偶然か必然か、そんなのは哲学者じゃないから分からない。
ただ。
出逢いはすべて奇跡だと思うから、彼女に出逢ったあの瞬間も、つまりは奇跡だったってこと。
僕は恋をしたんだ。


彼女に出逢ってから、改めてこの世の中には音を始め色、匂い、空気、様々に五感を震わせるものが溢れていることに気付いた。
空の色は深みを増して、時間や季節や天候、それぞれの色がそれまで見ていた単一な色から極彩色に変わった。
スカイブルーを僕が表すなら一色ではとても表現できない。
早朝の朝露がまだ残る時間だと、瑞々しい草花が元気に感じる。
見上げた樹木で囀る鳥たちはきっと愛を知っていて。
雨上がりの湿った匂いはどこか懐かしく僕を包んでくれる。
祖母の優しい手の平みたいに。


待ち合わせたのは駅前の噴水。
午前十時の街はこれから始まる賑やかな一日に向けて準備万端。
本当はもう少し早めに家を出る予定だったのだけど、テレビで興味深いニュースが特集になっていてつい見入ってしまった。
約束の時間の十分前。
彼女はすでに噴水の前で佇んでいた。
日野さん、そういつものように声を掛けようとして、ふと息を呑む。
吹き上がる水飛沫が彼女の背中で陽の光と戯れる。
キラキラ、と七色に輝く飛沫は無邪気に宙を舞って落ちていった。
なんだか、まぶしい。
声を掛けるのを躊躇っていると、彼女の方が僕に気付いた。

「あ、加地くん。おはよう」

たった一言のただの挨拶が、すごく貴重な言葉に聞こえる。
彼女が僕の名前を呼び、僕にだけ話し掛ける。
もちろん僕しかいないのだから当然なんだけど。

彼女に出逢えた奇跡をそこで終わらせたくなくて、必死で繋ぎ止める術を探した。
彼女に振り向いてほしくて手を伸ばした。

「…おはよう、日野さん。ごめん、待たせちゃったかな」
「ううん、全然!今来たことろだったから、タイミング良かったよ」

当たり前のように隣に並んで歩きだす。
奇跡は二度起きてはくれない。
だからこれは僕の努力。
夢みたいで、夢じゃなくて。

「せっかくの休日に、迷惑じゃなかった?」
「ううん、迷惑なんかじゃないよ。私の方が誘ってもらっちゃってむしろ良かったのかな」
「もちろん。日野さんに喜んでもらえたらこのコンサートのチケットも本望だよ。というか、コンサートが始まるまでのきみの時間、僕にくれてありがとう」

そう言うと日野さんは僕をじっと見上げる。
にこっと笑うと、少し困ったみたいに笑い返してくれた。
この表情、好きだな。
彼女はいろんな表情をするけれど、(もちろんどれも好きだけれど)少し眉が下がると幼さが滲み出て僕を安心させる。

「このヴァイオリン奏者ね、月森も結構気に入ってよく聴いてるんだって」

わざとらしく彼女の想い人の名前を出してみる。
日野さんは前を向いたまま柔らかい表情を変えなかった。

「へぇ、そうなんだ。よく知ってるね。加地くん、月森くんと仲良いんだ?」
「前にね、聞いたんだ。どの奏者が好きか。でも、好きか嫌いかより手本にしたいかどうかで聴く頻度が変わるって言ってた」
「へぇ…」

そっか、と納得するみたいに呟いて彼女は少し俯く。
手渡したチケットを見つめてそっと微笑んだのを僕は見逃さなかった。
その微笑みを直接向けられることはないと知ってる。
それでもいいんだ。
これは僕の一方的な恋。
叶うか叶わないかが重要なのではなく、その恋を知ったか知らないままでいたか、ここが重要。
だってほら、彼女に想い人がいると知ってさえ、世界の色は褪せない。
微妙な中間色にだって細かく名前がつけられているけれど、僕の目に映る色はきっとそれだけでは足りない。
そばにいられたら、いい。

「月森にコンサートの感想メールしたら喜ぶかもね」
「うん………っていうか、意地悪、だよね?」
「まさか。ただ、こうして僕が日野さんと一緒にいるのを悔しがってくれたらいいなと思っただけ」

涼しい顔を頑張って作っていたらしい彼女の本心が崩れた表情から透けて見える。
本当はすごく動揺してるのに、って。
複雑なその顔に僕はちょっとだけ笑ってからごめんねと囁く。
鮮やかだ。
その声も、瞳も、頬も、唇も。
踊る髪や跳ねる踵、規則的に前後する両手。
『もう!』と怒ってしまったように早足になる彼女の背中を見たとき、僕はああそうかと思った。
立ち止まる。
彼女はいつも光を纏っているんだ。
だから、色彩は増して空気は優しい。
彼女が光だったから。

「加地くん」

彼女が振り返る。
出逢いが奇跡なら、彼女に恋をするのは僕の運命だった。
叶うか叶わないかが重要なんじゃない。
僕が光を求めるから、いつも答えがあるんだ。


「好きだよ」

聞こえないように小さく小さく呟いた。
彼女は僅かに首を傾げた。














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