこと言ってませんっ」

根幹は変えられない。
何ひとつ諦めることのない人生なんてそれこそあり得ない。
ただ少し、他の人より諦めることが多かっただけ。
彼女のことも。
その諦めなくてはならないことのひとつだと、本当は気付きたくなかった。

「で?月森くんと何かあったの?」
「……え?!」
「コンクールのとき。月森くんは来ないし、演奏終わった途端お前が外に飛び出していったって聞いたから、何かあったのかと思ってね。ただの興味本位だよ」

正確には彼は香穂子の演奏の終盤に姿を現した。
そのまま何も告げずに発とうとしたのはあまりに彼らしい話。
それについて誰も触れなかったから、二人の間に何があったのかはたぶん誰も知らない。

彼が彼女を意識していたのは傍目から見ても確かだったし、彼女にとって彼が重要な位置にいたことは自明の理だった。

「……特に、何も。ずっと練習見てくれてたから、お礼を言いたくて。それだけです」
「ふぅん?」
「〜〜〜なんですか、その疑り深い目は!」

彼女の顔を見れば言っている内容が嘘か本当かなんてすぐに分かる。
その馬鹿正直なところも気に入っていた。
だから、香穂子が俯き加減に話し始めたときに少しほっとした。

「……いや、疑ってなんかいないよ。まだ猶予が残されていたんだなと思って」

俺にも火原にも。

柚木はそっと香穂子の風に揺らぐ毛束を一筋取った。
元気に跳ねる癖のある髪はまさに彼女らしい。
そこにナチュラルに唇を落とすと、怯んだ香穂子の耳元に囁きかける。
彼女は気付いていなかったけれど、意地悪は気に入っているからだ。
『好きな子ほどいじめたくなる』って言うだろう?

「また時々いじめに来てあげるから、寂しがるんじゃないよ。香穂子」
















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